仕事に忙殺されたままでお休みに突入し、またも
電波無し生活を送っていましたので更新に間があきました。

前回、怖い内容の記事をあげてしまったようで
コメントには無かったものの、反響をいただきました^^;
自分の中でも怖い経験、失敗談から学ぶことは多いですね。

世の中のハウツー本でも「一流の」などのタイトルが多く
ありますが、実は成功事例はあまり他者の役には立たず
失敗をどう乗り越えてきたのかという事がノウハウとして
一番役に立つと言われています。


TVを何気なくつけているときがありますが、一つだけ
気になる番組が・・それが「しくじり先生」です。
回を重ねて正直質は落ちているような気もしますし
謝罪して復帰するきっかけの番組になっているようですが。

少し話をしているのをみて、電源を落とそうか観ようか・・
と落差の激しさを感じます。

TEDのプレゼンテーションもタメになりますが、
案外この番組も違う意味で良い勉強になります。

皆さんメディアに出ている方なのでお話が上手かと思いきや
テキストを棒読みの人もいれば話し方が非常に上手く
惹きつけられる人もいます。

良い手本ばかり見るよりも、良い・悪い両方のお手本を
みることで何処が良いのかがより実感できます。


ところで、ずば抜けてプレゼンが上手いと思っていた
オリラジの中田さんですが、このごろは自分のしくじった話
ではなく、歴史上の人物を題材にした授業をされています。

私も聞き手が前のめりになって話を聞くような講義が
出来ないかな・・と思いながら観ています^^


「話し上手」になる為には「聞き上手」になる事が大切だと
言うことはよく言われていますよね。

一昔前の授業は、一方的に情報を浴びせる方法で詰め込んで
いたので、相手が理解しようがしまいがどんどん話を進めて
しまう事が多かったと思います。

現在はアクティブラーニング型の方針に転換されていますが
これまで情報を流すだけでよかった先生が、生徒の個々の
やる気を引き出して、能動的に答えを見つけさせるのは
かなり難しいはずです。

プレゼンでも、相手の反応を見ながら話すポイントを変えて
行く必要がありますし、聞く側の理解度もかなり
差があります。
できるだけ理解しづらい立場の人に焦点を当てて話すと
全体の理解度も上がります。

中田さんのプレゼンは昔の人物の生きざまです。そのまま
話すだけでは退屈になるはずですが、現代に置き換えて
話をしたり、体を張って表現しているのが退屈せず、しかも
覚えやすい(心に残りやすい)要因なのでしょうね。

もう1つ大切なのはテンポとメリハリ。
単調だと眠くなりますからww


今年も試行錯誤しています。色々な学校・学年へ行くので
授業の後、感想を生徒さんからいただく事になっています。

毎回退屈させないように目玉となる時事ネタを仕込んで
いるですが今回は授業の内容よりもインパクトが強かったらしく
感想の7割はそのネタの話でしたT_T

ネタのインパクトが強すぎたようでww
先日、何気なくTVで元ストーカー加害者の心理についての内容を見ました。

私自身は若い頃、ストーカーをされた事がありました。

元々男女問わず、性別を気にせず付き合いをする方だったのですが、気さくに接していた相手が知らぬ間に意識をしていたようで
接する=好意と取られてしまい、気持ちがエスカレートした模様でした。
友人の繋がりで仕事関係の人ではなかったのはまだ良かったものの・・。

当時は携帯電話がまだ一般に普及していない頃でした。
私も既に一人暮らしをしていました。段々とおかしな感じになってきたので怖くなり
丁重に断って終わったと思ったのですが、
ある日帰宅すると家の前で待ち伏せていた為、暫く別の友人宅に避難しました。

半月ほど経ち、必要な荷物があるので真夜中に取りに帰ると自宅の電話の留守電ありのランプが点滅。大量の切手のない封書。

再生すると50件以上のメッセージがあり、最初の方は聞きましたが段々と恐ろしくなり電話の線を抜きました。

手紙の一部を持参し警察に相談をしに行きましたが、その頃はまだストーカー規正法はなく「事が起こってからではないと動くことはできない」
と言う事で周辺パトロール程度しかしてもらえず・・。

最終的には繋がりのある友人とも連絡を絶ち、引越しをして何とか免れる事ができましたが、暫くは恐怖心がなくなりませんでした。


また、仕事が変わり現在の地域に引っ越してからも、全く身に覚えの無い
窓を全てスモークにした黒いワンボックスカーに駅から帰る際に約1ヶ月ほどつけられていました。

気付いた時から自転車にして毎回道を変えてもついてくる為、家だけは知られたくないので車の入れない隙間を抜けながら帰ったり
帰る時間を大幅にずらして、いない事を確認して帰る日が続きとても神経をすり減らしました。

