続”【おとなの階段上る】アンソロジー、そして?” | てんぱりまっくす~あるいは、スクナビコナ~のブログ

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一度ツイッターに浮気しましたが、やはりこちらのほうが落ち着くようです。

ただいま(/-\*)

四十 問答

 なぜお前は現代の社会制度を攻撃するか?
 資本主義の生んだ悪を見てゐるから。
 悪を? おれはお前は善悪の差を認めてゐないと思つてゐた。ではお前の生活は?
 ――彼はかう天使と問答した。尤も誰にも恥づる所のないシルクハツトをかぶつた天使と。……
ーー芥川龍之介さん「或阿呆の一生」より。

前回のブログ記事では、あまりにも他の偉大な先輩方に依存し過ぎてしまった絶望

今回のブログ「も」、引き続き偉大な先輩方に依存しながら、しかし同時に今回のブログ「では」、私独自の色が出せたら、と思っている爆笑

【おとなの階段上る】アンソロジーを編む際、肝心要の作品を、二、三、完全に失念してしまっていたことに気付かされたガーン

それというのも私は最近、こんな経験をしたからなのだショボーン

私事で恐縮であるが、また、情けなく、お恥ずかしい話なのであるが、四十歳の私は現在、丸一日を通してする仕事が出来ず、パート職員(デイサービスの送迎ドライバー)の身に甘んじているショボーン

これではいかんびっくりマーク と一念発起し、ある日あるとき、正社員にしていただけないか勤務先の長に相談したところ、「まずは一日通しての仕事が出来るかだね」という話になり、実際に一日を通しての仕事に挑んだところ、全然ついていけず、わずか一日で断念してしまったえーん

その日の最後の、デイサービスの長の言葉が、いちばん、私にこたえたえーん

「お客様が元気で来てくれて商売が成り立つ。だから、お客様にケガさせたり、食べ物を誤嚥させて肺炎にさせたりするわけにはいかない。(中略)株式会社だから」

私は以前、有限会社の社長だったこともあるが、義兄がいつも口癖のように「儲けるならチマチマ儲けるのはつまらない」と言っているのを聞き(義兄は私に「就労継続支援B型作業所」の運営を薦めた人だった)、うんざりしていたものだったえーん
障害者の方を、「お金」としか見なしていない人だったのだえーん

新しい勤め先の人たちは、私にはみな「好い人」たちに見えた立ち上がる歩く

しかし、実際は、違っていたのだえーん

「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」
 自分は、何気無さそうに話頭を転じました。
「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
 ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。
 シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意に虻を叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。
ーー太宰治さん「人間失格」より。

やはり、世の中は、おそろしいところなのだ、と思った。「のっぺらぼう」。
この人こそはびっくりマーク と思っていた人からさえ、恐怖を受け取ることになる。

「人間失格」の主人公・大庭葉蔵さんは、【おとなの階段を上】りそびれた、踏み外した人だったのかもしれない。


ゆくてを塞ぐ邪魔な石を
蟾蜍は廻って通る。
ーー太宰治さん「人間失格」より。

大庭葉蔵さんに対し、見事、【おとなの階段】を上ったらしいのは、芥川龍之介さん「羅生門」の下人である爆笑


ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
(中略)
「きっと、そうか。」
 老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥ぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
ーー芥川龍之介さん「羅生門」より。

下人がのぼったのは厳密には「梯子」だが、芥川龍之介さんの「羅生門」もまた、【おとなの階段】を上るアンソロジーの仲間に付け加えたいものだ爆笑

「羅生門」における老婆を思い出させる曲に、井上陽水さんの「東へ西へ」がある爆笑



町田康さんのヴァージョンも捨てがたい爆笑


ああ、そうそう、今回の私の経験で思い出した話を、もう一つ紹介しておこう立ち上がる歩く

【ダーク路線か平和路線かで読者が怯え続けたちいかわ山姥編、最新話の結末が衝撃的すぎてナガノ先生の漫画のうまさに感服した】
https://togetter.com/li/1952674

こちらもまた、【おとなの階段】のぼるアンソロジーに付け加えたいおねがい

現実の世界で、【自然に近い状態で育てられた家畜は、ストレスがなく、健康体であるため美味しい】と一般に言われている絶望

家畜の飼育者は、家畜が可愛いからではなく、【おいしく食べるため】に育てる(家畜は自分が食糧にされるとは微塵も思わない)絶望

「ちいかわ」における山姥の振舞は、上記のような考えに依拠したものと考えられるガーン
つまり、「ちいかわ」が可愛いから親切を尽くしたのではなく、自分がおいしく食べるために「親切を尽くした」のである真顔昇天ネガティブオエー
(「羅生門」における「老婆」が「ちいかわ」における「山姥」に転生した、と考えるのも一興かもしれないネガティブ)

「ちいかわ」山姥編の以上のような読み方を応用すると、戦時下の太宰治さんの作品(「一つの約束」「惜別」「雪の夜の話」など)が持つ二重性が理解しやすい、と私は個人的には思っている絶望

ーー以上、雨が降る茨城県某所からお伝えしました爆笑