#29  鬱なる友へ ~ 隠居入門 その⑦ | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

          

 

娘が巣立った後、しばし虚脱状態に陥った私に、君は「おい、抜け殻」と言った。
あの一言でかなりの部分が吹っ切れた。

活を入れられたというか、目が醒めたというか、すっきりした。

いまだに感謝している。
君の毒舌、独善、本来の快活さ、危なっかしいような衝動性(決断力とは決して言わない)と行動力、・・・すべてを私は心から頼りにしている。

従って、君が現在抱えている屈託によって気弱になってしまうと、私はとても困る。

 

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ラ・ロシュフコーだったか誰だったか忘れたが、有名な箴言を残している。

人間は、太陽と死は直視できない。

隠居して困ることのひとつには、世間で汗して働く時間が無くなった分、何かにつけ死を直視させられる機会が増えることだ。

身辺に死の話題が生じたとき、人は老若男女を問わず本能的に目を逸らす。考えまいとする。

従ってまだ若い人間は、こんな文章を目にすると、この辺りでそろそろ読むのを止めるだろう。

それでも、委細構わず続ける。

まだ若いうちは、目を逸らすことができる --- 暫くの間は、あるいは健康な内は。

年寄はそうはいかない。

一瞬目を逸らしても、その単調な日々の中で、何かと「老・病・死」の影が視界に入ってくる。何しろ他にすることがない。年中病院通いの身になれば猶更だ。

ひとつ死だけに限ったことでなく、不安と恐怖は、目を逸らすほど大きくなる。
時に実体以上に膨れ上がる。百倍、千倍に膨張した水増しの恐怖に怯える愚は、隠居生活の大敵だ。

恐怖に耐え、目の痛みに耐えて、死の実寸を直視する必要がある。

 

 

               

 

 

死は恐怖ではなく「救済」だと私は思う。従って真の恐怖とは、逆に「不死」あるいは「永遠」にある。

少し想像力を働かせば分かることで、例えば君が不死の肉体を得たとする。

すると、どうなるか?肝心の意識や心、つまり君の存在そのものを支える精神活動、喜怒哀楽を含めた感動・情感、創造・発明発見への意欲や好奇心、生物としての物欲・食欲・性欲、その他諸々の精神機能が永遠に続くか?

続かない。ダ・ビンチやアインシュタインを10億人揃えても無理な話だ。

ヒトの心は「永遠」には耐えられない。

永遠の時の流れの中で、肉体だけが残っても、心は枯れ果て、化石化し、砕け散って粒子となり、やがて分子・原子まで分解される。更にその後も、死ねぬまま、∞の位相に留まり続ける。

これが地獄でなくて何だろう?少なくとも私は、不死になどなりたくない。

 

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さて、ここからは個人的なメッセージ。

屈託を抱える古き友よ。

君と私の屈託はかなり出自が似ている。「隠居入門」の事前トレーニングなしに、ある日突然隠居生活が始まったことが大きい。心の調整が不十分なまま、望まぬ暮らしに突入する羽目となった。だから、未だに心の奥底で隠居暮らしを拒否している。

この拒否反応は、ごく普通の現象だと私は思う。

長い歳月、額に汗して働き、喜怒哀楽にまみれつつ具象の海を渡ってきたのだから。

そうだとすれば、対処はたった一つ。如何にして馴染むか?どうやって今の抑鬱状態から抜け出るか?の方法論に尽きる。

まず、今さら深く物事を考えこむな、と言いたい。具象の温水から抽象の冷水にいきなり飛び込んだら、精神が風邪をひく。決して「生とは?死とは?」とか、人間存在の意義とか、そういう底なし沼のような観念中毒を生活の中に侵入させてはいけない。また間違っても、怪しげなカルトにひっかかったりしてはならない。

 

例えば、これから先の30年を見据えてあれこれ計画する、などという楽しみは、もう我々には残されていない。その代わり、育てたデンドロビウムの一弁一弁の美しさ・愛しさを感じ取る感性は増すだろう。

こまごまとした日常の中に、楽しみや歓びを探すことが存外有効ではないだろうか。

君の外貌からは想像し難いが、花を育てる人間には必ずその種の力が備わっている筈だ。

とにかく、何か有効な方法を見つけて、今の屈託を切り抜けて欲しい。

切り抜けたら、その方法を私に伝授してくれ。

何しろこっちも、睡眠障害はなかなか直らず、寝覚めも悪いし、食欲もないし、たまに来る仕事もめんどくさいし、…(ブツブツ)。 

え?娘は元気かって?そういくことを聞くなよ。

元気だよ、…多分(ブツブツ)。

 

                                                                            (2023.02.20)

 

 

 

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