勿論、その時も最寄の警察署に相談しましたが同様の回答で・・。

中が見えず何人乗っているかも分からない恐怖もあり、電車通勤をやめてバイクで駅付近を通らないルートでの
通勤に変えてみたところ、漸くつけられることはなくなりました。

その1〜2ヶ月後、同じ駅の女性がワンボックスカーで連れ去られたり
自宅から10メートルも離れていないマンションのエレベーターで女性が一緒に乗ってきた覆面の男性に首を切られて大怪我をしたという
ニュースを立て続けに聞き、寒気がしました。

結局また引越し。前以上に警戒をしながらだった為、その後は長期で付回されることはありませんでしたが、時々単発では続きました。

人気の無い道で1歩後ろ位の距離でぴったりつけられ気付いていないふりをして、交差点に出たときに猛ダッシュで逃げて建物の隙間に
隠れていると、何か細長いものを手に持って(刃物?スタンガン?)
あたりをキョロキョロと探している男性が見えたり・・。

明らかにつけられている時は途中、無駄にコンビニや本屋に入って中を一周してから出ると、
やはり同じようについてくるのを確認して、そのまま交番に駆け込んだことも何度かありました。

20代の頃はとにかく怖い思いをする事が多かったです。

電車の中で目をつけられて、沢山の乗客にまぎれて後をつけていたのかもしれませんね。
あ。30代後半になってからはぴったり無くなりましたけどwww
まあ、若かったからということでしょうね^^;

最初に知人にストーカーをされてから、男性に気軽に接するのもやめました。
今も人付き合いや人ごみが苦手なのですが原因のひとつなのかもしれませんね・・。

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自分の事ばかり書きましたが、ストーカーには元の気質+相手がマッチングしたときに始まるのではないかと経験上思います。

これは、男性-女性の組み合わせだけではなく、同姓同士や仕事での上司部下の関係でも同じ事象が起こること。

ネットでも不特定多数の相手に対して自分の思い通りの意見が賛同されない事でひどく落ち込んだり、
他責の念になって怒りにかわったり・・。いつでも誰でも巻き込まれる機会があります。

思いに応えてもらえない、思いを押し付けても思い通りにならず段々怒りの感情が大きくなり、行動がエスカレートします。
本人は怒りをこらえる事しか出来ませんが、それはいつか限界が来て最悪の結果になってもおかしくありません。


今は、法律も改正しシェルター施設も増えつつありますので被害者側の保護は以前よりも良くなったと思うのですが、
加害者側はそもそも罪の意識がないので(他責での気持ち)服役や相手と近づけない期間が
あったとしても根本の解決にはなっていないと思っていました。


その番組では、実際に加害者だった人が更生施設を自ら見つけ参加したことで気持ちが変わったと話されていました。
声が聞けず、姿が見えないとタバコやお酒の禁断症状と似た症状が現れる(震えや怒りなど)とも言われていました。

ただ、考え方は変える事ができると。

人は思い通りになりません。また自分も思い通りに生きているかといえばそうでない場合は多いと思います。
まずは、自分が思いの通りに行動する事が出来ているのか・・。
その事を最初に考えてみる必要があると改めて感じさせられました。

このような加害者になってしまう人の支援は本当に必要だと感じます。
近年のコミュニケーション不足となる環境やリアルな交流の機会が減ったことで、人との接し方の経験を積む機会も少なくなっています。

支援などで気付く事ができれば被害者も救われるでしょうし何よりお互いが不幸にならなくて済むのではないかと思います。
ここ数ヶ月体調が思わしくない日が続き、更新も訪問もままならず申し訳ありません・・。
よくなると良いのですが、原因がはっきり分からず・・


祖母が亡くなり早いもので約1年が経ち、先日一周忌の法要の為に帰省しました。
正確に言えば8月3日が命日なのだが、初盆も近いため少し早めに親戚が集まりやすいという日に設定をしたそう。


宗派や地域によって風習が異なると思うが、祖母の住む地域は1つの集落が全て同じ宗派のため、
お寺も1つでありお墓はどの家も自宅の裏山にある。

祖母が亡くなったのと同じく、法要の日も暑かったが法要は寺で行われた。
開け放したお寺の中は風があり日陰の為じっとしていれば辛うじて礼服で耐えれる状態・・。

少し長めの読経が終わる頃に、正面の入り口から1匹のトカゲがやってきた。
スルスルと歩くとお坊さんの後ろでぴたっと止まり顔を上げじっとしていた。
法要が終わる頃になるとまた歩き出し、部屋の奥のほうへ行ってしまった。

見えざるものは信じないし、不思議な現象も自身の解釈なのだと思うが、
このような場で生き物に乗って下界に降りてくるという事を聞いたことがあるのを思い出し静かに見守った。

その後、祖母の写真を飾り会食をした後、祖母の子供にあたる叔父や叔母と私達孫は祖母の家に戻り夜遅くまで話し込んでいた。
毎回はじめて聞く話を聞かされ今回も驚いたものだが、曽祖父の亡くなった時の話なども聞くことができた。

