(『人間革命』第11巻より編集)
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〈大阪〉 6
戸田城聖は、戦時中の共産主義・社会主義者への過酷な弾圧から、多くの転向者が生まれたことを述べたあと、学会に加えられた軍部政府の圧迫を詳細に語った。
昭和十八年六月、天照大神の神札を祭るように、軍部政府から強要された総本山が、牧口常三郎をはじめ、学会幹部の登山を命じたことに話が及ぶと、戸田の声は震えた。
「あの日、牧口先生と共に、私たちは、急いで総本山に向かった。先生は、来るべき時が来たことを感じておられた。
列車の中で、じっと目を閉じ、やがて、目を開けると、意を決したように私に言われた。
『戸田君、起たねばならぬ時が来たぞ。日本の国が犯した謗法の、いかに大なるかを戒める好機の到来ではないか。
日本を、みすみす滅ぼすわけにはいかぬ!』
『先生、戦いましょう。不肖、この戸田も、先生の弟子として、命を賭す覚悟はできております』
先生は、大きく頷かれ、口もとに笑みを浮かべられた。
私は、謗法厳戒の御精神のうえから、総本山をあげて、神札を固く拒否されるものと思っていた。しかし・・・」
ここまで話すと、戸田は、声を詰まらせたが、ややあって、彼方を仰ぎ見るように顔を上げると、言葉をついだ。
「猊下(げいか、法主のこと)の前で、宗門の庶務部長から、こう言い渡されたのだ。『学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか』
私は、一瞬、わが耳を疑った。
先生は、深く頭を垂れて聞いておられた。そして、最後に威儀を正して、厳然と、こう言われた。
『承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません』
その言葉は、今も私の耳朶に焼き付いている。この一言が、学会の命運を分け、殉難の道へ、死身弘法の大聖人門下の誉れある正道へと、学会を導いたのだ」