先週末から、また強い寒波がやってきています。
近くに山はありませんが仕事をしながら遠くにある山脈を
見ていると、どうやらそこから雪が飛んできている様子。

私もさすがに今日の寒さは外に出る勇気が必要でスキー場に
着ていける位温かい軍用メーカーのコートにしましたww
おかげで無事に会社で仕事をしております。

ほとんど雪が降らないこの地域でも昨日今日は雪模様。
ここは積もるまでは行きませんが、遠く離れた祖母宅の叔父は
かなりの積雪で昨日から孤立しているらしく、私道を雪かきしても
まだ公道までたどり着けず今日も会社を休んでいるそう・・。

祖母も亡くなり一人暮らしになってしまったので、畑仕事も
しなくなり買い置きもないはずなので食料があるのか心配・・。
くれぐれも腰を痛めないようにと言っておきました。


越冬と言えば身近なところで、毎年ぐっと寒くなる時期を越えて
春になると外にいる猫たちの数がぐんと減ります。
暖かい場所がありエサもあるのなら何とかなりそうですが
体温調整が難しい子猫や体が弱っているネコにとっては
本当に辛い戦いの時期なのです。

子供の頃に友達の家では納屋の1Fにある発泡スチロールの
入れ物(魚を入れるヤツ)の中で、毎年10匹近い猫達が団子に
なって夜をしのいで眠っていたのを思い出します^^;


この寒さが少し和らぐ頃から今年最初のネコの恋の季節が
始まります。縄張り争いも激しくなるため長い時には
2週間以上戦っている場合もあります。
春になると見かけるネコも様変わりすることが多くあります。


ところでネコの世界ではモテるオス猫には共通の特徴が。
①顔が大きい
②臭い
③勿論体も大きい

①と③は大きいことで強く見えるというところでしょうか。
強い種は残るんでしょうね。
そして②は毛づくろいをしないと体臭がキツくなります。
強いオスを遠くまで、ダブルでアピールですね。

毎年この時期は恋とは無縁のわが家の猫も少し臭うようにw
去勢をする時期が遅かったので名残が残っているようです。

人間といえば8頭身だの中性的な子だのがモテる世の中ですが
種が生き残る為には潜在的に猫と同じはずです。
私達は生き残ろうとしていないのか、野生を忘れたのかもしれません。


今日は雑談でした^^;

追伸
寒い季節、朝はホットミルクを飲んでいますが、私が愛用している
マグカップと同じものをブロ友さんがご購入されたのを見つけて
(色まで同じ!)少し嬉しくなった今日この頃。
幸せは身近にあるものなんでしょうね^^
今の地域に住み着いてから生まれ育った場所と丁度半々位の年月が経つ。
今週は初めて雪が降ったけれど、日陰の屋根に1〜2センチ積もる程度。
太平洋側なので雪も少なく寒いだけで仕事に行くのも躊躇してしまう。

祖母の家は私が子供の頃は毎年1メートルは雪が積もる日本海側の地域。
今は年に数回30〜40センチ積もる程度だけれど・・。
思えば、子供の頃はお金には代え難いとても贅沢な環境に居られたのだと
眼下に広がる人工的なビル郡を見ながら改めて思う。
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隣の民家まで100メートル以上離れ私道の一番奥になる為
いつも耳に入る音といえば風でゆれる葉の音や小川の流れる音。
春〜夏にかけては鶯が盛んに歌い、小鳥のさえずりも沢山聞こえる。

連休頃に一斉に田植えをした後は蛙の合唱が響き
夏休みはセミの声が響く。夕立の前は蜩が鳴くから慌てて家に戻る。
初秋からは虫たちと交代し、夜な夜な演奏会が繰り広げられる。

車もめったに来ないため、聞こえるのはただ自然の音だけ。
冬以外は窓を開け放しているため、外に居るのと変わらない環境。

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冬のある日、小学校からの帰り道に鼻の奥がツンとするような
独特の匂いを感じることがある。空を見上げると厚いけれど
軽さを感じる雲に覆われている。

その頃からにわかに風が強くなり、少し怖くなって私道を一人
大声で歌いながら帰る。気温も一気に寒くなり震え上がる。
家に居ても強い風の為、ガラス窓や障子がガタガタと揺れるのを
聞き、ソワソワした気持ちで宿題を済ませていた。

