Anenzephalia-Farments Of Demise
The Grey WolvesのPunishmentがめでたく再発予定となった今、Tesco周辺で再発されてしかるべき古典といえばLes Joyaux De La Princesseの諸作品と今となっては考えられないことに1993年にRRRから出たこのAnenzephaliaの1stLPであろう。既に1991年の1stEP「Lyse」時点で機械の闇を完璧に作り上げていた彼はさらにそれを発展進化(深化)させる訳だがこの作品には2ndLP以降の彼の作品には見られなくなった数々の「音楽的」仕掛けがあり、そのセンスの良さがこの作品をより魅力的なものにしている。例えばそれは熱量の感じられないヴォーカルが堕ちていくシーン、何語ともつかない子どもの歌う声、仰々しいオーケストレーションの様なもの、打撃音、長閑な音楽が電子音とNS関係者の演説に侵食される情景、Esplendor Geometricoがさらに出来損ないになったようなリズム、以降の諸作品では影を潜めた乱暴な白痴的ヴォーカルなどである。これらのものが典型的Anenzephaliaの音に被さり、前後し、作品に色合いを添える。ただそこは矢張りAnenzephalia。これが俺の本質だと言わんばかりに作品の始まりは白痴的妖気が揺らめくような幕開け、そして暗く重い幕切れとなっている。コレクターアイテムとされるには惜しい名盤。
Anenzephalia-The world as it used to Exist
2016年にドイツを訪れた際にB.Molochは「俺は20年間活動してきたが(世の中は)何も変わらなかった。だから俺は活動することを止めた」と少しく激した調子で私に話した。その気迫に飲まれた私は碌な返事をしなかったように記憶している。
2017年のTesco30周年のイヴェントには参加しているが恐らくは彼の中では「これが最後」という思いがあったろう。ところが2023年9月のTOWER TRANSMISSIONS IXにまさかの出演。その際に女性ヴォーカリストがいた為、「あれは誰だ?」と一部で騒がれたが彼女はB.Molochの実の娘であり、その後も、私が知る限りでは、2回ライブを行っている。
此処に収められた6曲は全て新曲との事なので彼女も何らかの形で曲作りに関わっていると思われる。実際、今までのAnenzephaliaに無かった音色やリズム、また、当然ながら、女性の声も聞こえるようになった。上記のライブの感想としてFreak AnimalのMikko Aspaは「昔の楽曲を懐かしむ声もあったが新しい展開として期待したい」という様な趣旨の事を述べていた。私も同感である。確かにこの作品の中にはかつての作品にあったような聴き手を圧殺するような重苦しい雰囲気は減っている。ただその減った部分が減ったままに何もない状態で残っているのではなく、そこに新しい息吹が宿っているのだ。そこから何かが生まれ出るのを楽しみにしながら聴き続けるのもまた楽しいことであると思う。
ただ、重要な事であるが、彼(ら)の世界観は変わっていない。下に引用した社会を挑発している様なStatementを読んで見て欲しい。約10年の眠りを覚ますほどの闘争心が彼(ら)の中に今、あるのだ。Wir kommen wieder! 心から歓迎したい。
Welcome to the final semantic world war!
Here we go again: Back in times of great need with 6 brand new songs of heartwarming happyness.
Do you remember this planet a borderless, totalitarian hightech concentration camp with bondless inmates fighting each other for better living conditions in order to survive? You better do not, since for sake of diversity and tolerance it is forbidden to speak about what you have in plain sight. Anenzephalia is framing your world as a conspiracy of sociologists, pharmacists and philantrophists and nudging you to consciousness with its official resurrection after almost 10 years of laying down to die in the woods with death being not in time.
