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行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 不器用なダンスに目を奪われ
 僕はたたずみ動けなくなった
 君のダンスはダンスじゃない
 いつか遥か昔に君が踊っていたものだね
 最近ちょっと思う。出産とか、宇宙についてとかの科学とか、自然とか、農とかについて話すときに神秘的な分野、例えば「神」という概念であったり、それと似たような「全体」を表す言葉、「宇宙」「世界」「創造主」などについて言及されていない話には惹きつけられない。
 そういう話が出るとすぐに「宗教的だ」とか「オカルト過ぎる」などの批判が出るが違うと思う。目に見えない神秘主義(オカルティズム)を無いモノとしている時代は現代だけだ。人間の歴史の本の一部。
 僕はこういう「目に見えないモノ」が出てこないで冒頭のような話をすることに、いかがわしさを感じる。
 今まで知らなかったことが分かった時の驚きは、いつも鳥肌が立つくらいの高揚感がある。新事実!「赤ちゃんは血まみれで生まれてくるんじゃないんだ!」・・・本来は。
 自然が自然でなくなって
 自然になったら
 自然でないのが自然で
 もともとの自然が自然でなくなる
 もともとの自然は人には自然と思われなくても
 自然は自然
 ゆらがず自然としている
 いつも世話になっている友人の家に部屋の配置換えを手伝いに行った。単に部屋の配置換えくらいなら「勝手にどうぞ♪」なのだが、グランドピアノやら重厚な家具を動かす為の人手が必要だという。
 そう言えば、この部屋にグランドピアノを運び込むときも僕、手伝ったなぁとか思いながら手伝っていた。きっと本人も忘れているだろうけど。当時僕は高校3年生。ちょうど同じ季節、秋の出来事である。断片的にではあるがその時も会話も覚えているし、僕がどんな服を着ていたかも覚えているのは変でしょうか(笑)
 日記を書いて丁度一年になる。一年で考え方に深みは出てきたのか?たった一年じゃ変わらないのか?自分の評価としては着実に階段は登っている。あながち間違っていない正しい方向へと向かう階段に。
 クラスでのゴタゴタをなんとか解決!?して三連休に入る。クラスのトラブルが発生しない方がおかしい。必ず起きる。それをどう解決していくかが教師としての統率力だろう。幸いにして一番最初にキッチリ緊張感を持たせていたので、それを思い出すだけでよかった。他のよりよい解決法も在ったのかもしれないが今の僕にはまだ分からなかった。
 一番最初に緩めておいて後から締め直すのは大変な作業だ。
 ダンテの『神曲』を日本に最初に紹介したのは森鴎外だと先日の講義の藤谷先生のレジュメに記されていた。彼がドイツ留学中にドイツ語訳で最初に『神曲』を読んだと考えられている。そして鴎外がアンデルセンの『即興詩人』を訳したとき、そこに言及されたダンテの作品を『神曲』と訳したというのだ。
 当時の作品としては当然だったったのだが、作品そのものにタイトル名は付けられていなかった。したがって鴎外が訳した『神曲』も当時は様々な呼び方で呼び慣らされていた。1955年のヴェネティア版から『喜劇(Comedia)』に『神聖なる(divina)』という形容詞が冠せられて、現在の題名である『Divina Commedia(神聖なる喜劇)』となった。
 鴎外はその『神聖なる喜劇』を『神曲』と訳したのだ。藤谷先生も書かれているとおり見事というほかない。確かに詩で綴られた、この壮大な物語は歌であることには違いない。しかし原題で「喜劇」とあるところを「曲」としたところに鴎外のセンスの良さを感じるのだ。ダンテの『神曲』が奏でる音楽を聴いていたのだろう。
 内村鑑三著『代表的日本人』の中に、次のような記述がある。

『・・・人間は分類してまとめることのできないもの、一人一人、つまり顔と顔、魂と魂とをあわせて扱われなくてはならない、と教師は信じていたように私には思われるのだ。(中略)したがって、この点に関しては、私どもの昔の先生は、教育理論のうえではソクラテスやプラトンと同意見だった。そのため、当然、教師と生徒との関係は、もっとも濃やかだった。教師を、あの近づきがたい名称である教授と呼ぶことはなかった。先に生まれたことを意味する「センセイ」と呼んだ。この世に生まれた時点で先-必ずしもそうでないこともあったが-であるのみならず、真理を先に了解した点で、先に生まれたことになるからである。その結果、センセイには最高の尊敬がはらわれていた』

 これで前日の少年との約束への回答となろう。今日、このことを少年に話すと目をキラキラさせながら聴いていた。周りの友達も寄ってきて、皆で聴いていた。帰り際に少年は僕に楽しそうな顔をして言った。
 「雲、調べてくるよっ!」
 弾むように帰っていった。
 「先生!あれ!」
 クラスで一番背の低い男の子が空を指さしながら僕に話しかけてきた。その子の人差し指の前には秋らしい澄んだ青にサァッと流れるような雲が踊っていた。少年が指さしたのはそれではなく、月だった。
 綺麗な月が出ていた。午前10時で運動会の練習中のことである。太陽と月が同時に出ていて、月は儚く浮かんでいた。しばらくするとその月は雲に覆われて見えなくなってしまった。
 「なんで雲ってクモっていうの?」
 「どうして、先生はセンセイっていうの?」
 少年は続けざまに質問してきた。僕にとっても興味深い疑問だった。
 「なんでだろ?先生は『先生』について調べてくるから、君は『雲』について調べてみて」
 「うん!」
 僕らはそう約束して運動会の練習へと戻っていった。