「嘘」の罪は重い。
この罪とは刑罰のことではなく、自分の心を欺いたという意味。
過去何人か「嘘を積み重ねて生きている」酷いタイプの人を見た。

1度嘘をつくと、それを繕う為の嘘をつく。自分では他人に
ばれていないと大抵思っているが、ふとした行動で本音が出たり
他人に向けて話をしている事と、私に話している事との供述が
異なったりする為、すぐにバレてしまう。

少し、事例としてある人の行動から考えてみましょう。

会社で久しぶりに酷い人をあずかった。
私より年上の為社歴も長いと思う。しかし恐らく以前から嘘を
重ねながら仕事をして来た事も全て、私が上司となり暴かれた。
(監査人なので、その人にとってはある意味運が悪かった)


最初の面談で自分は過去、とある専門職をしていたので仕事が
凄くできますアピールが激しかった為、初対面から疑念を抱いた。
(能ある鷹は爪を隠す、ですから(^^;; )
実際、想定通り喋るだけで仕事ができない。単純作業さえもビックリ
する位できない。締め切りを過ぎても言われるまで気配を消している。

私が席を立つと同僚に自分の仕事を押し付け、できたら同僚から
受取り、今度は同僚が席を外している時に自分がやったと提出する。
(修正ももちろんできないし、どうやってやったかを聞いても答えない)

報告もできなかった理由を沢山ならべて、○○のせいでできなかった
と言うが、根本はやらなかっただけという事が手にとるように判る。

また、全体的な体質として「隠蔽」をするが、大抵すぐわかるので
知らないふりをして、痛い目に合うまでほおっておくしかない。
本人は困ったら誰かが助けてくれる、もしくは助けてといえばみんな
助けてくれるという安易な気持ちが常にあることが原因だと思う。

本人は、嘘をついている自覚がない。罪の意識もない。
無意識に、ごく自然に嘘をつくことが日常になっているからだ。

私が穏やかに忠告していたのは、自分に嘘をついていること。
できないことを他人のせいにすることで、その人に迷惑を掛けて
更に被害者意識がなくならないことだった。

日々自分をごまかしながら仕事をせず、座っていることをひた隠し
している為、一所懸命の方向は隠すことや、できないものをできた
と改ざんする為に時間を割く。そんな暇があるなら懸命に仕事を
すべきだと思う。苦労が後々自分の糧になるのだから。

「できないものはできない」と認める事が自分に嘘をつかない為の
大事な一歩だと思う。

結局その人は暴かれた仕事を繕いきれず、更に上の統括上司に
報告がいき発覚すると、翌日から半年のうちに身内を重病や不幸にし、
休み続けた。(重い病気の入院の付き添い、亡くなって
香典受取も断り、葬式とや諸手続きなどがしばらく必要という事で)
自宅では会社に行くと毎日家を出ていたそうだが、会社には来ない為
どこかで1日を過ごしていたのだろう。

最終的にそれも全て嘘だとばれると突然入院し、
数日後ストレス障害の診断書を提出して休職した。(政治家かww)


恐らく彼は、別の部署で復帰をしても同じことを繰り返すだろう。
そうすることしか生き方を知らないから。かわいそうだが、正直に
生きなければ一生このまま嘘をつき続け、自分を欺いたまま一生を終わる。
一歩間違えれば犯罪を犯してもおかしくはない。見た目はいたって
まじめで気の弱そうに見えるタイプだったが、演出だった。

困るのは自分だ。私は困らない。人の生き方を変える権利もない。
私は他人にどうこう言うつもりはない。ただ、周りに迷惑をかけること
に対しては怒ってきたが、最後まで自分の「利」を優先するスタンス
を変えることはなかった。そんな生き方で幸せなのだろうかと思う。


