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ぶらり

■昨日は経堂南地区会館というところで自主稽古でした。しかし、昨夜の雨は本当に冷たかったですねえ。ビールで冷えた心と身体を温めなきゃ電車になんか乗れないわい!と久々に経堂奉行に行ったら終電逃しました。どっちにしても電車に乗れませんでした。でもって置き去りにしてきた自転車を取りに阿佐ヶ谷へ。

■中杉通りを南阿佐ヶ谷方面へ直進し、ジョナサンの向かいの路地を入ったところにフレスコというカフェがあります。去年オープンしたばかりなのですが当時、仕事をしてなかったってこともあって、何度かお茶しに行ってました。でもお客さん全然入ってなくてねー・・・コーヒーはおいしいし、静かでゆっくり出来るから私にとっては超穴場くつろぎ空間で嬉しかったんですけど正直、来年には撤退かなあなんて思ったりしてました。秋に仕事決まってからはご無沙汰だったので、久しぶりに行ってみることに。よかった~お店、残ってたよ。でもお客さん誰もいないや(爆)瀕死のくつろぎ空間を守らにゃあかん!とお昼を食べることにしました。ところがです、クウネルのバックナンバー読みながら料理来るの待ってたら、なんか次々やって来るンですよ、お客さんが!しかも、みんな妙に慣れた感じで常連さんぽい。気づいたら店内は満席、持ち帰りでコーヒー買って行く人もいたりなんかして・・・そういえば店内のレイアウトも微妙に変わってるし、料理も前よりおいしくなってたし、月に2回英会話教室をやってます、なんて張り紙もしてあったし、オープン当初よりお店とお客さんとの距離が縮まってる感じがしました。なんだかしばらく会ってなかった親戚の子の成長をみるようで嬉しかったなあ。ベーグル

■お昼後は南阿佐ヶ谷にあるベーグル というパン屋さんへ。このお店、とってもちっちゃくてこじんまりとしてるのですが、有名みたいでいつも人が並んでます。いろんな種類のベーグルサンドとお菓子を売っています。手作りの優しい味がして、とってもおいしいです。女の人だけでやってるお店みたい。対応も丁寧だし、なんだか応援したくなります。チェリーケーキとベーグルサンド(ママレードバター&イチゴキルシュバター)を買いました。チェリーケーキをおやつに頂きましたが、お母さんが焼いたケーキのような優しい味でとってもおいしかったです。

■中杉通りは木々が鬱蒼としてるし、Tシャツの人もいるし、早くも夏を感じさせる一日。午後から洗濯物干しても乾いてくれるのは嬉しいけどね。

幼稚園でお芝居を

■6月22日(水)~7月10日(日)に江東区の文化教養学園・幼稚園部にて行われるタテヨコ企画第11回公演「すくすく」(に出演します。既に稽古は始まっていて、お休みの日は実際の舞台となる幼稚園で稽古をしています。普段の生活の場がお芝居の舞台になります。日常生活を送る空間に、日常とは違う空間を生み出す・・・うーん、なんと贅沢で楽しい作業!きっと刺激的な空間になることは間違いなし!今からドキドキしてます。

■文化教養学園・幼稚園部は一見こじんまりとした幼稚園なのですが、想像力を刺激するものがいっぱい!小さい椅子、かわいいおもちゃ、ピアニカや絵本やぬいぐるみ・・・子供達はどうやって遊ぶんだろう?どんな社会があるんだろう?なんて想像しながら園内を探検するだけでワクワクします。ここにあるおもちゃや遊戯施設は木製の丸みを帯びた優しいデザインの物ばかり。ぬくもりが感じられます。今回のお芝居は出演者が20人いて、全員が集まると部屋はぎゅうぎゅうになってしまいます。かわいい施設に、でかくてむさい大人がたくさん・・・ああ、うっとうしい。ん?こんなセリフが劇中にもあったっけ?

■こうやって稽古を重ねていくうちこの町を知って、この町に馴染んで、この町で生活してる感覚になって、近所の人とも顔見知りになったりして、町全体がお芝居の舞台になるんだよなあ。「光ノ滴」というお芝居を神楽坂のアユミギャラリーでやったときもそうだった。町といい関係が築ければ芝居の成功は間違いなし!今度の日曜日は休憩時間にもっと周辺散策をしよう。公開稽古もやっているので、興味のある方は劇団に予約をして遊びに来て下さいね(→タテヨコ企画 )。ただ飲み屋が近くになくて、酒部が困ってるみたいです(笑)。

4月2日(土)

