唐突ですがJanne Da Arcの2006年。
2/8 シングル『振り向けば…/Destination』リリース
3/15 追加曲を入れた再発アルバムボックス『Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOX』リリース
5/9 Janne Da Arc 10th Anniversary Special Live@難波ROCKETS
5/10 シングル『HEAVEN/メビウス』リリース
5/11 Janne Da Arc 10th Anniversary Special Live@名古屋Heart Land
5/16 Janne Da Arc 10th Anniversary Special Live@新宿LOFT
5/20 Janne Da Arc Live 2006 "DEAD or ALIVE"@さいたまスーパーアリーナ
9/20 DVD『10th Anniversary Special Live - OSAKA NANBA ROCKETS 2006.5.9 -』&『Live 2006 DEAD or ALIVE - SAITAMA SUPER ARENA 05.20-』リリース
合間にラジオやったり本を出したりありましたが割愛しています。
2006年はジャンヌとしてはシングル2枚・再発のアルバムボックス・ライブ4本、しかもうち3本はキャパ少ないアルバムボックスを買った人から抽選で参加券が送られるというプレミアムライブ。つまり参加が容易なライブは1本のみでした。
自分も5/20のライブには参加したわけですが、特にその後の活動予定も出ず、ファンはやきもきしてました。
そんな中、6月にボーカルyasuが人身事故(加害者) 。公式なアナウンスはありませんでしたがジャンヌは謹慎という名の活動休止に入るかのようにそれ以降の活動は縮小されていきました。
ラジオやイベントなどの細かい活動しかない中、秋になり、冬が来て年末を迎えます。
ファンの心理は「2006年後半は実質活休だったから、2007年こそはリリースにライブにガンガン活動してくれるはず!」
FM大阪の『BUZZ ROCK 』という番組内に『ジャンヌダルクの素! 』というコーナーを持っているのですが
1/1の放送で重大発表があるという情報が流れ、ファンはドキドキしながら放送に耳を傾けます。
結局発表はコーナーの形式が変わるという発表のみ。
ファンは2007年になっても肩透かしをくらい続けます。
そんな中、ついに来た衝撃的発表。
オフィには「Janne Da Arcとして更なる高いステージを目指すため」
キーボードのkiyoのブログでは「修業というか各々が強化合宿に出るという感じで受け止めていただけたら嬉しいです。」と発言。
とは言うもののこの界隈、ソロ活動をして解散してしまったバンドの多いこと多いこと。
それを示すかのようにネット上にあふれる不安の声。
この記事が数年後笑い話になるように祈るばかりです。
修士の審査の日。
結論。
本当に
ぎりぎりで
卒業できそう。
はいいんですけど。
以下、先生方の発言集。
「失望した」
「面白いと思えない」
「軽いのと薄っぺらいのは違う」
「修士のレベルには達していない」
「何がしたいのかわからない」
「評価されて卒業できると思うなよ」
「もうシナリオ書くな」
散々です。
自分の実力の無さが招いたことなんで仕方ないといえば仕方ないわけですが
「失望した」発言をしたのはN先生で、何に失望したかというとシナリオを面談前日に提出した(先生やらいろんな人に迷惑かけまくり)ことなんですが
それを指示(厳密には誘導だが)したO先生が一切のフォロー無かったことがだいぶショックでした。
O先生の誘導で取り入れた展開やら、面白いって言ってた展開やらを他の先生に否定されたとき、一緒になって否定する。
「お前、話合わせとるやろ!」と突っ込みたかった俺です。
大人がちょっと嫌いになった。
夕方から大学院の今年度忘年会。
結局ウチの研究室にはそこまで馴染めなかったので、1時間くらいで抜け出してちょこっとサークルに顔を出す。
珍しく、それはもう珍しく人に誕生日プレゼントを買っていたのですが、見事このタイミングで渡せて一安心。
最終シナリオ提出。
なんだかわけわからなくなって何が面白いのか何がつまらないのか、ちょっとアヤフヤだったりもします。
