仕事中だというのに、NHKのライブ討論番組「日本のこれからシリーズ」の「テレビのこれから」を観てしまった。本日、NHKでライブ放映された。
民放連会長広瀬 道貞さん、ジャーナリスト嶌 信彦さん、コピーライター糸井 重里さんはじめ、民放各局のプロデューサーが登場しての討論番組だった。また、後半は、視聴者代表? を交えての討論で、オンデマンドの台頭と、フロー情報として流れる現在のテレビの形態との比較検証が行われていた。
つまりインターネット時代のオンデマンドという視聴方法の普及によって、現在のテレビは廃れるか?という疑問に関する討論だった。
この議論、私は、何度も聞いたことがある。また自分でもそういう討論会に出たこともある。しかし、今思うのは、インターネット型の映像の視聴態度と、現行テレビのようなフロー型のテレビの視聴態度には、比較できない厳然としたフィールドの違いがあるということですね。
インターネットが普及して今のテレビが消失してしまうのかという疑問は、ある意味、何も解決しない質問なのかもしれないと思うのですね。
これらの議論は、
‥どのようにテレビ情報を選択するのか?
という前提に立って行われているわけですから、テレビかネットか、はたまた映画館か図書館か‥という情報選択をする行為の中での比較検証なのですね。
しかし、私が考える今のテレビは、
‥どのようにテレビ情報を捨てるのか?
という視点で考える必要があると思うのですね。
テレビはフローで番組が構成され、流されていくのでいい。その時間に忙しくて番組を見れないというのもまた、情報を時間の中で選ぶという行為と捨てるという行為の二つの選択肢の結果なのですね。だから、今のテレビの放映の手法で、私は十分だと思っています。番組放映の時間に見れるかどうかではなく、番組を見る行為を選択するか、捨て去るかを楽しむことで、テレビとの付き合い方が決まるというのは、それ自体が自分の体内時間のリズムにあっているということ。
現に、今、私は仕事をしなければならない時間なのに、NHKのテレビ番組を見て、その感想を書いている。でも、その時間を自分が選んだことによって、仕事をする時間を捨てた(後回しにした)のだから悔いることはない。このダイナミズムとスリリングさは、これからのテレビの生きる道だとさえ思えたのでした。
みなさんは、どう思いますか?
脳の何処かが壊れてしまうと、文字を書き続けないと死んでしまう病にかかる人がいるといいます。文字だけでなく、絵も。あるいは音楽の創造もまた‥。
脳が壊れていなくても、人間の潜在的な欲求には、表現することの衝動が常にあるように思えます。自然界の中で生物としては弱肉強食に最も弱い人間が編み出した生き抜くための方法論が、コミュニケーション能力だともいいます。
束になって野生動物や、恐竜に立ち向かう知恵を獲得し、今や、地球を支配している?ようでもあります。
だから表現することは、人間が生きること、生き抜くことそのものの原始的な衝動でもあるのでしょうね。
‥‥
とは言え、僅か数十年前までは、素人が不特定多数の方々に表現を発信する手立てはなかった。文学賞を獲得するか、同人誌を出すか‥ある種の社会的認知の場がなければ出来ない所作でありましたね。でも今は、こうしてブログがあり、SNSがあり、メールマガジンがあり、勿論、紙媒体があり‥。
潜在的な表現欲求を充足できる方法が、バーチャルな世界に出来上がると、日本人のほとんどがそこに参加しているように、巨大な表現衝動の集団が出来上がっているのですね。これは、生きることと同義語だから当然といえば当然‥。
そして、こうした世界がなければ、ほとんど出会うことがなかったであろう方々と出会うことができる。それもまた、魅力と言えばいえますね。
書きたい衝動に従って、何でもいいから書き続けていくと、その先に不思議な未体験ゾーンが開けてくる‥これは確かです。大いに満喫しましょうよ!
‥彼岸に、父母の墓前で‥。
風が吹いてきて、お線香の煙が眼に沁みた時、ふと思ったことでした。
脳が壊れていなくても、人間の潜在的な欲求には、表現することの衝動が常にあるように思えます。自然界の中で生物としては弱肉強食に最も弱い人間が編み出した生き抜くための方法論が、コミュニケーション能力だともいいます。
束になって野生動物や、恐竜に立ち向かう知恵を獲得し、今や、地球を支配している?ようでもあります。
だから表現することは、人間が生きること、生き抜くことそのものの原始的な衝動でもあるのでしょうね。
‥‥
とは言え、僅か数十年前までは、素人が不特定多数の方々に表現を発信する手立てはなかった。文学賞を獲得するか、同人誌を出すか‥ある種の社会的認知の場がなければ出来ない所作でありましたね。でも今は、こうしてブログがあり、SNSがあり、メールマガジンがあり、勿論、紙媒体があり‥。
潜在的な表現欲求を充足できる方法が、バーチャルな世界に出来上がると、日本人のほとんどがそこに参加しているように、巨大な表現衝動の集団が出来上がっているのですね。これは、生きることと同義語だから当然といえば当然‥。
そして、こうした世界がなければ、ほとんど出会うことがなかったであろう方々と出会うことができる。それもまた、魅力と言えばいえますね。
書きたい衝動に従って、何でもいいから書き続けていくと、その先に不思議な未体験ゾーンが開けてくる‥これは確かです。大いに満喫しましょうよ!