Wir kommen wieder!
noeahem untergrund bewegung mmxxiv
Sakevi + Jojo-Mammalia
日本インディーズ最後の徒花、MAP ( music as possibility )の元で出された恐らく唯一のレコード。ラジオ短波傘下のレーベルより。
「この病院では患者の方が死んだ時には」~「わたし、患者ですよ」という出オチから始まる一作だがとても笑っている場合ではない気持ちの悪さ。この後もインタビューは「死ぬことに関して」、「死、死についてあなたはどういう風に思っていますか」などと扁平な男の声で続けられ、答える女性は「わかんない、わたし」など少々の怒気を含め答える。病棟内のアナウンス、患者が死んだ際の手続きについて述べる男性の声。バックには紙をぐしゃぐしゃと丸めるときに出るような音と冷厳な遮断音とギターノイズ。この一曲目は中々強烈でネットを見ると怖くてその後聞いてないみたいな記述もあった。
fool's mateにもレビューがあり、現物がないので記憶で書くが、「ヴァイオレンスと言う言葉では語り切れない暴力」みたいなことが書いてあったように思う。(性格の悪い)子ども心に「ああ、褒めないといけない人が作ってるけどどう褒めていいかわからないんだな」と考えたが確かにこの音内容をどう言葉というか既存のジャンルに当て嵌めれば良いのかはあれから30年以上経過した今でも悩む。あの頃のFM誌の常套句「垂れ流しオナニーノイズ」と言う言葉は色んな意味で使えなかったろうし、そもそも音自体垂れ流しではなく、A面の四曲(乱暴に分けるとノイズ、リチュアル&オカルト風ノイズ、ハードコア風、ダークアンビエント&電子音響)はそれぞれ異なった曲調を持ち、B面の長大な一曲も膨大な広がりを持つ深海を行く異形&高い知能を持つ哺乳類(私はthe stalinのfish innを思い出すのだが)を想起させる起伏に富んだもので垂れ流しどころではない。
じゃあ一体何なんだと言われると感想を述べるしかないがA面は「邪気」に満ち溢れてるとでも言えばよいか。いつか紹介したいがフランスのオカルトノイズユニットOrganisation Tothの10インチを二曲目などは思い出させる。B面は上記の通り。Bad Sector,INADE辺りを挙げればよいのだろうが勿論、それだけで片付けられるものでもないので一聴することをお勧めするしかない。
INCAPACITANTSのREPOとこのLPが初めて聴いたノイズの一群と記憶しているが最初から良いもの聴けてたなと思うことしきり。このLPもアウトトラックなどあればそれも含めて再発して欲しい一枚。ただ再発されるために再発される様な作品でないことは間違いない。
DN.Aideath - Hymne Gorok
ここ数年でリリースされた諸作品を思い返せば矢張りヴェテラン勢がその名と実績に相応しい作品をものしたなという気がする。逆に全く無名の新人で目を引いたのがSporofilic Vesselが2022年に発表したAstral Deathとのsplit=Caustic Emanations Of The Abyss(下段)と今回紹介する DN.AIDEATHである。
聴き終えた後、「インドネシアに行っておけば良かった」と思った。ここにある明らかに欧米のデスインダストリアル勢のそれとは異なるの雑音群が実際に彼の地にある(音だけでなくそれが持つ雰囲気として)ものなのか作者の創造:想像であるかを知りたいと思ったのだ。ノイズはおろかパワーエレクトロニクス、デスインダストリアルまでをも産出する「社会」を持った(「社会」行きついた)インドネシアという国の何処かに実際にその様な音があるのかを見ておきたかった。