とりあえず昼過ぎ先生に渡して、先生が読むまで待っているっぽい流れになりそうだったが
先生にバタバタと仕事が入り、すべては明日に。
「もう(直しがあっても)どうしようもないし、明日でいいか」と先生。
直せそうやったら直させる気やったんかい。
審査をする先生に届けるため、助手の1人が京都まで行くことに(別件で結局行くことになっていたらしいが)
多少罪悪感。
「TOUR 2006-2007 going on parade」に参加。
ゴーイングみたいな非V系に参加するといつも、自分がV系に染まっていることをしみじみと実感する。
開演待ちしている時点で変な違和感バリバリ(笑)
そもそも今回のライブは4月から働き出すなら自由にライブに行けなくなるだろうということで行くことにしたライブ。
もう1年学生なら行ってないかもしれない。
「懐かしい曲をやります」で始まったのが1個前のアルバム曲(2005年2月発売)で自分は全然懐かしく感じなかった。
やっぱり次は行かないかもなーとか思ってしまうが、1st~3rdアルバムまでの昔の曲が始まるとテンションが上がってしまうのも事実。
3月に出す新曲も演ってくれ、久々にツボに入った。
夏ツアーも、予定が合えば行くかも。
そしてまた違和感を覚えるんだ(笑)
朝起きて、学校に行く。
いろんな書類を印刷して大学院の研究室に届けた後、サークルの部室に行き、打ち合わせ。
準備などをしていると最後の練習もまともに出来ないままいつの間にか本番の時間になる。
出番は3組中2組目。
それはもうグダグダな出来で、いろいろと思うところはありますが、今回の公演に関しては紆余曲折ってレベルじゃないくらいいろいろあったんで
ここで書けるようなことは何も無く。
それでも何かを書くとしたら、そもそも失うものは何も無かったのだから、後輩Kが「やってよかった」って言ってるし、自分自身でも後悔はまったく無いからよかったのではないかと。
で、自分の出番が終わったら着替えて研究室にダッシュ。
先生との面談のはずだったが「(自分のシナリオを)今読んでるから後で来い」と言われ
「じゃあ、ダッシュする必要なかったじゃん」とぶつくさ言いながらサークルに戻る。
3組目のショーを終盤から見て、片づけをしてのんびりしていると研究室から電話。
先生と面談。
とりあえず誤字を直して提出することになったが、先生が「まだ直す気あるか?」と言い出す。
駄目出しコーナー開始。
18日が審査なんで、17日に提出ということに。
事務室に出す種類に関して、字の汚さやらを指摘され、時間もそこそこあったんで余裕を持って直したら余裕を持ちすぎて、提出できたのは締め切り時間を微妙に過ぎてしまった。
事務室の人が厳しい大学だったらこの時点で卒業不可だったかもしれない。
思えば事務室の人には2年間本当によくしてもらったなあとしみじみ思う。
思いながら家に帰って倒れこむように寝た。
9時前に相棒の後輩と焼肉屋でしみじみとした打ち上げ……と思ったら、ドッキリ?で後から6人くらい人が来てそれはそれで楽しかったが愚痴とかダークな会話が出来なくなって困ったりもした。
だが、後輩に焼肉をおごるつもりだったが、後から来た人におごられたので感謝。
最後は家で後輩と格闘ゲーム大会。
実にボロボロ。
明日がシナリオ締め切りというか、修士作品に関する書類提出日なのだが明日は公演本番であるので、意地で徹夜してシナリオだけでも仕上げた。
仮眠とって、心斎橋の美容室 で公演用に色でも変えてもらうことにしていた。
明日色がついていれば大丈夫ってことで相談して、赤っぽくしてもらうことになったのだが、終わってみるとほんのりワインレッドで一瞬悩んだ。
立てたりするといい感じでほんのり赤いのだが、ステージ用としては本気で微妙でした。
意思の疎通って難しいわ。
美容室から戻り、今回の相方である後輩Kと練習・打ち合わせ。
自分の家に行き、音響編集。
すぐ終わってゆっくり寝るつもりが、2時過ぎまでかかって眠ることが出来たのは3時でした。
紆余曲折ありすぎたが明日は本番。
何度目かのシナリオ面談。
実力不足は認めるとして、なぜにいまさらそんな駄目出しを?って注文をつけられまくる。
冬休み前に渡したバージョンにあった展開や、さらに言うなら最初のバージョンにあった根本的な展開も直す方向になってくる。
わかるんだけど、わかるんだけど、もうちょっと早く言ってくれと叫びたくなる自分。
残り4日。
ひゃっほい。