#10 繰り返し見る奇妙な夢の話 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

昔からストレスが溜まった時など、一つの奇妙な夢を繰り返し見ることがある。

(ああ、またこれか・・・)と、いつも夢の中でげんなりする。

つまり、常に「これは夢だ」という自覚はあるのだが、始末の悪い事にこの夢はいつも長く続いて、なかなか醒めない。

どんな風な夢かって?

こんな風だ ------。

 

 

  

 

 

夕暮れ。私は車を運転している。

帰宅途上だ。それだけは分かっている。

しかし、実際にはここがどこなのか、今どこを走っているのかは分からない。

とは言え、これは夢だと認識しているので、別に慌てることなく辺りを眺める。

未舗装の細い野道が、前方で二手に分岐している。

一方は下り坂になっていて、その先に、古い家並が軒を連ねる小さな町がある。

(あそこに入るとひどいことになる・・・)私は夢の中で少し緊張し、不安に襲われる。

何しろ、あの町の中にはまともな道がない。

全て途中で途切れ、行き止まりの迷路同然になっている。

以前、私はあの中で迷子になり、出口を探して入り組んだ路地をさまよった経験があるのだ。やがてその路地まで無くなり、人家の庭の中をこっそり通り抜け、木戸を潜り、ゴミだらけの裏通りに出るとそこも行き止まりになっていて、・・・・等々、 夢の中で架空の記憶のディーテイルを嚙みしめる。

 

 

     

 

当然、私はもう一方のルートを行くことにする。

小高い丘の頂を超えて行く砂利道で、タイヤが荒っぽく小石を撥ねる音が聞こえる。

異様に高い鳥居が木立の中に立っている。

この段階になって、私はやっと思い出す。(ああ、この道も違う。ここを走っても・・・)

家には辿り着かない。そもそも家がどこかも覚えていないことをこの時点で自覚する。

そこで、私は言いようのない深い徒労感に囚われる。何故なら、ここで夢の成り行きが分かってしまうからだ。

どこかの田舎の駅のバスロータリーで、自宅近くの目的地を表記したバスを必死に探す。

なのに、どういうものか、そのバスに乗らず、自分の通勤路線とは明らかに違う謎の電車に乗っている。

多分これから家まで何時間もかかる筈だ。

夜の車窓の向こうはいつも灰色の小雨で、始終鈍いオレンジ色の明かりが点滅している。

私は両手で吊革を掴み、全身の重い倦怠を支えながら目を閉じる・・・。

 

 

     *

 

「それは、絶対認知症の兆候やで」

この夢の話をした時、大学生になったばかりの頃の娘が笑って言った。

そうだとすれば、認知症ほど恐ろしいものはないと私は思った。

自分がどこにいるのか分からない。行動してはいるが、そもそも何をしているのかも分からない。

相手が誰かも分からず、やがて自分が何者なのかも分からなくなる。

どんなに長い夢でも、夢である限り一晩で醒めるが、認知症患者のこの不安、この恐怖は漸進的に死ぬまで続く。

だが一方で、人の一生自体、本質的にこの夢と大差ない気もする。

 

 

                            (2022年5月24日)

 

 

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