勿論、これは局外者の感傷:独りよがりに過ぎず奇形的音楽を産出する前のインドネシアにはまた別種のあからさまな病理と狂気があった。その一例としてDN.Aideathが揚げたのが1965年の軍が一般市民、共産主義者に対して行った内乱である。雑音群を使用したDN.Aideathのpsychological war narrativeはこれがデビュー作と思えないほどに精巧なものであり、作者がこの作品に籠めた真摯な念がそのまま憑依したかのようだ。調べられる限りで曲名を訳していけばそこから生々しさ、血腥さ、物言わぬ物の持つ圧迫感とそれがもたらす恐怖が立ち現れる。これらの曲名が決してこけおどしに見えない形で作者により今も何処かに残っている邪気、悪意、恐怖、悲鳴、狂気、絶望、事が終わった後の静寂が丹念に拾い上げられ音として加工されこの一作品の中に充満している。
以降、どの様な作を作者がリリースしてくるかは不明であるが若し歴史にこだわる作品が提示され続けるなら日本人として過去を突き付けられる可能性も無いとは言えない。そしてそれは強烈なものになるであろうが、何の慰めにもならないが、何を題材にしても作者はこの作品で見せたように非妥協的(非常に個性的であることを含む)であるだろう。
兎に角、名作であるのでパワーエレクトロニクス、デスインダストリアルをただ自分だけの為「真摯」に聴いている方々にはぜひ聞いてみていただきたい。
COV OPS -New Agenda / The Way Forward
TNBの様なジャケが発売当初から気にはなっていたもののこちとらはアレ系のノイズの収集で精一杯。FAの事だから内容は良いのだろうが貧乏アルバイト風情が手を出す余裕のあるモノではあるまいと入手をためらっていたCOV OPS。中古品が安く出回っていなければ購入することもなかったろう。
送られてきたモノを開いてみる。まずは2023年の「新課題」。第一次大戦と思しき戦死者の写真の上に「死の超過を支持せよ、やり直すことでお前の魂を洗い清めよ、羊達は屠殺場へ、狼達は玉座へ」と書いてある。ギョッとして裏を見る。COV OPSはCOVERT OPERATIONSの略だとわかる。その下には冷酷な宣言がなされている。
消去対象:
1.文化
2.性差
3.意志
4.自由
5.歴史
6.宗教
まるで90年代のデスインダストリアル勃興期ではないか!
2024年の「進む道」には
消去対象:
1.抵抗
2.国境
3.あらゆる人間の力
4.中間層
5.伝統
6.人権
7.ナショナリズム
8.家族
9.平和
10.愛と調和
とあり、ジャケットを開くと一般市民の虐殺死体とともに「傾聴!権力者たちの意を体現した単純な語り口を使え。その語り口をメディアを通じて伝播せよ。そして会話、談話の力を弱め、権力と操作の影響力を強めるのだ」。
これを買い逃していたら全くアレ系収集者としての資格無しと言われても仕方がないほどのハードコアさ。この冷厳さとFAからのリリース(本人はどうやらフィンランド人ではないようだが)であれば内容はお墨付き。ハーシュノイズが前面で荒れながらも時にその奔流が止まると恐ろし気な支配機構が浮かび上がる構図。総統演説、何処とは言えない所から降りてくる命令、責任の所在もわからぬ官僚機構から垂れ流されてくる通信、感情の欠片もなくただ何度も何度も繰り返され画面上に表示される電文とその突然な途絶、権力による無慈悲な人々の蹂躙、何かが終わったのではなく何かが始まる前の静寂、故意に秘密めかした表現、すべてを覆いつくす無機質なもの。2024年の方の最後はそこそこ典型的なパワエレだがそれ以外はノイズともインダストリアルとも言い切れない独特の雰囲気がある。
改めて消去対象のリストを見る。良く考えればそれは目新しいものでも何でもない。我々が日々、自ら放擲しているものが殆どだからだ。実際、秘密裏に作戦が行われていたとしても煽られ彼らの都合の良いようにリストに揚げられている物を投げ捨てているのは我々自身の意志と手なのである。
Industrial Society Vol.1 @桜台Pool '24年9月28日
LINEKRAFT
