絵に描いたような貧乏学生だった20歳の頃、私は固く信じて疑わなかった。
(俺はアフリカのランボーのように、放浪の果て、どこか遠い異国で失意を枕に客死するだろう)
(ちなみに、ランボーと言ってもこっちの方で👇、決してシルベスター・スタローンではない)
そうはならなかった。理由は単純明快、そもそも最初に「異国」に渡る金がなかった。
35歳の頃は、計測機器メーカーの貿易屋になり下がっていた。ある時、シンガポールで代理店会議があり出席した。その帰り、雨のチャンギ空港で帰国便のキャンセル待ちをしながら、
「俺はそのうち『セールスマンの死』のウィリー・ローマンのように、資本主義のジャングルの片隅で惨めに自死するだろう」というドラマチックな予兆に駆られた。
驚いたことに、40過ぎてもそんな劇的な死は訪れず、代わりに脱サラして自営業者になり果てていた。もっと驚いたことに、これがやること、なすことうまく行かない。
当初の事業計画によれば、右から左の輸出入売買によって、最初の5年間で社内留保1億円は固いと思われたが、実際には5期連続の赤字となり、じりじり資本金を食い潰していった。
結局残った営業品目は、「翻訳サービス」という労働集約的夜なべ仕事だけだった。何をどうしたって儲かるような仕事じゃない。
その他にも、客先の120日支払手形に台風手形(分かる人には分かります)の冷遇とか、ボンベイの物乞いのような「顧客開拓」とか、無理な納期に間に合わせるために体をこわしたりとか、およそロクな思い出がない。
ただ、30年以上潰さなかったというだけだ。
だから、自分の娘が文学部を選ばなかったことに内心ホッとした。理由は、確か英語が苦手だからということだった。国立大学の文系学部の削減が言われ出した頃だ。世間常識的に、語学と文学の境界が曖昧で、外国文学はと言うと、その言語だけが就職用ツールとして評価される。当時既にそういう時代だった。
資本主義ルール下における国家間の生存競争だから仕方がない、という意見もある。WSJ的には正しいと思う。もしあの時、娘に進路について聞かれたら、私は躊躇なく「文学部だけはやめておけ」と答えただろう。
だが、同時に肝に銘じなければならない事もある。
文学を含む芸術は、一種の「炭鉱のカナリア」だ。カナリアが死にかけている炭鉱は、酸欠やガス爆発の危険性に満ちている。少なくとも、若者達は息苦しい危険な穴倉で子供を産み育てたいとは願わないだろう。
この国の、心の酸欠状態は否定しがたい。
視聴者を暗澹たる気分にさせる小規模な「ガス爆発」も、時折メディアを賑わせる。
だから、カナリアは常に歌っていなければならない。
そう思う。