『家族じまい』 | てこの気まぐれ雑記帳

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グータラ婆が気ままに、日々の出来事や思ったこと、感じたことを、適当に書き綴っています。なんでも有りの備忘録的雑記帳です。

とうとう年を越してしまった読書歴。どうでもいいようなものだけど、一応「備忘録としての記録」なので、簡単に記しておこうと思う。

2023年10月21日、19冊目の『家族じまい』(桜木紫乃。鈴木聞太解説。集英社文庫)読了本

「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」妹からの電話で実家の状況を知った智代。かつて横暴だった父が、母の面倒をみているという。関り薄くいられたのも、お互いの健康あればこそだった。長男長女、墓守、責任という言葉に距離を置いてきた日々。妹は二世帯同居を考えているようだ。親孝行に名を借りた無意識の打算はないか。家族という単位と役割を、北海道を舞台に問いかける傑作長編。(裏表紙粗筋)

 

 

・第一章 智代 ・第二章 陽紅 ・第三章 乃理 ・第四章 紀和 ・第五章 登美子……の5章で構成。

各章の人物の、家庭の事情、家族関係、親子の感情…などを中心に展開するので、長編というより連作小説のような。

でも、最後にはしっかり結びついて、一種の「輪」が完成する見事な結びだ。

 

元床屋だった猛夫は82歳。何度も儲け話に飛びついては失敗。今は賃貸アパートの上りで暮らしている。

80歳になった猛夫の妻サトミは、認知症を患ってしまった。

何度言っても分かってくれない妻に、しばしば手をあげてしまう自分に猛夫は耐えられないのだが、サトミは殴られたことを忘れてしまう…猛夫の気持ちが苦しくて切ない。

 

そんな2人の娘である理容師の智代と、受験生を抱えている専業主婦の乃理。

自分勝手で傍若無人だった父とは絶縁状態の智代だったが、時々連略を取り合っている乃理は母の様子を知って、二世帯住宅を考えている。

 

智代の夫・啓介は農家の長男だけど、家を出てサラリーマン。

跡を継いだ56歳になる弟・涼介が、28歳の陽紅を妻にするという。墓守の欲しい母親が、農協の窓口業務の陽紅を嫁にと、強引に話を進めたのだ。農協の窓口業務は「嫁の斡旋事業」の最前線なんだそうだ。

 

両親が離婚しているが、大人になってからも父親から時々お小遣いをもらっているサックス奏者の紀和。

ある日、名古屋から苫小牧に向かう船で演奏したところ、老夫婦がチップをくれた。それが、最後の夫婦旅行中の猛夫とサトミだった。ひょんなことからしばしサトミを預かった紀和は、猛夫の心情も智代の事情も知ることに。

 

サトミの姉・登美子にも2人の娘がいるが、60歳と58歳になる2人とも、母さんを捨てる時が来たと感じている。

でも登美子は生き生きと元気だ。親子関係は希薄だけど、姉妹関係は優しさに包まれていて、この小説の中でホッと安堵できる唯一の場と思う。

 

夫婦・親子・兄弟姉妹…家族だからといって、みんながみんな仲が良いわけでもない。

家族でも、それぞれ立場が変われば、見方も感じ方も捉え方も違ってくる。みんなそれぞれに、事情に足を取られながら歩いているのだ。

 

「無感動という武器があれば過剰に傷つくこともない」

「やらなかったことと、出来なかったことって、同じなかったことでもずいぶん違うなあ」

「家の儀式や関りに蓋をしてきた家庭の子供たちは、同じく儀式に関心の薄い子として育つ」

「終わることと終えることは違うのだという思いが胸の底めがけて落ちてきた。(中略)――自発的に「終える」のだった。終いではなく、仕舞いだ。」

「人間関係は勝ち負けで自分の気持ちを落ち着けるしか術がないのだ」

「頭がしっかりしてるのは、痛いも痒いも最後までぜんぶ覚えておけっていう何かの罰かもよ。(中略)ひとりで風呂に入れる毎日は間違いなく幸せなことね」

「忘れてよいものは、老いと病いの力を借りてちゃんと肩から落ちてゆくようになっているのかもしれない。」

「事情の許す人間が、事情の範囲内で動けばいいことなのだ。」

 

親の終活・二世帯同居・老々介護……そろそろ終活を考え、老々介護の覚悟が必要になってきた自分の事情をおもんばかった時、なんとも辛くて重苦しい作品を読んでしまったのだろう。

家族じまい→家族をしまう…なんと重い言葉だろう。

 

さくらぎ・しの=1965年4月19日、釧路市生まれ。釧路東高等学校卒後、裁判所でタイピストとして働いていたが、24歳で結婚を機に退職。夫の転勤で釧路市、網走市、留萌市などに住んだ。「北海文学」同人として活動し、2007年『氷平線』で単行本デビュー。02年『雪虫』で第82回オール讀物新人賞、13年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞、同年『ホテルローヤル』(2017.02.28記)で第149回直木三十五賞、20年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞をそれぞれ受賞。金澤伊代名義で詩人としても活躍している。15歳の時に父親が、釧路町でラブホテル「ホテルローヤル」を開業、部屋の掃除などを手伝っていたという経験がある。