本日はバックの映像なしで演奏。今回は己れの暴力性をある程度制御したタメのある演奏のように聞こえた。それでも十分に説得力と迫力を(映像の助けなしに)感じさせてくれるのは提示された音楽が「アーティストと作品は別」という言い訳(大物俳優や雇われ”アーティスト”ならともかくアンダーグラウンドにいるものに関してはアーティスト=ほぼその人という連中はいる)からは遠く離れた所にあるからであろう。渡された紙片に「大馬鹿者の純粋なる発狂」と書いてあればそれはそのまま大久保さんが発狂しているということであり、「気違い」とあれば彼が発狂の挙句にそうなったという事実の表明であり、「理想主義者馬の骨」とあればそれがそのまま名刺の肩書のようなものであるということなのだろう。最後は会場の電気を落としてのアジテーション。SNSに溢れる虚飾の「成功崇拝社会」的「オナニー大展覧会」では無く、「犬死」?「それが何するものぞ」などうで死ぬ身の一踊り(@藤澤清造&西村賢太)
金属太古&SANDERSONIA
SANDERSONIAさんはよちよち歩きのお子さんを背中に背負っての演奏。こういうほのぼのした光景はPoolで初めて見たな。当たり前。金属太古さんの鉄板とドラム缶などが奏でる残響音豊かな金属音は時に高鳴り、時に潜航する。それに合わせて弾かれるエレクトリックヴァイオリンの旋律の作る空間は時にBURZUMなどの北欧BM勢などがそのアルバム上にぽつりと置いておくアンビエントトラックの様な雰囲気を思い出させた。まるでそれは自分(人間)が忘れてしまった太古の言語を聞いているように懐かしく、もっと集中すれば何かの切っ掛けで意味が分かるのではないかとすら思わせるようなものであった。お話しする機会があったが羅入さん、石川雷太さん(混沌の首)と大阪で一緒にライブをやった方だったと再確認(その時は金属太古さんのみだったはず)。
WELCHES LOCH
キャラ立ちした4人組が鉄素材を叩く叩く。昔、電子雑音で誰かが人力インダストリアルと誰かを評していた記憶があるが彼らにもその言葉はあてはまるだろう。その鉄をぶっ叩く音のスピードはライブ中盤でその速度を上げに上げ、聞きなれた常道のリズムを超越し、度を越した領域にまで到達していた。フットペダルの一踏みで垂れ流されるノイズと4つの打撃音の相性も素晴らしい。法螺貝を吹き、グラインダーで火花を散らし、非常ベルの音を鳴らし、曲の合間に客を和ませ煽る。メンバーの一人、多門伸さん(先の大阪のフェスでGENOCIDE ORGANが使用した鉄板を作成して頂いた方)はある雑誌で自分達の音楽を「陰鬱な楽曲が多い中においてハレの音楽といった有効性を表出している祝祭としてのインダストリアル」と述べていらっしゃる。私=馬鹿風に言い換えたい。「野卑なお祭り音楽である」と。終盤では多門さんが機材の上に仁王立ちしヴォーカルを取る。何を言っているのか聞き取りたく思い、耳をすませたが、「牛若丸~の時の町田町蔵の声に似てるな」と全く関係ない連想とか「エストニア語?イディッシュ語?」とか思ったが答えはエスペラント語。英語を安易に選ばぬところはその思想故か、詳しくは記さぬが色々と稀なお話を伺うことができた。
知人の感想=「あっと言う間でしたね」。本当に良いイヴェントでした。
写真はカシューナポリ/MMさんから頂きました
暫定ですが写真があげられないため、リンクを貼っています
昨日の写真をカシューナポリ/MM さんから頂きました。上手く写真がアップされないのでリンク用に。何だそんなのも分かんねえのかよと言う人は助けてください pic.twitter.com/GfWgkmmKMa
— 帝都音社・Y (@_2620255725252) September 29, 2024
GRUNT-MYTH OF BLOOD
私が所謂ノイズへの向き合い方で影響を一番受けたのはMikko Aspaだったと思う。「ノイズの為のノイズ」、「コンテンツのあるノイズ」という言葉「は彼が言いだしたことかどうかまでは知らないがFreak Animalから出たZineにそれらに対する言及があり、今自分が聴いているノイズとそれを取り囲むものに違和感を覚えつつあった私に一つの突破口を与えてくれた区分けだった。また「ブックレットに書いてあることはしょうも無いが音は良い」というレビューも「何やこのふざけた文章は」と同じブックレットを読んで思った私の不快感に同意する人間がいると分からせてくれた。その他の言は、彼へのインタビューがあるので未読の方は読んでいただければと思う。
