「先生」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 内村鑑三著『代表的日本人』の中に、次のような記述がある。

『・・・人間は分類してまとめることのできないもの、一人一人、つまり顔と顔、魂と魂とをあわせて扱われなくてはならない、と教師は信じていたように私には思われるのだ。(中略)したがって、この点に関しては、私どもの昔の先生は、教育理論のうえではソクラテスやプラトンと同意見だった。そのため、当然、教師と生徒との関係は、もっとも濃やかだった。教師を、あの近づきがたい名称である教授と呼ぶことはなかった。先に生まれたことを意味する「センセイ」と呼んだ。この世に生まれた時点で先-必ずしもそうでないこともあったが-であるのみならず、真理を先に了解した点で、先に生まれたことになるからである。その結果、センセイには最高の尊敬がはらわれていた』

 これで前日の少年との約束への回答となろう。今日、このことを少年に話すと目をキラキラさせながら聴いていた。周りの友達も寄ってきて、皆で聴いていた。帰り際に少年は僕に楽しそうな顔をして言った。
 「雲、調べてくるよっ!」
 弾むように帰っていった。