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続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

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クリスマスになると、いつも「フランダースの犬」を思います。

この物語には、こども向け作品として、批判的な意見が結構あります。

「童話や絵本は、こどもに夢の種を与えるものでなければならない」

という、とにかくハッピーエンドでなければならない、という説もあります。

しかし、こどもたちに現実に生きていく力の根源を植え付けるものも、フィクションの世界の仕事なのではないかと思っています。

今年はいくつかの物語を創作しましたが、やはり「伝えたいテーマ」に、現実的な具体性がないと、本気でやれません。

童話や絵本のやわらかい世界をお借りしても、しっかりと伝えるべきものがあることが大事だと思っています。

メディアの技術も進歩しました。いま、なんでも出来てしまいます。いろんなことが・・。
しかしどんなに格好よくできても、もう「アイドルごっこ」やってるときじゃないと思うんです。

さてフランダースの犬。
アメリカではハッピーエンドになったそうですが、日本版のアニメはご存知の昇天シーンで終わります。これが映画版になると、大人になったアロアが修道女になっているという「蛇足」までついています。
それが日本式の解釈ということなのでしょう。

あまり知られていませんが、原作ではネロとパトラッシュが死ぬシーンはありません。
アロアも雪道を必死でネロを探したりはしません。

アロアの父はお金が戻って喜び、アロアはネロと遊ぶことを許され喜び、楽しい宴会のイブをすごしています。そして翌日、大聖堂でいたいとなっているネロとパトラッシュの姿に、という結末です。

曲解かもしれませんが、西洋的な発想では、アロアとネロは隣人ですが、「住む世界が違うものは、結局どうやっても一緒ではないんだ」という、身分社会の現実を見せている気がします。
僕の今年の一文字。 『崩』  これピッタリ。

いろんなものを崩して、崩れて、形を変えた一年でした。
『崩壊』ってわけじゃなくて『スクラップアンドビルト』そう信じたいところ。
決してネガティブなことばかりじゃないはず。

始末は大変だけれども、積み重ねてきたものが崩れたら、裾は広がるもの。

あと、やたらと『月』に感動した年でもありました。だから山さんの下に月ふたつ。。。
そして、たくさんの『朋』に支えられた『山』さんでした。

ま、でも、崩れたことは間違いないのです。これからまた出直し。

失ったものと得たものと、整理して、まずは気持ちから。

日本で一番の「権力者」は何かと思うんです。

今の時代、為政者が権力者ではなくなったことに、気づかないといけないんじゃないと思うんです。

今の暮らしが良くないとしたら、叩く場所と相手が違うような気がしています。

いまの実の権力者さんは、市民に「いまの暮らしがよくない、このままでは危険だ」と気づかせない術も、完璧ですけどね。

だから市民の不満や危機感が充満しないですね。

権力は、お金、情報、知識、暴力、どこに集まっているんでしょうか。
六本木の会田誠展を覗いて、懐かしい作品も少し見て、人混みにうんざりして早めに帰った。「昭和40年会」からのでっかい花輪が飾られていた。知らない名前もあった。
そう、40年生まれの社会的意義が変わってきたよね。

僕らが生まれた昭和40年は、今思えば、戦争が終わってたったの20年しか経っていなかったんだ。
当時のGNPはたったの28兆円。国家予算も3兆6千億円。公務員の初任給2万円ちょっと。ちなみにいまはGDP500兆円近く、国家予算は90兆円借金だらけ。
そういえば昔ナーバスに叫んでいた、防衛費の「GNP比1%」ってのもさっぱり言わなくなったと思った。まあよくよく考えてみれば、なんでGNP比なのか、成長を常に見込んでいたからなんだろうけれども、よくわからん。

とにかく、いい意味で、もう僕らは若くない。
先輩たちが開いてくれた道、築いてくれた今の社会。それをどう次の世代に渡せるか。僕らはなんの実験台や捨て石になれるのか。

平和と豊かさの享受だけでは許されない世代。
メディアは、なんかあると、「世界」とか安っぽく言い、気前よく装飾語に使うけれども、日本では教育でも「世界」を学ばせてないんですよね。

とくに、宗教に対して無知すぎるのは、とても恥ずかしいし危険だしと思うことがあるんです。

キリスト教は滅茶苦茶に商売用にアレンジして利用しているのはもうどうにもならないとして、他の4大宗教、「イスラム教」についてはまったく理解していないし、「ヒンズー教」もしかり。
ほかの宗教にしても、あるとしたら誤解だらけ。