対する最近何かと話題のJAXA。私がJAXAを好きなのは、会見でも
どの方も「皆の支えがあったから」「皆がいたから頑張れた」と
話されていることだ。
苦労もいとわないし奇跡もみなの努力のおかげと、今時のどこかの
社長は原稿を棒読みだけれど、JAXAの方は原稿も見ずまっすぐ
な視線で。他人に言わされてない心から湧き出る
ひとつひとつの言葉は、その人の生き方全てを表しているように思う。
先日「ポストヒューマン」という記事を書きましたが、今日は
「人工知能」についてお話したいと思います^^

そもそも「人工知能」って?
人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させよう
という試み、或いはそのための一連の基礎技術を指すものです。

つまり、人間の肉体を使わずに、人工的に1から人間の知能に
近づけるものを作るので、ポストヒューマン(人間の増幅・増強)
とは概念は全く異なるものという事になります。

人工知能には2つの派生があります。
一つは従来からのAI、もう一つは計算知能をもつCIです。


▼従来からのAI
機械学習手法を使い、フォーマリズムと統計分析をするのが特徴。
別名で、記号的AI、論理的AI、正統派AI、古き良きAI(GOFAI)

その手法としては、大きく3つほど

①エキスパートシステム
動作などの蓄積情報に対する結論を持つもの。
例えば、過去の Microsoft Office にはユーザが文字を打ち込むと
システムはそこに一定の特徴を認識、それに沿った提案をする
AIが搭載されていた。

②事例ベース推論(CBR)
過去の事例データから類似したものを探し出し、自身で部分修正を
しながら試行を行い、その結果と事例を事例ベースに記憶させる。

③ベイジアン・ネットワーク
ふるまいに基づいてAIシステムを一から構築していくもの。
対話型のものに搭載されています。(キャッチボール式の単調なもの)


▼計算知能をもつCI
従来のAIとは異なっています。計算知能を持つことで学習を
繰り返し経験となって蓄積されていくものです。
別名は、非記号的AI、美しくないAI、ソフトコンピューティング

これも代表的な手法を3つほど

①ニューラルネットワーク
非常に強力なパターン認識力のシステム。人間のニューロンに近く
ディープラーニングと呼ばれるもので相互で関係性などを認識。

②ファジィ制御
不確かな状況での推論手法で最近の制御システムでは広く採用。
従来は確定しなければ答えが出なかったものを「大体」で結論を出す。

③進化的計算
生物学からインスパイアされた手法で、問題の最適な答えを、進化や
突然変異の概念を適用して求めていくもの。遺伝的アルゴリズム
(データを遺伝子化して交配解析)と群知能(集合的ふるまい)に分類。

最近では、上記を統合した「ACT-R」があり、エキスパート推論ルールを
統計的学習を元にニューラルネットワークや生成規則を通して生成する。


【哲学としての「人工知能」とは・・】
哲学者の間でもかなり旬な話題です。これは精神哲学と心身問題の哲学も
巻き込んでいます。

考え方は「何が実現されると”人工知能が作られた”と言えるの?」という
基準から逆算をしながら、「知能とはそもそも何か」といった問いも
考えられている。どちらにしても、人間を基準として世の中を認識する、
人間の可能性と限界を検証するという考え方のようです。


オリンピックでも1人の人間が超人的な能力を発揮しようと頑張っても
限界があります。同じように今の自然な人間では能力を発揮しきれない。

人工知能は、限りなく人間に近づくことを目標に作られていますが
ポストヒューマンと同じく、いずれ人間の能力を軽く超えるでしょう。
今はその方向にありますが、その必要があるのか、進化しているうちに
自然と人間を超える方向に舵をきっているのかは判りませんが・・。

いずれにしても置いてけぼり、又は誰でも超人的な能力が発揮できる
時代になった時、私達は何を生きる糧にするのかを今から考えておく
必要があると思います。少なくとも争いごとはなくなるでしょう。
同じく、向上心や生きたいという気持ちも無用になります。

だから、他人に流されるままに生きる事をそろそろ考え直す時期に
きていると思うのです^^
最初にお断りしておきますが私は無宗教です。特定の政党政治や
新興宗教の話には関わりませんのであしからず^^

