BIZARRE UPROAR - Indoctrination Of Fist & Cock

 

過日ある現代芸術家が「ノイズ音響系パフォーマンスユニット」にてパフォーマンスを行う予定と知った。この現代芸術家を好きなのでその個人に対して含むところはないのだがやはり電子雑音時代から「スノッブ、サブカルはこの作品を聴くな」等と馬鹿の一つ覚えの様に唱え、尚今も思い続けている馬鹿の身からすると矢張り慊い(あきたりない)ものを感じる。何故これが「ノイズ」ユニットであり、例えばNSBMユニット、ハードコアパンクユニット、演歌ユニット、ポンチャックユニットなどなどではないのかと。「ノイズ」は脇が甘いのではないかと。

 

2年ほど前、阿佐ヶ谷でのイヴェントで「何故、パワエレ&インダストリアルが好きなのか」と問われ、「サブカルに侵食されないような面があるからです」と答えた。さてそれもパワエレ&インダストリアルという土壌が出来てしまった今、どこまでその孤塁を守り続けられるかは正直、疑問符が付く。ノイズなどは言わずもがな。ではどうするか?「俺は神の様に単独者でありたい」と男は考えた上、己がこぶしを振り上げてみた。そして「これだけでは足りない!」と言わんばかりに己が怒張した(角度は微妙ですがしてますよね?これは)イチモツを取り出し、写真を撮り、それを作品のジャケットとした。それがこの Indoctrination Of Fist & Cock である。

 

煙幕の様に己の周りに鉄の軋む音、濁音、単調なリズムを張り巡らし、そこから遠く離れたところで血と精液とラバーを纏った神(自分)とカレリアから来た女達とでマントラを唱える男(広い空間を感じさせるこの辺の下りは、リチュアル系を思わせる程に不気味)。その事で何を成就しようと考えているかは分からないが部外者立ち入り禁止な濃密閉鎖空間が作品中ずっと保たれている。「ここはお前らの居場所ではない」と音全体が語っている。

 

2,3の人が言うのも聞いたことがあるが、端折って言うと、「ノイズなんて聞く時点でどうかしてる」のだ。少なくとも一昔前は。それが段々と許容されていくにつれ例えばブラックメタルの様に受容、消費される中でその本質だったものは商業主義的に変容していく(その副産物でよりアングラなBMも出てくるのだが)。The Greywolves曰く、all you need is hate。人を憎もうが人から憎まれようが過剰なまでに「他」を峻拒する孤塁は今でもそちこちに辛うじて残っている。今でも頑なな人達がその孤塁を守り続けている。こういう人がいる限りはこの界隈との縁は切れないだろうなとしみじみ思う。