デカルトの誤り | 店舗探し.comの過去コラム

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 2012/8/23

『デカルトの誤り ~情動、理性、人間の脳』
  アントニオ・R・ダマシオ著 ちくま学芸文庫

デカルトといえば「我思う、ゆえに我あり」が有名です。
自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、“自分はなぜここにある
のか”と考える事自体が自分が存在する証明であるとするもので、
「実体二元論」とも言われます。

「実体二元論」を更に展開して言えば、
“肉体や物質といった物理的実体とは別に、自我や精神、また時に意識、
などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。
そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別の、この
心的実体が担っている”のです。

本書では、デカルトの“身体と切り離された司令塔である「私」という
ものが存在する”とした前提は、全くの誤りであるということを詳らかに
証明していきます。
そして、デカルトの「身体が切り離された心」という概念が、「心は脳の
ソフトウェア・プログラムというメタファー」を生み出し、西洋医学の
病気の研究方法や治療方法を特異なものとしてきたと非難しています。

「先天性無痛症」という痛さを感じない病気があります。
痛みや熱さ、冷たさの感覚が全く無いため、骨折したり、大けがをして
出血しても気がつかないことがあります。知らぬ間に自分の舌を噛み切って
しまったり、誤って大火傷を負っても苦痛は全くありません。
こうした患者は痛みによって危険を学習することができません。身体の
重大な危機を引き起こしかねない事態に遭遇しても、限界を容易に踏み越し
てしまう虞があるため、常に庇護下に置いておかなければなりません。

「有痛性チック」としても知られる「三叉神経痛」では、皮膚に触れると
いったどうということもない行為や、同じところをそよ風が撫でるといった
さらにどうということもないことが、突発的な激痛を引き起こします。
激痛は頻繁に襲い、患者は体を防御的に固くよじって閉ざすしかすべが
ありません。
こうした患者に前部前頭葉白質切断を施すと、患者から苦痛が消えます。
しかし、痛みそのものは依然として残っており、痛みを苦痛と感じなく
なるだけなのです。

「先天性無痛症」は、「我思わず、しかるに我あり」で、「三叉神経痛」は
「我思うと思わざるとにかかわらず、我あり」とでもなるのでしょうか。
身体と心とはそれぞれが密接な関係を持っているのです。

私たちが感じるあらゆる苦痛は、それが精神的なものであっても、身体の
危機の兆候ととらえる必要があるのかもしれません。
と同時に、脳への外科的なアプローチによって、うつ病や、精神的苦痛
から解放される可能性もあります。

しかし、どんな悲惨な状態にあっても常にハッピーな心持でいられるよう
になることが、本当に幸せだと言えるのかと問われると、思わず考え込んで
しまうのです。