今日は時代をさかのぼり、祖父母といた頃の話を。

私は丁度人間形成をされる年齢の頃に祖父母の家で暮らして
いました。ハイジのおじいさん家のような(標高は高くないけど)
大自然の中で、自然の摂理に沿って生活をしている環境でした。

祖母は、誰に言われるでもなく、過去姑さんから受けついだ慣習も
生活の一部に溶込み様々な知恵を使い自然と共に暮らしていました。

昭和の家電界の三種の神器と言えばテレビ・洗濯機・冷蔵庫?
私の頃にはもちろんカラーテレビですし、家電も多くありましたが
それ以外のものは、大正時代の建屋を移築した当時のままで
台所はおくどさん、お風呂は薪風呂、海産物以外の殆どの食料は
自宅もしくは所有の山で作られたり採れたものでした。

しかも当時色々なものを食べ、作る工程も毎回手伝わされて
いましたが、田植えや畑や山菜採りに借り出されるのはもちろん、
裏庭にある茶畑の茶摘、お茶を蒸しもまされたり、裏庭で育てた
蕎麦は乾燥させ石臼で引いてふるいをかけさせられ、こんにゃくも
麹も作っていた記憶があるので、とにかく食料は全てダッシュ村の
ように1から作り育て、加工していたのだと思います。

近所では、そこまでする家はあまりなかったように思うので、
単なる祖父母の趣味なのか、昔のスタイルを貫いていたのか・・。
(私が生まれる前は牛もいて、養蚕もしていたそうです。)

肉類も同様で、庭で育てた鶏がいて、冬は猟をし今で言うジビエ
もあり、今思えば「食材」を作る工程を知りながら食していたので
本当の贅沢、旬の美味しいものを知っているのかもしれません。
新鮮で旬のものは手を加えなくても十分美味しいのです。


で、そんな毎日の家を守る祖母の慣習的行動には今思い返しても
頭が下がります。体調の悪い時もあっただろうに行事や家仕事を
休んだところは一度も見た事がありませんでした。

二十四節気毎の行事を全て行い、祝日に日本国旗を玄関に立てる。
食事は人工的なものは一切使わなかった為、だしも一からとり、
出涸らしも活用して、残りは肥料に。生ゴミもありません。

真冬は、もみを取り終わり乾燥させたワラが縁側の隅に大量に
積まれており、ストーブを背にして縁側で一握りのワラを二股に
して撚りをかけ、先端を縛ると1本の太いものをもくもくと作る。
(この状態のものは来年刈り取った稲を縛るモノになります)
この長さで縛り、ハデ掛け天日干しをした米は抜群に美味しくなる。

短い長さのものを端同士を重ねて更に撚ることで長くて
丈夫な縄になる。お正月はこの方法を応用し、家に飾るしめなわを
見よう見まねで作ったりもしたが、これが案外子供には難しい。

長い冬を越えるために、秋に収穫した実りは長期保存ができるよう
切って乾燥させたり、漬けたり、麹に混ぜたりと案外冬も家仕事は
忙しいのだ。いつの時でも縁側は大活躍する。


子供の頃の私にとっては、お手伝いは「遊び」のようなもので、
毎年同じ手伝いをする事で段々と上達してくる。
そして、そのことを繰り返しながら、徐々に自然、季節と共に
暮らす大切さを無意識のうちに感じていたのだと思います。

その経験は何か、今のデジタル的な生活にも非常に役立っている。
物事の成立ちや起源は、知ると知らないとでは大違いなのだろう。
断片的な事しかわからないとそれに振り回される。元が判れば
勘が働くというか、どんな事でもあまり困る場面がない気がする。


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今日のテーマで言う「神様」はアマテラスの様な信仰対象ではなく
自然のもの全てに神が宿っていることを、八百万の神と表現する。