夜布団に入り耳を澄ますと風は止み、外で聞こえていたはずの
葉の揺れや川の音が消えている。耳の奥で「キーン」とした
音が聞こえ始めると、底冷えする寒さが少し和らいでくる。

障子を見ると夜なのに明るくなっている事に気づくと
寝静まった部屋の障子を静かに開け、縁側から窓の外を
そっとのぞく。普段暗いはずの庭が白く浮かび上がっていた。

窓ガラスには時折ボタン雪が張りつき結晶の形が見える。
風もなく深々と空から沢山の白い雪が降っていた。


雪は夜の間に景色を白く覆い隠してしまう。
どんな生活をしていても、辛いことがあっても、それを全て
優しく包み込むように。ふわりとなくしてしまうように。


翌朝、朝起きるのが苦手な私が珍しく早く目が覚める。
台所で朝食の用意をする祖母の横にあるストーブの前で
急いで着替えを済ます。

その日の朝食は覚えていない。急いでかきこんだらいつもより
早く家を出る。近所の子との待ち合わせに遅れないように。

玄関を勢いよく開けると、よく晴れた青い空と一面真っ白な世界。
祖父は既に仕事に出かけているため、玄関から大人の腰ほどある
深い雪でも、私が歩いて300m先の公道に出れるようにすり足で
出て行った跡が見える。


私は真っ先に縁側の前にある花壇の奥に行き、そこから一段下にある
平坦な場所へ両手を広げたまま後ろ向きにダイブする。
羽の中に落ちたようなやわらかい感覚があり、そのまま沈み込む。

見上げると気持ちのよい青空。雪と一体化して大きく深呼吸をすると
自分の心の中も真っ白になるような気がしていた。
そっと起き上がり、花壇に戻って上から見るときれいに人型ができている。
誰も足を踏み入れていない真っ白な場所に最初に踏み入れられる時間。
私が今形として存在する事を自分の目で確かめるように。

祖母に怒られないよう、溶けずに粉まみれになったようなコートや
ニット帽と手袋を急いではたき、玄関脇に置いていたランドセルを
しょって歩幅の違うあしあとを辿りながら急いで公道へ向かう。

そのことについて確信的な証拠が残っているにも関わらず、
あとでも怒られることはなかった。

全てが真っ白に変わった景色の中、私の赤いリュックはその中で
とても色映えしていたのかもしれない。
当初、1/11に鹿児島から打ち上げられる予定だったSS520ロケットは
寒波の影響か強風の為に打上げが延期になりました。
早くて土曜日以降とのこと。

このロケットの何が凄いかといえば、その大きさ。
このごろ大活躍のイプシロンよりもかなり小さい高さ9mのロケット。
今回搭載するのはスマートフォンなどに使われているカメラなどを利用した
両手で持てる程度の大きさで、かなりの小型人工衛星。

この打上げが成功すれば、農業などにとても役立つ情報を
活用するかとができるそう(稲の生育状況を田単位で見れる)

注目されているのは「低予算」。イプシロンもわりと低予算、30億ほどで
打上げができるようになっていたのですが、ここのところは世界的にも
宇宙事業の価格破壊が起きようとしています。

何かと話題のイーロン・マスクがアメリカで起業しているスペースXでも
低価格のロケットが製造されていますし、世界的にも民間企業も増え
今ひそかに宇宙開発事業競争が激しくなっています。

今回JAXAが打ち上げるSS520はたった数億円でできるため
世界からも注目されています。人工衛星も含め日本の民間企業
参入の足がかりとして欲しいとのこと。

SS520は1998年から打上げ実験が開始されてから今回で4度目。
うまく飛び立ってくれることを祈ります^^
年明けから頭痛が徐々に治まってきていますが
その代わり体を動かすのが重くなっています。

いくら眠っても疲れが取れず、全くやる気がおきません。
正直、息をするのも面倒な状態です。
仕事は勿論やっていますが、ただでさえこんな状態なのに、
自分に鞭打って更に頑張るしかありませんから、余計疲れます。

