第二子出産レポ③ - 出血多量で緊急搬送 - | Happy Days in Jakarta

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*2017年11月生まれの女の子と2021年4月生まれの女の子のママ*
2012年11月より主人の仕事の関係でインドネシアのジャカルタで生活しています。
日本とジャカルタでの生活などをアップしています。

 

こんにちは♪

出産後のことを綴っていきたいと思います。

 

 

 

出産後、はぁ〜、こんな楽なお産でいいのだろうか?と言うぐらい(まだ麻酔が効いていたこともある)、体力的にも気分的にも楽でした。

赤ちゃんを見たときは、「○○(長女)ちゃんと比べて小さいね〜」なんて夫と話していたのですが、

その後体重を聞くと長女とほぼ一緒でした笑

ちなみに、長女は予定日を超過していたこともあり、3,500g超えのビッグベビーだったのですが、予定日前に産まれた次女も3,500g近いビッグベビー

予定日前に産めて本当によかった・・・

 

 

 

間もなくして先生たちが少しバタバタしだし、出血が止まっていないことがわかりました。

長女の時も550mlと少し多く出血はしたのですが、LDRで1時間様子見をした程度で自然に止まりました。

先生に「子宮にバルーンを入れて止血します!」と言われ、バルーン処置。

と同時に、たぶん子宮収縮剤も点滴されたと思います。

そういえば「胎盤が見たいです」と産前にリクエストしていましたが、バタバタしていたため忘れられちゃったのかな?

なんか大変そうな雰囲気だったので私も言い出せず・・・

胎盤見てみたかったなぁ〜←こんな余裕があるぐらい、私は意識もしっかりしていて大丈夫でした。

 

 

 

出血が止まらない原因として考えられるのが、子宮収縮がうまくいっていないこと。

私の場合は人工的に破水させたあと、急激にお産が進んだことが原因ではないかというお話しでした。

バルーン処置でとりあえず止血し、その後会陰縫合などを行ったと思います。

 

 

 

私はしばらくLDRで様子を見ることになりましたが、夫は長女のこともあるので、ここで一旦帰宅することに。

この日は義母がスクールのお迎えに行ってくれて、私の入院中夫と長女は義実家に滞在していました。

 

 

 

夫が帰宅してしばらくし、何かがじわ〜っと出る感覚があり、また出血し始めてしまいました。

最初は担当の助産師さんが対処していたのですが、対処しきれず先生を呼んでバトンタッチ。

バルーンでは止血しきれなくなり、次の対処法は輸血だそう。

輸血なんて人生で初めて!

この辺りで、意識はあるけどちょっと息苦しさなどが出てきていたような気がします。

 

 

 

気付くと呼吸がすごく浅くなり、後陣痛の痛みも出てきてだんだん辛くなってきました。

いろいろな先生がLDRに来ていろいろな処置をしていてくれたのだと思います。

ひとりの先生から止血方法についての説明があり、

「輸血で止血できない場合、放射線(ちょっとうろ覚えで確信持てず)治療をし、それでも止血できない場合は子宮全摘になります」

と言われ、それまでぼーっとしていたのですが、子宮全摘!?と自分の置かれた状況が危険な状況だと少し把握しました。

そこからもう怖くて不安に。。。

 

 

 

その後、一旦出血はおさまったものの、また出血してしまった場合、愛育では輸血以上の処置ができないため、そのような処置もできる総合病院に搬送しよう!ということになりました。

これをスーパー母体搬送というそうです。

登録されている病院がいくつかあり、持ち回りで曜日ごとに担当が決まっているそう。

私はあまり自覚がないのですが、一瞬バイタルもやばい状態になっていたそう。

もう周りはとにかくバタバタ。

なにやらいろいろな同意書にサインをしたり、

「ご主人呼び戻しましょう!」と行って私の携帯から連絡してもらったり。

ちなみに夫は義実家に着いていたのですが、またすぐに出て行くことになり娘が不安で夫が帰ってくるまでお昼寝もしていないのに23時頃まで少し泣きながら待っていたそうです。

その話を後日聞いて胸が痛くなりました。

 

 

 

私は愛育を離れ知らない病院へ搬送されること、産んだばかりの娘を残していくこと、いろいろなことに不安になり涙が次から次へと・・・。

こんな状況で泣いている場合じゃない!と理性が少し働き、目を閉じていたのですが、涙だけは溢れ出ていました。

近くにいた先生に「またここに戻ってこれますか?」と質問したことを覚えています。

「戻ってこれますよ!」と言われ、少しだけ安堵し、また涙が。

 

 

 

スーパー母体、私が出産した日は墨田区にある墨東病院が担当でした。

墨東のOKは出たものの、愛育からは少し離れているため、母体の状況を考えるとなるべく近くの病院がいい。

スーパー母体対象病院で割と近い聖路加なんかも連絡を取ってくれていたみたいだけど、返事待ち状態。

 

 

 

そんな中救急車も到着し、ベッドで運ばれます。

結局聖路加からの返事はなく、墨東に行こう!と墨東へ。

人生で2度目の救急車。

 

 

 

1度目はこちら・・・↓恥

 『*40w5d*人生初の救急車で救急搬送』こんばんは♪びっくりなタイトルでごめんなさい(><)まだ産まれていません!先日の記事では、同じように誘発分娩だった方からコメントやメッセージをいただき、とって…リンクameblo.jp


 

 

 

夫も到着したので一緒に乗車し、産科の先生も一緒に同乗してくれていました。

意識はあるものの、相変わらず後陣痛が痛かったのと、頭痛というか寝心地?が悪かったような気がします。

 

 

 

後から夫に聞いたのですが、夫は以前コウノドリで、産後に出血が止まらず亡くなってしまった産婦さん、その教訓を生かし子宮全摘して助かった産婦さんの話を思い出していたらしく、とても心配だったそう。

 

 

 

救急車に進行方向とは逆向きにベッドで寝ているため寝心地は悪く、なんだか車酔いしそうでずっと目を閉じていました。

しばらくして墨東病院へ到着。

救命救急センターへそのまま運ばれました。

 

 

 

ごめんなさい、これで終わりにするはずがまた長くなってしまった・・・

この続きはまた今度。