海外では八百万の神はShinto(神道)の一部として紹介されています。
日本では昔から山の神様、田んぼの神様、トイレの神様、台所の神様
米粒の中にも神様がいると考えられてきました。

自然に存在するものを崇拝する気持ちに神が宿っていると考え、
八百万の神と言われるようになったと考えられます。

八百万とは無限に近い神がいることを表していますが、祖父母との
生活を通じ、何にでも神様が宿っていると気づき大切にし、感謝の
気持ちをもつという事を、具体的に教わったわけではないが日々
子供ながらに感じていたのかもしれません。


今は何でも「お金」で買える時代になりました。その一方でみんなの
八百万の神はいなくなってしまったのか、または既に見えなくなって
しまったのか・・。日々生活をしながら淋しく感じます。

一人でもその心を忘れなければ、必ず次の誰かに伝わると思います。
(人工知能にも八百万の神の精神は組み込んでいきたい!笑)

世の中の全てのものは個人の所有物ではなく、全て平等な恵みです。
人を蹴散らし、欲でモノを得ようとする前に自分自身もその恵みの
一部だということに気づくの事が大切かもしれませんね^^
業務の一環で、毎年学校に授業をしにいく機会があります。

学校の今の教え方は、4~10年ごとに改定される「学習指導要領」
を元に決められています。つまり、改定が入るまで変更できない
ということになります。

別名「ゆとり」教育になったのもこの影響。文部科学省は現在も
世界の動向も注視しながら検討を行っています。そしてようやく
自主自立の人間形成に向けて出発・・

その中で、今の指導要領が改定された内容の目玉は「自律的教育」

今までは教科書を読み聞かせ、情報のシャワーを浴びせて公式や
歴史を暗記させる事(一方的に先生が話すことを聞く)でしたが
大きく方向転換し、子だもたちにその理由や由来を考えさせたり
自分たちで答えを紐解いていくという方法が盛込まれています。
(なぜこの公式が導き出されるのかなど・・)

「アクティブラーニング」というのがこの手法です。
ただ、教育現場の現状ですが、先生のスキルが追いつきません。
どの学校もそれを嘆いておられました。


「聞く教育」で育った先生が、自律的指導を行う事は難しいです。
理由なんて関係なく、試験に受かる為の教育を受けてきたのなら
まずはその公式の理由を、教える側が考える時間が必要です。

また、担任の先生は子供たちがいる間は片時も目を離せません。
生徒たちが帰ると、すぐに先生の勉強会が目白押しです。そして
宿題もあり授業のことも考えなければならないう上に、このような
現状や方針が伝わらないモンスターペアレンツの対応も・・

更にICTを導入し、パソコンが苦手な先生がタブレットや
パワポの資料を作ってまで授業を行う事はかなり難しいです。
(と、学校に一日訪問しているとその様子が全てうかがえます)

このような中で自分のスキルを上げる時間は殆どないですし、
学校の先生になりたいという人も減少していますので、教育の質は
上がっていません。(頑張ってはおられますが、限界を感じます)


こういった背景があり、様々な企業が最新教育のお手伝いをする
という政府の方針を元に、私も毎年沢山の学校を訪問し授業をしています。
(会社の中でも手間がかかるので行くのは少人数に限られます)

行く度に学校毎に、更には担任の先生に依存して子供達のカラーが
決まってしまっている事に驚かされます。差が激しいのです。
今は担任の先生次第で子供の勉強姿勢にも大きな影響がある事を
感じています。民間に開かれる(授業をさせてもらえる)学校は
まだましでしょうから、閉ざされた学校を考えるとぞっとします。
一方で、どうにかしたいと強い思いを持つ学校もありまだまだ
捨てたものではないなと思うのです。


授業の内容を言うと素性がばれますが、その指導要領を限りなく
完成させて授業を行う事は、その場で終わることではなく先生の
参考になり、私達もわずかでも子供達の役に立てたらと思います。

