#40 独り暮らし ~ 自立とは?~ | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

           

 

進学なり就職なりで始まった一人暮らし。最初は環境に慣れることで精いっぱいだろう。

それでも一年も立つと、自分の生活の輪郭が次第に固まってくることを自覚する。

 

朝は誰も起こしてくれない。朝食は誰も準備してくれない。休日の午後、鬱陶しいセールスのピンポンが鳴っても、誰も代わりに応対してくれない。夕方、食用油や調味料を切らしていることに気づいても、誰も買い出しに行ってくれない。日中に思わぬ俄雨が降っても、誰も洗濯物を取り込んでくれない。微熱が出て気分がすぐれなくても、誰もすぐに「大丈夫?」と気づいてくれない。------ こういうものを全て含めて「孤独」といい、「自由」といい、「自立」という。

孤独でない自由はないし、孤独でない自立もない。

 

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一般的に、自立者としての自覚は、孤独や自由の感覚より少し遅れてやってくる。

なぜ遅れるかと言うと、子供として、被保護者として育った長年の依存心が、そう簡単には剥がれ落ちないからだ。精神的な臍の緒が落ち切ってないと言うか。

また、愛情面で不足なく育てられると、自立心の発芽は比較的遅れ気味になる。当然のことで、既に現在十分満足し得る家庭で暮らしているため、わざわざ面倒かつ不自由な独り暮らしをしたいという欲求自体が湧かない。

 

     

 

では、逆に機能不全家庭や崩壊家庭で育った若者はどうか?

まず間違いなく、(こんな家庭は嫌だ、早く一人暮らしがしたい!)という一種の脱出願望を抱えている者が多いに違いない。しかしそこから先、(自分自身の幸福な家庭を築きたい!)という方向に直結するかどうかは、人によるとしか言えない。

何しろ育った過程で、範とすべき親兄弟のロールモデルが不在なため、自然なユーモアを含め、安定した家族の維持に大事な要素が色々欠けている。心のバランシング機能もしばしば未発達であることが多い。

故に、この「崩壊育ち」は、しばしば二つの両極端な選択をする。(1)そもそも婚姻や家族づくりそのものに全く関心を持たない、あるいは忌避する、(2)自身の内なる空白や傷口を塞ぐために、衝動的な同棲や婚姻に走る。

無論、そのことの是非を語っているのではない。

人間には善悪があるが、人生に善悪はない。ただa点で始まりb点で終るだけの線分に過ぎないから。


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さて、君に。

上に長々と書いた前置きなど、実はどうでもいい。自立など簡単なことだ。

いつも口酸っぱく言うように、自立の最小要件は、「自分で自分の口を糊し、人に迷惑をかけない」ことだけだ。その二点だけで、君は誰憚る事のない立派な市民であり、後は何をして生きようと、どのように暮らそうと全くの自由なのだ。

 

だから、もう少し広い柔軟な視野を養え。世の中を鳥観図で眺める知的訓練を積め。

もし君が「自活と遵法」だけでは満足できないタイプなら、これまたいつもいつも言うとおり、「一人でも夢中になれる遊び」、「面白くて堪らない遊び」を必死に探せ。

 

昔、早死にした旧友が私に嘯いたことがある。

「はたちで死のうが、百まで生きようが、所詮人生暇つぶし」

閑吟集も同様のことを言っている。

 

    何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

 

 

                                                                               (2023. 04. 19)


 

 

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