¥円高だし、海外旅行に行く人は増えたけれども、異文化の理解がないことは、知りないでものすごいタブーを犯している恐れがあるんですよね。

くれぐれも恥知らずにならないように。
世界の多くの人にとって、宗教は大事なんですよ。我々よりも。
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僕ら田舎育ちなのですけれど、幼少のころは「東京の空は青くない」と伝えられてきました。
東京は工場の煙が空を覆って、灰色がいつも空を支配しているということでした。
光化学スモッグとか、喘息とか、ほんの数十年前まで、そういう時代だったんですよね。

僕が今見る東京の空は、美しく青い空です。
本当に綺麗になってたのかどうかはともかく、こんな美しい景観、平和で清潔で親切な素晴らしい街です。

写真は、神宮外苑のワンカラー。もっとも東京らしい風景かもしれません。

街路樹に、銀杏を選んだ先人に拍手。
『時間がすべてを解決してくれる』
たしかに、時間は良薬。今抱えている悩みや問題は、時がたてば軽減化されることは間違いありません。
さらに、楽しい将来の目標や計画が決まっていれば、「その日」が来るまでの時間は、待ち遠しいものになるのでしょう。
ならば、無駄に過ごした一日も後悔することなく、時間が過ぎただけで価値が会ったということ、と考えることも出来ます。

しかし、『今日、君が必死に生きなかった一日は、誰かが必死に生きたかった一日』という思いをわすれることができません。
時間は、無限にあるものではないんですね、誰にとっても。

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夏休みの間、たくさん『はしゃいでいる』姿をみました。

好きなこと、やりたい事をやっている人の笑顔はいいものです。
でも、嫌だろうと何だろうと「やらなければならない」状態を積み重ねてきた顔とは、まるで深みが違います。

ビジネスマン、特に起業した人には、休みだのレジャーだの、そんな言葉はありません。いつも懸案事項がなにか肩に乗っかっていて、そんな毎日の積み重ねの中で見つけた、束の間の休息の時、乾杯している会心の笑顔は本当に格好いいと思います。

若い大人が増えてきました。
でもちょっと見ると、社会人になって何年もたっても、子どもがはしゃいでいるようにしか見えない、そんなレベルが多いです。

大人の、特に男の遊びは、『戦士の休息』でなきゃ。

経済的に、自立できてない事を恥じなきゃ。死ぬ気で働かなきゃ。
発展途上でレジャーを楽しんでるようじゃ、その程度でおしまい。

♪笑って死ねる人生、それさえあればいい~♪
『商事に美談なし』

この目が覚めるような格言を叩きつけられたのは、なんと山間の温泉旅館の掲示物でした。
リラックスすべき場所で、「お前、サボるな!」と言われているようでしたが、当時、翌日からはじまる仕事について、おおいに弾き締められる気分でした。

美しいエピソードは、戦争中でも「的に塩を送った」などいろいろと伝えられています。
しかし、ビジネスにおける緊張感は、それを緩めてしまっては、どこかで大変な結末に繋がってしまいます。

相手と仲良く、お互いの成功のため、とか言っていても、いざとなったらその甘さ、甘えはは叙されてしまいます。

商事に美談はなし。

たまたま利害が一致することはあるにしても、基本的には数字と契約に表われないものを持ちだすのは、無責任な「逃げ」なのだと思います。
そういう生き方、仕事が嫌なら、それはビジネスマンでになるべきではありません。

逆に、ビジネスマンは、短いオフの時間を大事に、そこで人間関係の暖かい交流をすることが大事だと思います。
商談相手や、ビジネスのパートナーに、美談を求めるべきではない、というか、そうしているうちは「トップ」にはなれません。

本気でやっていれば、仕事は孤独なものです。センチメントはそこに求めてはいけないということを、名もない書道の展示から学びました。
”
鉄の扉を開く。キャンドルの赤い灯火。九月の雨音が響く。

目を閉じると懐かしい風景が浮かぶ。

季節はめぐるけれど、時は確実に過ぎ去って、人の気持ちさえも、同じ場所に留めてくれない。”


と、深夜にFACEBOOKにつぶやいたのです。
とっても素敵な方々から、「like it!」のリアクションを頂いたのです。

みなさんそれぞれ、僕がどどこでどういう状態でどういう心境だったのか、同察していただいたのか、それともどうでもよかったのか、とてお興味があるところです。

いろんな解釈の余地があって、すこし異空間に連れていてもらえる表現が、僕は好きです。

わかりにくいかもしれませんが、伝えたい事は間接表現でしっとりと出します。
月のように、色っぽく。

今夜は満月。ブルームーン。