昨日、18歳の子達が仕事のプロに約1ヶ月ほど弟子入りを
するという番組を見ていました。

丁度、来月高校生に自分の人生の経験から将来のヒントを話す
授業が控えている為、自分の18歳の頃と重ね合わせていました。

先月中学校へ同様の授業をしたときは、将来の夢がある子は
既にその先を見据えている目で講義を熱心に聞いていました。

高校生は二分していると思います。
授業をする学校は進学校で、一旦はどの大学か、その先
に漸くどの道に進むかを選択する時期であるといいます。

単純に理系か文系かを悩む子もいれば、強く叶えたい仕事が
あって、道を決めている子もいるようだけれど、割合で
言えばまだぼんやりとしか分からない状況のよう。


番組の話に戻すと、料理人に弟子入りした2人の子は対象的で
1人は高校に行きながら料理屋で夜はアルバイトをしていて
卒業する来年の春からは京都のお店に就職が内定している子。

もう1人は、東大を目指しているがまだ就職はぼんやりとしか
見えておらず、選択肢の一つだった料理の世界を見てみたいと
いうことだった。

やはり結果は目に見えていて、既に3年のキャリアがある子に
圧倒され、東大を目指す子は料理人を就職の選択肢から外した。
理由は「そんな簡単に料理人になりたいと言うべきではない」
と言っていた。

もう一組は清掃のプロに3人が弟子入りしたが初日から遅刻。
2回目はないよといわれたが、その5日後に1人の子が再び
遅刻をしてしまい、二度と職場に行くことは許されなかった。


編集に弟子入りした4人の子達も同様で、初日は1ヶ月も前から
分かっていたのに、過去の作品を持ってきただけだった。

「今やらないなら、この先も同じ。違う道を選ぶでしょう。」
また、自分の思うままに書くだけなら趣味でいいんじゃない?
と編集人に言われていた。

私も出版業界にいたので分かるが、たった1冊本を出すだけで
膨大な費用がかかる。何度も増版にならなければそのコストは
吸収できない。そう思うと、自分の感情を書き殴るのではなく
「今の世の中」にどれだけ読者が心を打つものであるかだと思う。
私も出版社の立場なら売れる「確信」が持てなければ出版はしない。

自分がどこまで叶えたいのかを自分と話し合うことも大事だと
思う。ただ、生きる為に最低限必要なお金は捻出しなければ
ならないし、その危機感から作品が生まれる原動力になる。


今の世の中の社会人が全員そうなっているとは思っていないが
少なくとも「1円」でもお金をもらうということはその時点で
プロであるという自覚が必要だと思う。

趣味であれば、やりたいように自由な期間ですればよいが
時間をかける=コストに反映されるし、お金をもらう仕事は
全て最終はエンドユーザーがいる=お金を払う。
払いたくなるモノであるか、そう思われる仕事をしているか。

限られた時間の中で最高のパフォーマンスを出すと言う事が
プロであり、社会人としての務め。
会社の一員として働く限りは自分の動きは全員に影響し、
相手から見れば、対会社として見られる。

個人で仕事をしているのであれば尚更シビアであり、
その瞬間に満足の行くパフォーマンスが出せなかったとしても
それが全てであり、結果によっては次回の仕事はなくなる。

学校は先生がいて皆平等に授業を受け、その結果をテストで
はかるけれど、社会に出たら自身で常に新しい世の中に対し
情報や知識を得る為の勉強をし続けなければならない。
1度の信用を失う行動や言動は、その人の人生を終わらせる。


私が18歳の頃は既に社会に出ていた。
後に社長に言われた言葉を今も思い出すけれど、「知識は
後からいつでも身に着けることができるが、経験は若い程
よく、時間に限りがある」ということ。

人は同じ時間が平等に与えられ、その中で何をするかだけで
大きな差が出てくる。人より努力をして優れている分、他に
時間を避けなかった部分は大幅に劣っている可能性がある。
それを自覚し、毎日をどう過ごすか。
1年、10年経つと驚くほど差が出てきてしまう。


私は18歳の頃は夢を見るような環境ではなく、ただ「生き
延びる為」に必死で働いていた。欲しいものがあれば、
その分休みや眠る時間を削って働いたし、今はそれが全て
役にたっている。