その夜。日付がかわり祖父の命日の日になった。

叔母や従姉妹達と仏間で雑魚寝をしていたが、寝つきの悪い私は疲れきっているはずなのに、
目を閉じても眠れず悶々としていた。

うとうとし始めたのに、何故か目が覚めてしまいふと横で寝ている叔母の顔を見ると祖母が横たわっているように見えた。
驚いて体を起こしたが正面の顔は叔母であった。祖母の子供だが叔母は祖父に似ているので少し驚いてしまった。

気のせいかとまた横になり、何気なく仏壇に目をやると直径10センチ程の青紫の光が浮いているのがはっきりと見えた。
私の目の錯覚かと思い、慌てて反対側で寝ている従姉妹をたたき起こして二人で確認したがやはり光の玉は同じように見えていた。

二人で顔を見合わせていると、すぐ脇の障子でガサガサと音がし始めたので驚いてその方向へ目を向けると
大きな蜘蛛が部屋の中に入ってくるところだった。
きっと祖母が来たのかもしれないと小声で話して寝る事に。


翌朝、お坊さんの指示通り家にある沢山の盆灯を引張りだし初盆は新しい盆灯を新調するということで、
最新型の水中花の入った泡が立つ女子っぽいものを購入し、
合計で7組14本仏間を埋め尽くす位の量の盆灯を並べて帰ってきた。

初盆は初めてわが家に帰ってくる祖母が迷わないようにできるだけ明るくするという意味合いだそう。

喪明けを向かえ、不思議なことはあまり信じたくない私でも、
今回ばかりは祖母の思いの強さを感じる出来事だと感じる。


梅雨も明け夏本番。
今年は各所で災害も起き、猛暑の予想となっています。
皆さまお体くれぐれもご自愛くださいませ・・。
「三つ子の魂百まで」と言われるように、
基本性格は幼少時に形成された状態で
ある程度確立してしまう。

ただ大きな出来事に直面し正面から向き合う
事で「考え方」は変わることができる。

苦悩の場合が多いと思う。そして取り返しの
つかない状況になって
はじめて人は気付くものです。

これは、災害時に逃げ遅れる人の心理状況
うち「正常性バイアス」(Normalcy bias)
に近いものにあたる。

自分が渦中にいても向き合う必要はないと
楽観視してしまうことで最悪の結果を
招くまで気づかない場合。
(「前向き」と「楽観」は違うと考えます)

最後までそこから抜け出せない人の多くは
逃げの行動をとり、経験から学べず
出来事をなかったことにしてしまう。

楽観視せず正面から受け止めるということは
精神的にもとても大きな負担になるが
その出来事によって大きく考えが変わる。

とてつもなく、大きな課題に直面する事は
辛いけれどそれを乗り越えなければいけない
状況なのだと思う。

人にはそれぞれの「課題」があると思う。
その課題に向き合わなければ同じ課題が
一生繰り返し手を代え品を代えやってくる。

例えば、身近で言えば仕事が辛いから、
苦痛に感じるからと会社を変わったとしても
次の仕事先で同じような課題に直面する。

それは外的要因ではなく自分の内面にある
事に気付かなければ変わらない。

会社を変えて、ブログも変えて、人間関係を
つどリセットする人も見かけるが
結局は自分が変わらなければ繰返すだけだ。

現状を他責にする人も多くいるが自責の念で
なければ自分を取り巻く状況は変わらない。

自問自答を行っている人は苦悩するだろうが
向き合う事で得るものは大きい。

私は、そのような人を応援したいと思う。
ここ1月ほど体調が悪く、夜は殆ど寝付けず
会社には行くけれど、原因不明の体のだるさや
痛みに耐えている毎日でした。

普通よりも体の自由が効かない状態で頑張るの
ですから、夕方にはもうヘトヘトです。
それでも踏ん張って、今週くらいから
少しづつ痛みが和らぎ、夜も多少眠れる
ようになってきました。

仕事を取り巻く状況がかなりの負荷だった
せいかもしれません。

それでも、こうして仕事をさせてもらえる
だけでありがたいと思います。



先ほど、麻央さんの悲報を知りました。
彼女は最後の最後まで、あきらめることなく
素敵な笑顔でした。

それは私たち、そして自分に向けられたもの
かもしれません。

彼女のように強い気持ちで前を向いてゆける
ことはなかなかできるものではないと思います。

ただ、彼女の生き方を見ていると
改めて毎日を大切に、真剣に生きたいと
思います。

諦めたり、手を抜いたり、他責にしたりなんて
ありえない。自分の力で強く生きて生きたい。
うわべや軽い気持ちで時間を潰すなど、私には
無用なものです。


ただただ、御冥福を祈るばかりです。


※体調がまだ優れず、皆様のところへも
 訪問できず申し訳ありません。