その為に授業の内容も全て各自で作ったもので(事前検証はあり)
仕事中になかなかできないので夜練習したりしながら、私も「教える」
という責任や、子供達の素直な言葉に学ぶ機会になっています。


実際、学校の反響は毎回大きくTVなどでも取り上げられていますが
インパクトは(良い意味で)大きいようです。

大人になった時に、自主的に考える大人になることを応援したいと
思っていますので、これからも続けていこうと思います^^
今年、東京大宇宙線研究所教授の梶田隆章さんがノーベル物理学賞を
受賞したことで名が知られることとなった「スーパーカミオカンデ」
今日はこのお話を^^

「ニュートリノ」に質量がある事を発見することとなったこの装置。
世界でここだけの施設なんです。

実は、この観測装置は前身の「カミオカンデ」に始まります。
カミオカンデは1983年に完成をしていました。
この装置がある場所は岐阜県神岡鉱山の地下1000mの深さにあります。


まず、なぜ地下深くに作るのかという事ですが、宇宙から降り注ぐ
目に見えない色々なものを計測する為には、できるだけ大気圏内を含む
「余計なもの」まで計測しない環境を作ることが必要でした。

当時、ニュートリノには質量がなく、何でも全て通り抜けるという説があり
それを計測する為に、地下深くに作ることでニュートリノだけを検出
することができる。のがスタートです。


2002年にカミオカンデの10倍の大きさの「スーパーカミオカンデ」
を完成。(カミオカンデは「カムランド」という別施設に改装)
この施設の凄いところは、どちらも研究者たちが作ったという事。
(企業も参画していましたが、取り付けなどは研究者が、そして計測に
重要な光電子増倍管も全て職人の手作り。)

【つくりかた】1991年から4年4ヶ月で完成
①集落の山の中に1000mの穴を掘り進めます。
 ↓
②丈夫な岩盤にダイナマイトで発破をかけ、大きな穴を作ります。
 ↓
③内壁面に特殊なコンクリートで固め、計測部品のケーブル穴を開けます。
 ↓
④約3年ほどかけて手吹きガラスで完成させた11,200本の「光電子増倍管」を
一つ一つ取り付けます。(直径50センチ程の電球のような形をしています)
 ↓
⑤④の管に複数で膨大な量のケーブルを、コンクリートで作った水槽の上の
蓋部分に作った計測器に全てつなげていきます。
 ↓
⑥ろ過装置で作った「超純水」を直径40m、深さ41.4mのコンクリート
プールに徐々に満たし50,000トンまで注入します。で、蓋をして完成~~!

4年間も、ただ黙々と作っていたというのも凄いです。
しかし、稼動後の2001年に光電子増倍管の70%を損失するという大規模な
破損事故が起きてしまいました。水の中なので、1つが破損した衝撃波で
沢山の被害が出ました。2006年までかかり修復を乗り越えて、
今は正常に稼動しています。(梶田さんはこれが一番辛い出来事だったそうです)

ニュートリノは、素粒子「中性レプトン」の名称。中性微子とも言います。
宇宙の成り立ちや様々なものの研究に重要で「無からビッグバンが発生し
宇宙ができ現在も広がっている」という説がありますが、無からは何も
できないでしょう~!という事は誰も証明できませんでした。

このスーパーカミオカンデでは、空側から降るニュートリノの量と比べ
地下から来るニュートリノの量が少ない事が判り、質量がなく何でも
貫通するはずが、地中に通せんぼされて少なく到達した=質量があるじゃん!!
という世紀の大発見に至ったのです。

そこで、ニュートリノが質量がない「無」ではなく質量があると証明
されたことで、今まで学校で習ってきた事が覆されるかもしれません^^

私達には身近に接する事がないこの施設も、髪の毛の研究に利用し
シャンプーなどの開発に企業が利用するなど、案外身近に利用されています。

世界にここだけの凄い施設、毎年夏に神岡鉱山の坑内を巡る
ツアーイベントで見る事ができます。(内部までは見れませんが・・)
ご興味のある方は是非♪^^