「理屈っぽい人は頭の中の世界観で忙しいので場の空気を読めない人が多いのです。」

■プロの編集者が発行する「文章上達スクール」いうメールマガジンを読んでいる。文章を書くことをテーマ寄せられる読者からの質問に筆者の村松恒平氏が答えるという形式のものなのだが、これが刺激的で面白い。
上の言葉は「よく人に理屈っぽいと言われるが、理屈っぽいとは一体どういう人間なのでしょう?」という質問に対する答えの一部である。理屈っぽい・・・と言われるとき、たいてい悪いイメージで使われることが多いんじゃないでしょうか。この言葉に思わず反応してしまったのだが、私自身にそういう部分があり、それによって痛い目にあったのが一度や二度ではないからです!イテテ・・・。
■「理屈っぽいね」と言われるとき、相手はたいてい不快な表情を浮かべている。哀しいかな、自分では何が人を不快にさせるのかよくわからないままなのだ。村松氏によると「理屈」は個人の頭の中という狭い中に押し込まれ人とうまく共有出来ないたいへんうるさいものであるという。理屈っぽい人とはそういううるさいものに縛られ、相手や話の流れ、場の空気を読めないでいることが多い、と。うーん、思い当たる節があるある・・・。自分のちっさい理屈に捕われないで場に適した会話や雰囲気を楽しむこと・・・意外に意識してなかったなあ。でも人と付き合う上でも芝居する上でも、このことってシンプルだけど大切なことなんじゃないかなあ。心がけるべし、だな。

3月27日

■ケーブルTVで「ギルバートグレイプ」を観る。
■私は3500グラムで生まれた。人より少しでかい子だった。数年たったら肥満児だった。徒競走と体重測定が大嫌いで、大人にいつも「ぽっちゃりしてるね」とか「大きいね」と言われていた。人より自分は劣ってるんだと思い込んで、自分に全く自信が持てなかった。でも第二次成長期を迎えるあたりからぐんと背が伸び始めて、身体が軽くなり足が速くなった。その年のお正月、久しぶりに会う親戚たちに「やせちゃって誰だかわからなかった」と驚かれ、その年の一族話題の人となった。自分が変わると周りはこんなに変わるんだ!11歳にしてガンジーと同じ事を思った。
■主人公ギルバートグレイプ一家の事情は複雑だ。父は自殺し母は過食症、長男は家を捨て弟は知的障害者だ。食べ続けてクジラのような体になった母親は「こんなになるはずじゃなかったのに」と自分の運命を嘆くばかり。そんな家族にうんざりしつつも見捨てられないギルバート。一番近くにいる人が悲しみにくれていることの悲しさと、どうにも出来ない現実と、自分自身の将来への不安が彼をどんどんいらだたせていく。そして出会ったのが車で各地を旅するベッキーだった。
■人に会うのを怖がっていた母親にベッキーを会わせるギルバート。「昔はこんなじゃなかったの。」会うなりこういった母親にベッキーも言う「私も昔はこんなでは。」
■私が子供の頃はやせていて、大人になってから太っていたらどうなってただろう。自分のことがどうしようもない存在に思えて、誰かを愛しく思う気持ちも哀しいこととしか思えなくなっていただろうか。出会えたことへの感謝より別れの悲しさばかり見つめてしまうようになっていただろうか。
■自分の本意じゃないことだったとしてもその時できることはやりきること。そうすれば、思いがけないプレゼントがもらえるのかな・・・観終わってからそんなことを思っていた。

3月25日

■日常生活を満喫しております。部屋を模様替えしたり、季節の洋服を買いに行ったり、ちゃんと髪を切ったり、毎日新聞に目を通したり・・・
■私はどうやら味噌好きみたいだ。居酒屋のおつまみは、うめきゅうよりはもろきゅうだし、八宝菜より回鍋肉だし、昨夜の夕飯はなす味噌に肉味噌そぼろにご飯に味噌汁。ご飯以外はみんな味噌味でした。早く気づけよ、自分・・・。
■毎日使うもんで種類とか同じ味噌でもメーカーによってこれほど味が違うもんってないよね。私はまずい味噌買っちゃうとメシタキする意欲が萎えます。だから味噌なくなるとドキドキしちゃう。高いもん買えばおいしいかっていうとそうでもないし。各々の舌に合う味ってのもあるしね。そう考えると面倒臭・・・いや、深いね、味噌。
■だけど日本人のみんながみんな「こ、これはウマイっ!」って思って誰も「マズイ」って言えないような究極の味噌汁なんてあんのかな?それ出来たらものすごい商売になるような気がすんだけどな。