晴れときどき涙雨 | チャウ子のそれでも本を読むのだ

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チャウ子のごった煮風500字読書日記
 地味に更新中f^_^

 

 

 高田郁さんのエッセイです。

 2005年頃からのエッセイもあります。まだ高田さんが

漫画原作者の頃です。

 一番最初の夜間中学に取材に行く話でもう涙腺がやばかっ

たです。80歳を過ぎた在日一世のハルモ二(おばあさん)

のお話です。

 誰よりも早く教室に来て、小さな背中を丸めてカタカナの

練習をしているおばあさん。そのおばあさんが高田さんを「

いつもニコニコ。見てて幸せ」といって抱き寄せるというシ

ーンがあります。

 高田さんは生徒さんたちに話を聞きたかったのですが、夜

間中学という場所柄かなかなか話を聞くことができません。

 このおばあさんは末期癌の告知を受けていますが、通学の

ためにひとり暮らしをしています。学校で学べるという事実。

「学校が恋人」と語るおばあさんの言葉には、教育を受ける

のが当たり前、という世代の私には計り知れない重みがあっ

たとあります。

 この気持ちよくわかります。学生の頃はほんと勉強なんて

大嫌いだったけど、社会人になって何にも物事を知らない自

分に気づきました。中学の化学のおじいさんの先生が戦時中

活字を読みたくてメンソレータムの容器の効能のところを読

んでいたという話を聞いた記憶があり、そのとき普通に活字

を読めるというのは当たり前ではないんだということに気づ

かされました。

 あと、衝撃的だったのは「幸せになろう」というエッセイ

です。中学の女性の体育教師から「このクラスで一番気にく

わんのはお前や」と言われた頃からいじめが始まり、男子生

徒によって暴力を振るわれたとあります。

 女性教師のひと言は私は人から嫌われる人間なのだと成人

してもなお、心を縛ったとあります。これも私は経験があり

ます。私は高3の頃クラスメイトの女子にいじめられ、その

後数年間はそれがトラウマになり、とにかくいじめられない

よう息を潜めて生きていたような時代があります。

 このエッセイの顛末はここには書きませんが、因果応報と

でもいうのでしょうか。スカッとという言葉が適切かどうか

はわかりませんが、それに近い気持ちでした。他人に平気で

ああいう言葉を吐くような人間はやっぱりその程度のものな

んだと知らしめてくれたという気がしました。

 この「幸せになろう」はちょっと特殊なエッセイだったの

ですが、全体的に心温まるエッセイでした。よかった。★★★