5.パチンコ店長編(6) | ライターじゃない、アイドルだ

5.パチンコ店長編(6)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

 

 

店長復帰、4店舗目に担当したI店で「勝利に一番近い店」というテーマを掲げてリニューアルオープンをした。

 

3店舗目の失態を反省し、泥にまみれながら1年間かけて培ってきた己の全てをぶつけた。

 

無事に新装開店を終え、その後稼働は狙い通りめきめきと上がってきた。

 

いや、予想以上に増えたのである。

 

昼出勤すると店内には今までにない多くのお客様が。事務所に行き副主任に今稼働何人だと聞いて私は答える。

 

は?何でそんな来てんだ呼んでねえよ!と調子に乗る始末。

 

前任者が担当した予算をかけたリニューアルは不発に終わったが、今回は予算をかけずに大成功だ。

 

リニューアルからひと月、ふた月と月を追うごとに稼働は増え、実に2倍近くの客数増となり繁盛店へと変わっていった。

 

 

格好良いことだけではない。

 

ここだけの話、このI店は数年前深夜に外からパチスロコーナーを覗きに行ってモーニングをさらっていた店である。

 

さすがに酷すぎる話なので誰にも言わなかったが、その店の店長になるなんて想像もできなかった。

 

事実は小説よりも奇なりである。

 

 

また、この度の結果は施策のほとんどが良い作用をもたらしたと思うのだが、

 

その内の「金玉作戦」については何の噂も聞くことができず不発に終わってしまった。

 

入れた金玉の数が少なかったのだろうか。

 

その他、追加追加で、状況に合わせてとにかくスピード、手数重視で色々とやった。

 

年末年始にインパクトのある広告をしたくて、幹線道路沿いに大きな店舗駐車場があるのを活かして空中に巨大な広告凧を設置した。

 

無茶苦茶な策であった為、設置には相当苦労した。取り付けが終わったのが12/31大晦日~元旦に変わる頃。

 

前代未聞の空中広告だと満足して帰宅し、翌朝出勤すると風で広告凧はバラバラに折れていた。

 

 

他に最悪なのは私は大ヒット機種を見る目がなかったということ。

 

伝説の名機、パチスロ初代北斗の拳の導入の際、真剣に考えた結果、いらないという決断をした。

 

何枚出るのか分からない7揃いに人は興奮できるのか?報酬が不明なのに喜べる訳ないしウケるはずがない。無理だ。

 

キャンセルできないか交渉するも、今更無理と言われしぶしぶ入れたら御存じの通り大ヒット。後に青ざめた。

 

その前のパチスロ獣王も、こんな良く分からん複雑なパチスロはウケないと否定したり散々である。

 

大ヒット機種の特徴に今までにないシステムで受け入れられたらというものがあるので、頭が過去に縛られていると予想は難しいのだ。

 

ちなみに吉宗は導入しなかった。体感機ゴトさえなければ伝説の名機だと思うのだが、ゴトを完全に防ぐ自信が無い場合、お客様に不利益をもたらしかねない。


そこに目をつぶる訳にはいかない。

 

ゴトのリスクの点を店内に告知した上で、頑として導入しなかった。めちゃくちゃにアツくなれる名機ではあっただけに残念だ。

 

 

そのようなヒット機種も頑張ってくれたが、スタッフも一緒に頑張ってくれた。色々と印象深い思い出がある。

 

役職者でM副主任がいた。彼は気の優しいタイプで、部下に注意ができない人物だった。

 

その部下に可愛らしい外見とは裏腹に気の強い男勝りな女性アルバイトSちゃんがいた。

 

ある時Sちゃんの間違った作業内容をみて、M副主任に注意しろと促したがなかなか動かない。

 

私はそんなM副主任にしびれを切らし、部下が言うこと聞かないなら帰らせろ。俺が全部責任取るから帰れくらい言えと指導した。

 

それからM副主任は考え、覚悟を決めたのだろう。

 

なんとあの気の強いSちゃんに向かって、やる気がないなら帰れ!と言い放ったのだ。

 

Sちゃんの反応は、じゃあもういいです帰りますとあっさり帰ってしまった。やはりそうか。

 

と思った数分後にSちゃんが戻って泣きながら申し訳ありませんでしたとM副主任に詫びてきたのだ!

 

ここまでは良かった。

 

M副主任はもらい泣きしていた。号泣だ。

 

なんでお前も泣くんだよ。

 

よほど不安だったのだろう。しかし想定外にSちゃんは素直で良い子だったのだ。

 

もらい泣きのM副主任により締まりのない形であったが、彼もまた役職者として一つ壁を乗り越えた。

 

 

店舗営業は一人だけの力でどうにかなるものじゃない。

 

関わる役職者、スタッフ、業者様、そしてお客様。感謝と感謝で繋がる物語である。

 

あの時関わった皆は今どうしているのだろうか。

 

幸せであって欲しいと心から願う。

 

 

それから半年程経過した2003年春、32歳。

 

この法人で最後の担当店となる店長5店舗目のS店に異動の辞令がおりる。

 

そして同時に我々が到達した志。

 

社内において「天下布武」を掲げた全国制覇への機運が高まるのであった。