【炎上】アンソロジー
【キンコン西野だけじゃない! 太宰嫌いな人々】
https://ddnavi.com/news/105421/a/
【炎上商法】という言葉は、もはや死語だろうか
西野亮廣さんが太宰治さんについて、「いかがわしいから大嫌い」と発言し、【炎上】したことがあったそうだ(リアルタイムでは知らなかったが)
西野亮廣さんの真意は知るべくもないが、世の中の、太宰治さん【ファン】の愛を試した行為ーー「踏み絵」的にーーであるとともに、世の中にいかに太宰治さんの【ファン】が多いかを承知のうえで行った、計算された【炎上商法】であったように、私には思われる
あるいはこれは、西野亮廣さんの本意ではないかもしれないが、非常な【人間通】ーー人間の心理に通暁ーーであった太宰治さんが、現代を生きていたら、やりかねない行為であり、非常に太宰治さん的行為であるように、私には思われる
一般的な人は、「いかがわしい」という形容詞をいただいたら、眉をひそめるところだろう。
ところが、太宰治さんなら、むしろ喜んで受け取るのではないだろうか
「いかがわしい」、という言葉には、【何をしでかすかわからない】、【何が飛び出してくるかわからない】ーーブラックボックス的な、びっくり箱的な、道化的なニュアンスが含まれているように、私には思われる
このような【商法】は、近年にはじまったものではないだろう。
【「便器」が芸術?マルセル・デュシャンがアートとみなされる理由】
https://irohani.art/study/13491/
マルセル・デュシャンさんの作品「噴水(泉)」は、作品そのもののインパクトもさることながら、作品を契機として巻き起こされた議論、人々の反応をも含めて「作品」とみなすところに、アートの新しい価値、可能性といったものが示されたように思われる
その精神はバンクシーさんにおいて顕著に見いだされる
【バンクシーのシュレッダー事件、仕組みと落札者、オークション作品の行方】
https://otokonokakurega.com/learn/secret-base/26634/
(以下省略)
そもそも、このブログ記事を書くきっかけとなったのは、ボブ・ディランさんの「太陽は燃えている」と、
【昔読んだきりですが】
【読んだことはありませんが、下記の著作で存在を知りました】
【「推し、燃ゆ」の存在を知った一冊】
【こちらも昔読んだきりですが】