#39 祭の後 ~ ランボーの「その後」   | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

         

 

アルチュール・ランボーが天才詩人として19世紀のパリ文壇の寵児となったのは17歳(写真左上)。

スキャンダルと放浪生活を繰り返し、『反逆の詩人』と謳われながら、20歳で永遠に詩作を止める。つまりプロ文筆家としての活動はたった3年で終っている。

20歳で創作活動を止めたこの詩人は、その後アフリカまで流れて行き、その後10年以上どこか胡散臭い貿易商人として生きた(写真右上)。社交界でもてはやされた美少年の澄んだ碧眼は完全に消え、日々殺伐とした現実と格闘している中年の武器商人の暗い眼差しに変貌している。

天才詩人としてもてはやされた過去を何もかもきれいさっぱり消し去り、一種グロテスクな別物に変貌して、まるっきり異質な人生を生きた。

この極端な変貌は尋常ではない。

 

個人的な嗜好を言わせてもらえれば、私自身は別にランボーの愛読者ではない。

「地獄の季節」も「酔いどれ船」もまともに読み通したこともない。例えばフランツ・カフカの息の詰まるような同時代的鬱屈に比して、ランボーにはパリ文壇の寵児」だの「反逆の詩人」だのという、いかにも19世紀の世紀末的浮薄さが感じられ、とても改めて読む気が起きなかった。古典として読むには近過ぎるし、現代文学として読むにはレトロ過ぎる、と言ったところか。

しかし、この同一人物における凄まじい変貌の一点において、私はいつもアルチュール・ランボーという名に心惹かれる。

評伝などを読むと、特に、パートナーに一種の暖簾分けをしてもらい、エチオピア王室絡みの有力者を必死に篭絡しようと苦闘する日々など、同業の貿易ブローカーだった身としては深く共感せずにおれない。ちょっと考えただけでも、賄賂捻出の苦労、帳簿処理、当時の外為法や通関法のかい潜り方、アラブ式面子の立て方、等々、時代は違うものの容易にその苦労が想像できる。

 

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一体どうすれば、一個の人格の中に、「詩人」と「武器商人」が同居できるのか?

稼がねば飢えるから、と言ってしまえばそれまでだが、フランス国内で伝手を頼るなりして、もっと安逸な稼ぎ方ができた筈だ。なのに、なぜアフリカで武器商人?
ひょっとして「アフリカの武器商人」というのも、ランボーの詩集の一つでは?実人生を詩にしてしまったのでは?などと穿ったことも頭に浮かぶが、さすがにそれはない気もする。

端的に言うと、創作意欲は既に萎え果てていたものの、文明を離れて砂漠の近くで暮らしたいという放浪性向だけはまだ色濃く残っていた、というのが理由の一つかも知れない。

 


私事ながら、砂漠と転職と言えば、1981年の7月の終わり頃、私はウズベキスタンのヒヴァという町にいた。30歳前後だったと思う。中央アジアの小さな町の夕空に、小型のコウモリが無数に飛び交っていたのを思い出す。バザール広場でロシア製のビールを飲みながら、私はもう(サラリーマンを)辞めようと決心した。

その決心通り、帰国して辞表を出し、翌年貿易ブローカーになった。

してみれば、「砂漠は人を転職させる力がある」と、ひとまず強引な一般化をしておこう。

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結局アルチュール・ランボーは貿易商を10年ばかり営んだが、とても成功した実業家とは言い難い。若すぎる晩年は悪性腫瘍に苦しみ、フランスに帰国して妹の介護を受け、35歳でやっと死ねた。

この詩人・武器商人にとっては、不本意なほど長過ぎる余生だったに違いない。

 

 

                                                                              (2023. 04.15)


 

 

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