‥彼岸に、父母の墓前で‥。
風が吹いてきて、お線香の煙が眼に沁みた時、ふと思ったことでした。
カシオペアのキーボーディスト向谷 実さんの「鉄道の音」(アスキー新書2009年3月10日刊)を読んだ。ミュージシャンであり鉄道マニアでも有名な向谷さんの「音の感性」に関する告白本と言っていいかもしれないな‥。
最近の駅は音楽に溢れている。大宮のJR鉄道博物館のD51展示の開発に関わり、九州新幹線の発車メロディを創作した人物による、鉄道と生活音との関係。いわば鉄道の音は、生活の音。そして向谷さんの子供のころから成長していくまでの環境の音との係わりが書かれています。
意識してみれば、鉄道の音は私達の身近な音楽でもありますね。
駅の中だけでなく、遠くに汽笛が聞こえる‥郷愁の音楽でもありました。(アリスの楽曲や古くは萩原朔太郎の夜汽車の詩も鉄道の音が題材だったんでしたね‥)
鉄道に乗れば、線路がきしむ音、車掌の喚呼の声、アナウンス、ガードを通過する音‥たくさんありますね。
そして思います。
私達は、生活雑音の中で暮らしていて、ほとんど自分の意識の中では、音を聞いていないと‥。聞こえてはいるけれど聞いてはいない音に囲まれて生きている。その中で、ある音に注意して聞いてみると、そこには不思議な音楽の世界がある。生活環境は、音楽で溢れていることに気づきます。
そんな「視点」、いいや「音点」を気づかせてくれるマニアックだが温かい一冊でした。
コブクロの桜は、
‥桜の花びら散るたびに 届かぬ思いがまた一つ
涙と笑顔に消されてく そしてまた大人になった
と歌っていますね。
そして、福山雅治「桜坂」、森山直太朗の「さくら」、ケツメイシ「さくら」等など、ビックヒットした桜歌はたくさんありますが、そのどの歌詞も皆、共通しているのは「悲しみ」「別れ」などがキーワードになっていることでしょうか?
桜の季節は卒業の季節でもあり、また職場でも異動の季節でもあり、引越しの季節でもあります。日本人の感性は、この3月の季節に「変化」する傾向がありそうで、そしてだからでしょうか? 本当に短い時間で散ってしまう桜の美しさと悲しみがマッチングしているのかもしれませんね。
私もまた、この3月、一つの大きな変化がやってきます。
今年の桜は、どんな風に映るのでしょうか?
‥桜の花びら散るたびに 届かぬ思いがまた一つ
涙と笑顔に消されてく そしてまた大人になった
と歌っていますね。
そして、福山雅治「桜坂」、森山直太朗の「さくら」、ケツメイシ「さくら」等など、ビックヒットした桜歌はたくさんありますが、そのどの歌詞も皆、共通しているのは「悲しみ」「別れ」などがキーワードになっていることでしょうか?
桜の季節は卒業の季節でもあり、また職場でも異動の季節でもあり、引越しの季節でもあります。日本人の感性は、この3月の季節に「変化」する傾向がありそうで、そしてだからでしょうか? 本当に短い時間で散ってしまう桜の美しさと悲しみがマッチングしているのかもしれませんね。
私もまた、この3月、一つの大きな変化がやってきます。
今年の桜は、どんな風に映るのでしょうか?
玄侑宗久禅師の「観音力」の続きです。
観音様の特徴は、33に変化することと言われているそうです。
33という数字は、無限にという意味だそうです。
(千手観音が流行しましたね。千の手とは、どんなことにも応ずる力のようです)
人間の様々な苦しみに対応するために、その人に合わせて無限に変化する力を観音様はもっている。この応じて変化する力を「応化力」(おうげりょく)というのだそうです。
私はこんな人間だ!と決め付けるのではなく、色々な状況に応じて変化することができる力を信じること。本来の私、これが私の本質などというものは、そもそもないのだという考え方ですね。だから、状況に応じて最適な選択をする。そのこと自体悪いことではないという指摘です。
良くいえば柔軟性、悪く言えばいい加減?
自分が見る自分の姿は、他人が見る自分の姿とは恐らく相当違う。他人から指摘される自分の欠点などに出会うと、衝撃が走る。だから自分を客観視することができないと、そういう他人からの指摘に右往左往することになる。応化する力を信じるならば、それは、長所でもあるのですね。
何となく自信が沸いてきます。
でも、そんな理屈をある人に話していたら、こんな風に罵られました。
‥そんな都合のいい言葉はないわ!
それは単なる自分の優柔不断を正当化しているだけじゃない?
はは。優柔って悪いこと?
観音様の特徴は、33に変化することと言われているそうです。
33という数字は、無限にという意味だそうです。
(千手観音が流行しましたね。千の手とは、どんなことにも応ずる力のようです)
人間の様々な苦しみに対応するために、その人に合わせて無限に変化する力を観音様はもっている。この応じて変化する力を「応化力」(おうげりょく)というのだそうです。
私はこんな人間だ!と決め付けるのではなく、色々な状況に応じて変化することができる力を信じること。本来の私、これが私の本質などというものは、そもそもないのだという考え方ですね。だから、状況に応じて最適な選択をする。そのこと自体悪いことではないという指摘です。
良くいえば柔軟性、悪く言えばいい加減?
自分が見る自分の姿は、他人が見る自分の姿とは恐らく相当違う。他人から指摘される自分の欠点などに出会うと、衝撃が走る。だから自分を客観視することができないと、そういう他人からの指摘に右往左往することになる。応化する力を信じるならば、それは、長所でもあるのですね。
何となく自信が沸いてきます。
でも、そんな理屈をある人に話していたら、こんな風に罵られました。
‥そんな都合のいい言葉はないわ!
それは単なる自分の優柔不断を正当化しているだけじゃない?
はは。優柔って悪いこと?