#6 インディアンになれたなら ~ フランツ・カフカの消滅願望 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

             

 

  既に種々の抑鬱症状を発症していた高校生の頃、私はカフカの『変身』を読んだ。

   思えば最悪の選択ではないか。
   どうであれ、読んで子供ながらに衝撃を受けた。

   今となってみると不遜極まりないが、<ああ、同類がいる!> という一方的な共感が湧き上がった。
   その勢いで『城』を読み始め、途中で投げ出した。<悪夢のような不条理な状況を、悪夢のように緩慢とした具象の記述だけ延々と並べて表現する>なんて反則技ではないか!と、俳句の国の17歳の若者だった私は思った。しかし、ドストエフスキー → キルケゴール → ニーチェ → カミユと、「実存主義登山ルート」を歩んでいた文学・哲学少年の私にとって、カフカは当然の帰結であり、個人的には最高の詩人であり最低の小説家となった。同時に、フランツ・カフカとアルベルト・アインシュタインを生んだユダヤ人というのは、何という卓越した民族か、と単純に感嘆した記憶もある。
  この無名作家は、プラハ市の労働災害保険局という役所で篤実な地方公務員として働き、1924年、喉頭結核を患って死んだ。41歳だった。既にナチスドイツの荒々しい軍靴の行進が聞こえていた時代で、もう少し長生きしていたらアウシュビッツに送られていた可能性が高い。以降のユダヤ人の惨憺たる歴史を思えば、カフカの享年は言わばヤハウェの慈悲かとも思われる。

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 今、改めてフランツ・カフカの写真を眺めると、単純な事実に気がつく。
 その真っ黒な髪と、一般的には私の息子世代に該当する享年 ----- ああ、こんなにも若かったのだ、と今更に思う。         
   思い出はもう一つある。
   他の記事でも書いている通り、私は『サンマイ崩れ』という小説で賞を貰い、その刊行に併せて『ウスサマ明王』という長編小説を書いた。当初、個人的な思い入れから、その冒頭にカフカの一編の詩を掲げるつもりで、自分で翻訳した。ドイツ語は出来ないので、英訳から下記のように訳した。尤も、既にそういう稚気を恥じる年齢になっていたので、結局掲載は止めた。
  1913年にドイツ語で書かれたその詩のタイトルは「Wunsch, Indianer zu werden」、英訳版では「The Wish to Be a Red Indian (translated by Willa and Edwin Muir)」となっている。この詩に関する英語の論評を読んでみると、「カフカの内なる希死念慮」、「ひっそりと消えてしまいたいという静かな絶望」等々のコメントが目についた。些か皮相的過ぎる解釈な気もするが、それでも、つまるところそういう傾向の詩だと私も思う。

 

   インディアンになれたなら、
   すぐさま馬上の人となり、
   風に向かって疾駆する。
   大地とともに揺れながら、拍車を外す。
   もとより拍車などありはしないから。
   手綱もうち捨てる、
   もとより手綱などありはしないから。
   そうして、

   眼前に広がる草原も視界から消え去るとき、
   馬上人なし、馬もなし。

 

                                    (2022年4月27日)

 

 

       吉岡暁 WEBエッセイ① 嗤う老人