「武士道−義」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 以下、『武士道』(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳)第3章をまとめる。
 
「義」とは武士道の光り輝く最高の支柱であるとされている。裏取引や不正な行いを最も嫌うこの精神は素直で、正直であり、絶大な賞讃をかちえた。
 「義」は「正義の道理」と言える。絶対的に正しいことだからである。またその「正義の道理」とは「義務」でもある。なぜなら「正義の道理」以外に私たちが従うべき「義務」は他にあるだろうか?「正義の道理」こそ私たちが従うべき絶対命令であるべきなのである。
したがって「義」とは本来義務以外のことを意味していない。
 では「正義の道理」とはどこから湧き起こってくるものなのだろうか?頼りになるものは「人の理性」である。自分の良心の内に「正義の道理」があり悟るべきなのである。
 その「正義の道理」からはじまった「義」は人為性により時が経つに従って曖昧な適否を使い分ける感覚にまで落ちこんでしまった。「~の為に・・・を犠牲にしなければならない」「~を得るため・・・をしなければならない」等のように。
 「義」は様々な詭弁や偽善を抱え込んでしまった。もし「武士道」に鋭敏で正当な勇気の感性、果敢と忍耐の感性を持っていなかったとすれば「義」は臆病の巣に成り下がっていたに違いない。