「この様な音楽を作るからにはそれなりに気骨のある人間であってほしい」という私の甘えに一番に応えてくれた人々の中に彼がいる。その気骨のあり方はその非妥協的なパフォーマンス、音そのもの、そして歌詞にも遺憾なく現れ出ている。WhitehouseのBuchenwaldを思わせる音調と共に主導者として黒旗を振り、「古き良き時代の欧州の御霊が影の内から蘇る」から始まる詩は続きを書けば2013年でも2024年でもレッテルを貼られるのは必定の物。「あなたは他の人と同じように幸せを感じないの?」、「この富の満ち溢れる世界に満足していないの?」、「あなたが必要としているものがここにはないの?」。こんな会話が無言のうちに交わされているならそれは単なる質問なのが、それとも尋問なのか?フィンランドのディープエコロジストの過激な論説、その結果としての人に何の感傷も生じさせない集団墓地。AHが監獄で書いたという本からの引用(同じ詩にA.R.とあるが誰か御存じであればご教示ください)。最後の詩はそれから生じる痛み全てを引き受けてもよいという事か?これらの事が多彩な曲調と共に提示される。ノイズもコンテンツも生半可なものではない。どちらも中途半端な態度や嘘で作られたものではない。「お前は何のつもりで」と問えば返って来るのは愛想笑いや誤魔化しではなく、自分の意を心から語りかけようとする真摯な「人間」の言葉であろう。
Perstrepo-Forces of Hate
仲間内でSPKオジサンという言葉がある。要はSPK以降の動向を知らず、そこで時間が止まっている事。日本のバンドでならユンボオジサン、子どもが生まれてから初老と呼ばれる年になるほど前の話を未だ一定の周期で繰り返している。そのうち我々も大阪オジサンになるかも知れんなという所でオチが付く。我が身を振り返り、「真の”デス”インダストリアル」とか「ズンドコの為に轟沈」と言ってるお前はどうなのかと思うが決定的な違いは今、ユンボでライブハウスをぶっ壊してる奴は恐らくいないが憎しみに凝り固まりズンドコの様な賑やかしから遥か彼方の所で恨み節を奏でる連中がコンスタントに現れ出てくることにある。何故、誘惑の多いこの時代にかくもモノクロのどす黒い情念を何らかの呪いの様に吐き出すのか。
デンマークのPerstrepoもその一人。「憎しみの軍団」というツッコミどころのないタイトルで初登場。この手の人を紹介する度に灰色とか陰鬱、陰惨と言う言葉を馬鹿の一つ覚え宜しく使っているが他に形容のしようがないのだから仕方がない。寄せては返す白黒の音の波、ヴォーカルが抑え気味の為にその不明瞭な外郭はますます歪んで見える。無骨な外観の塔が用途も知らされぬままただ建てられる。戦略はただ実行され対象は派手な戦闘もなく瞬時に一掃される。新たな指導者のスピーチは故意に雑音と混じり合わされ不明瞭なまま。暴力事件が報じられる横で邪な何かの声・音が発せられる。不安を倍加させるような空白地帯が生まれるがその中でも不明瞭な声は止むことなく続く。初めて作品全体に動きが出てきたと思いきやその動きは立ちどころに感知され、寸断されてしまった。

BIZARRESSMANI-N.PAIN MASTER
「普通である」という概念から全く外れた者、抗鬱剤を飲み続ける那智、死後ただ灰と化すことを望んだマニヤ。この三者が那智絡みのポルノを題材としたならば結局は唯の小市民でしかない軽薄なサブカル人間が己のDVDコレクションを眺めながら悦に入り、オナニーに耽る風景が音に変換されているなんぞという期待外れ甚だしい物に終わる筈もない。
