今日は死ぬのにもってこいの日 -18ページ目

神は“自動販売機”ではない

信仰に絡んだ少し重いテーマの話をします。
そういうのが嫌いな人は読まないで下さい。

これから書くことは僕個人の信念であって、
他の特定の信や誰かを否定することを
意図して書かれたことではありません。

ただ、自分が今まで生きてきた人生の中で
感じたこと・考えたことを総合して、
自己責任で以下の文章を書きます。


●自動販売機のような信仰について


現世利益をうたう宗教においては、
その分野の神であったり信仰を持つこと
によって救いが説かれます。

例えば、難病が治ったり夢が叶ったり
素晴らしい人生が送れるといったことです。

しかし、神が人智を超越した存在であると
するならば、これは矛盾しています。

超越した存在である神を、どうして小さな
人間が動かすことができるのか。

この世界に生きるということは、
人智が及ばない領域があることを
学ぶ過程でもあると思います。

病気や事故や死はコントロールすることが
できない。

人は勝手に生まれて、勝手に死んでいく。

ただ人は無意味に耐えられない存在ですから、
そこに各々が勝手に意味を付与するわけです。

愛、充実感、達成、歓喜、etc..

耳心地の良い言葉ですが、ちょっと考えてみると
これらの感情に実体はないことが分かります。

しかし、これらの感情を追及することで少なくとも
無意味に囚われることなく生きていくことが
できる可能性があります。

あるんだけれども、問題なのはこれらすべてが
人間によって考えられた一方的な都合にしか
過ぎないという点です。

つまり、そこに神の存在は関係ない。

しかし、ある信仰においては神に祈ることによって
これらのことが叶うと説かれます。

あたかも自動販売機にコインを入れてチャリンと
ジュースが出てくるようなインスタントな底の浅い
信仰に感じます。

本来ならば、神とは信じることで人智の及ばない
出来事を自然のものとして受け入れてくれる
強さを与えてくれる知恵なのではないかと僕は
考えます。

「ラインホルド・ニーバーの祈り」という
僕が好きな祈りの言葉があります。


~~~~~~~~~~~~~~~
主よ
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両社を見分ける英知を我に与え給え。
~~~~~~~~~~~~~~~

変えられないものは結果です。

どんな結果であってもそれがベストを尽くした後
であれば、僕は甘んじて受け入れます。

ただ、どうしても受け入れられないことに
遭遇したときは、おそらくそれを受け入れる
強さを与えてくれることを必死に祈ると思います。

僕は無宗教ですが、人智を超えた何かに対して
は常に畏怖の念を持っています。

そして、自分を超えた何かに突き抜ける為に
僕は今日も頑張っています。

それが僕にとっての信仰です。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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