多分心の疲れだと思うのですが、自分でもどうすれば
ここから脱することができるのか今は分からない状態です。

ゆっくり休むとか、気晴らしをするとか、一般的に言われることは
勿論全てやった末、今は漢方と緊急時の投薬を処方されています。
6年前にストレス障害を発症してからは毎年冬〜春にかけて特に不調な時期が続きます。
それを何とかやり過ごしてまた1年を刻む繰り返しです。
今年は頭痛と言う形で出ましたが・・。毎年違う症状なのかなぁ・・


先日、高橋真理子さんの半生を再現する番組を見ていました。
全く同じではないものの、自分の生き方と気持ち的に重なるような内容で、
見ている途中に気分が悪くなり、意識が遠のくのが分かりました。

ここ数年は、何かその頃の状況を思い出すような場面や人に会うと
血圧が急降下したり、脱力したり、言葉が出なくなったりと・・
人としての機能停止が勝手に作動するような状態です。
最大限の自己防衛なんでしょうね。


メンタルが弱いといえばそれまでですが、これは経験した人にしか分からないもので、
日々の出来事の一喜一憂ではなく、過去の強いトラウマが今は蘇りやすい心の状態にあり、
少しのきっかけで頭をもたげるのです。これは自分の意思とは関係ありません。

高橋真理子さんも体調の良い日は年に1〜2日といわれていましたが私も似たような状態です。
今日はすこぶる体調が良い!という日は年に1度あるかないかといったところです。
逆に妙に体調が良いと不安です。その反動がいつも大きいので・・www


過去の記事にも書きましたが、カウンセリングや対処療法など、
できることは一通りやって「気の持ちよう」の問題ではないことを感じていますので、
一生付き合っていくしかないと思います。

それでも、少しづつ自分の過去を受け入れて来てはいますが
そうするほど、症状が表に出てきます。
蓋を開けずに閉じたままのほうが良かったのかもしれませんし、
開けたことで今後、どこまで症状が酷くなるかもわかりません。


恐らく誰にでも、大なり小なり抱えているものがあるはずなので
自分が特別に辛いとも思っていません。
ただ、少なくとも子供ながらに自分が我慢をすれば問題は通りすぎると思っていたのですが
良かれと思ってやっていたことが仇となり、今に影響しているのかもしれませんね。

そんな状況で眠ってしまえば苦痛から開放されるのかもしれませんが、不眠症なので
これも過去の影響か眠る狭間で「寝てはいけない」という自分と毎日戦っています。

だから、あえて書くのです。
頭の中でもやもや抱えていては思考が悪いほうに行きますしね。
ブログは自分の為なのだと思います。それは私だけではなく。
その様な思いは書く人にはどこかにあるはずです。
寝正月期間中する事がなくてTVを見ていたのですが、
若者が使っている言葉は近代に生まれた新しいものばかりではないということを初めて知りました。

例えば「ヘコむ」は江戸時代から既に使われていたそうで
漢字の凹むの通り、実際に地面がデコボコしている様子を
心の凹みに例えて声をかけていたそう。

その他、年末年始になると一層よく聞く「ヤバいよ〜」も
もとは江戸時代の「矢場」という場所名から来ている言葉ですし
今は全国区で使われている「めっちゃ」も元は関西の方言。

あと若者世代では省略して使うことが多い為、タイトルの言葉や
「○○ですね」を「○○ッスね〜!」など敬語を縮めてしまったり・・

最近の若者は・・なんて言っていても我々も若い頃は同様だった
はずですし、私達も「ら抜き言葉」を知らぬ間に多用していたり。
何が美しい(正しい)日本語なのか、私自身も自信がありません^^;


言葉には流行もありますが、この先はどうなるのでしょうか。

コミュニケーションの手段としてメールなどのツールが増えたことで
言葉はさらに簡素化し、最後には話す必要がなくなってしまうのではないか?
と思うことがあります。


コンビニでも既に人が介在しない仕組みを導入しようとしています。
先日、自動レジ(半セルフかな?)があるコンビニに入って驚きました。
カートに入れるときに自分でバーコードを読み取ることでレジでの時間も短縮。
おかげで従来のセルフレジのように並ばずに済み、会計後3秒で袋詰めまで完了。

バイトの子が「1000円からお預りしま〜す」「ギョウザになりま〜す!」
と言っている事に違和感を感じているのが懐かしく思えるようになるのは
近い未来かもしれませんね^^;