その盤面は荒涼とした都市郊外の強制収容所に代わり、一音一音が牢屋内にいても何処からか聞こえてくる悲鳴や怒号となる。「那智ユニフォームがあればオナニーが出来ますよ、僕は(凄いでしょう)」という俗な世界を越え、まずはMASTERの居場所をその因業極まりない妄想の中に作り出すことが彼等には必要なのだ。もっと言ってしまえば、ジャケにある通り、オナニーではなく実践あるのみなのだ(しかし自分の行為を写真に撮って音楽作品のアートワークにするというのも冷静に考えると凄い)。
しかしポルノを題材としながらこの色気の無さは一体なんだろうか。ありがちな素材であろう女性の嬌声や悲鳴、男性の笑い声や怒号なぞは一切なく「ノイズ」=雑音という観点からのみ見てもなお、此処にある音群は無愛想極まりない。神経を苛立たせるような高音が挿し込まれ、ずっと聞いていると白痴になりそうな金属音が連続し、薄汚い何かが地を這いずり、意志を持っているような摩擦音が聞こえ、そんな中で不意に人間が立てているだろう音が聞こえてきてもそれは陰鬱極まりなく、発せられた音は虚空へ消えて行き、どこか遠くの方で聞こえる叫び声はどう考えても何か気持ちいい事をしているとは思えない者のそれ。
見事にDISCOGSでも発売禁止となってるようだがそんなことを気にする連中であるはずもない(一人は既に虚無世界で楽しんでいるでしょうし)。一番驚くのは、若干繰り返しになるが、ただ「ノイズ」の面のみを切り取ってもそのクオリティの高い事。どう三者が入り乱れたかは全く不明だが、これだけの個性が揃いながらも完成品が全く破綻していないのは見事としか言いようがない。
BIZARRE UPROAR - Indoctrination Of Fist & Cock
過日ある現代芸術家が「ノイズ音響系パフォーマンスユニット」にてパフォーマンスを行う予定と知った。この現代芸術家を好きなのでその個人に対して含むところはないのだがやはり電子雑音時代から「スノッブ、サブカルはこの作品を聴くな」等と馬鹿の一つ覚えの様に唱え、尚今も思い続けている馬鹿の身からすると矢張り慊い(あきたりない)ものを感じる。何故これが「ノイズ」ユニットであり、例えばNSBMユニット、ハードコアパンクユニット、演歌ユニット、ポンチャックユニットなどなどではないのかと。「ノイズ」は脇が甘いのではないかと。
2年ほど前、阿佐ヶ谷でのイヴェントで「何故、パワエレ&インダストリアルが好きなのか」と問われ、「サブカルに侵食されないような面があるからです」と答えた。さてそれもパワエレ&インダストリアルという土壌が出来てしまった今、どこまでその孤塁を守り続けられるかは正直、疑問符が付く。ノイズなどは言わずもがな。ではどうするか?「俺は神の様に単独者でありたい」と男は考えた上、己がこぶしを振り上げてみた。そして「これだけでは足りない!」と言わんばかりに己が怒張した(角度は微妙ですがしてますよね?これは)イチモツを取り出し、写真を撮り、それを作品のジャケットとした。それがこの Indoctrination Of Fist & Cock である。
煙幕の様に己の周りに鉄の軋む音、濁音、単調なリズムを張り巡らし、そこから遠く離れたところで血と精液とラバーを纏った神(自分)とカレリアから来た女達とでマントラを唱える男(広い空間を感じさせるこの辺の下りは、リチュアル系を思わせる程に不気味)。その事で何を成就しようと考えているかは分からないが部外者立ち入り禁止な濃密閉鎖空間が作品中ずっと保たれている。「ここはお前らの居場所ではない」と音全体が語っている。
2,3の人が言うのも聞いたことがあるが、端折って言うと、「ノイズなんて聞く時点でどうかしてる」のだ。少なくとも一昔前は。それが段々と許容されていくにつれ例えばブラックメタルの様に受容、消費される中でその本質だったものは商業主義的に変容していく(その副産物でよりアングラなBMも出てくるのだが)。The Greywolves曰く、all you need is hate。人を憎もうが人から憎まれようが過剰なまでに「他」を峻拒する孤塁は今でもそちこちに辛うじて残っている。今でも頑なな人達がその孤塁を守り続けている。こういう人がいる限りはこの界隈との縁は切れないだろうなとしみじみ思う。