今この瞬間どんな環境で、何を取り組むかは自由だけれど、
できるだけ全てのことに本気で向き合って欲しいと思う。
やはり、第一線で活躍する人は少なくとも18歳の時には
行動を起こしているし、毎日人よりも努力を重ねている。

どんな実力者も才能も努力なくては開花することができない。
開花したくば人より早く行動を始めること。一生、努力を
し続けること。いかに早くこれに気づくかにつきると思う。


そこまで辛い思いをしたくないという人もいるかもしれない
けれど、選択は人ぞれぞれで良いと思います。
自分の選択、生き方の結果が今にあるのには間違いはないこと。
そして、気づけば今からでも少しづつ変えてゆけること。
随分久しぶりの更新になってしまいました。

先週、会社で大きなイベントが終わりましたが、
私が心身共に燃え尽きてしまい(笑
体調を崩しそのまま引きずっています。
残務処理も終わり、少しづつ通常に戻ってきました。

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今回は少し毛色の違うお話ですが、今も進化し続けている
音について・・。

今は、iPodやミュージックプレーヤーなど種類も豊富で
どこでも気軽に音楽が聞ける時代。

私が生まれたばかりの頃は、レコードが全盛期でしたが
バブル期に手軽に音楽を持ち歩けるカセットプレーヤーが登場し
その後テープ、CD、MDと小型化をしていきました。
そして現在はCDの売上げにも大きく影響する音楽配信や
web場で音楽が拾えてしまう今日この頃。

バブル期の大量生産・大量消費の頃に流行りだした音源は
音も圧縮されています。絶対音感でなければそこまで気には
ならない事と利便性が受け金額も手軽になった分、音楽を聴く
行為も、そして音自体も軽くなっていきました。

そして一時はレコードが絶滅・・。
私が住んでいる地域では、古本と共に古いレコードを扱う
ショップくらいしか存在せず、レコード針の製造も一時
危ぶまれていました。


ところが、ここ数年再びレコードのブームが起きています。
そのブームの一番の原因は「ハイレゾ」だといわれています。
若い世代でハイレゾ音源を聞くことにより耳が肥え、それに
見合うプレーヤーやヘッドフォンも売上げが伸びています。

CDは人間が耳で感じ取れない周波数(22,000Hz以上)は書き込む
データ容量の関係上カットされています。更に変換したmp3等の
音源は容量が少なくなった分、更に音域が狭くなっています。

ハイレゾは、CD音源より30〜70%程度音域が広い為、CDより
より臨場感を感じられます。(若干硬く思えますが・・)

更に最近のミュージシャンが新アルバムをレコードでリリース
すると、ジャケットを部屋に飾るだけでもかっこいいと^^
そしてレコード世代の人たちが引退して、当時のように昔の
レコードをひっぱり出し、ゆっくり音楽を聴く「儀式」を行いたい
という需要が増えたこともあります。


仕事柄、超お高い機器で音源を視聴する機会がありますが、
様々な音源で聞いても、やはりレコードの音源はデジタル化しても
他に比べ柔らかみのある落ち着いた音だと感じます。
あくまで感覚ですが・・(独特のプチプチ音も良いですね)

そもそも、アナログ音源とデジタル音源を比べるという話で
どちらの音源が良いかというのはもはや好みでしかありません。
1ついえることは、レコードしかなかった時代とは違って
TPOにあわせて音楽を聴くことができる時代になっている
ということです^^


私は音楽が好きで、とにかくいつでもどこでも聞いていましたが
仕事が忙しくなるとそんな気持ちもなくなってしまいます。
せめて、ゆっくりしているときに目は休めて好きな音楽だけを
ただ聴いて、リラックスしたいなと思う今日この頃です^^;
今日は、少し気になる記事があったので引用させていただきます。
(長くなってしまいますが・・)

パウロ・コエーリョという世界的なベストセラーを出した著者は、
自身のブログに小話を掲載しています。
オリジナルはブラジルの昔話だそうですが、働くということを改めて
考えさせられる内容で全世界で多くの人に引用されています。

以下引用文です。
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「漁師とビジネスマン」

昔ブラジルの小さな村で、ひとりのビジネスマンが浜辺に腰を下ろしていた。
ひとりのブラジル人漁師が小さな船に乗り、少しの量の魚を捕って岸に戻ってくるのが見えた。
ビジネスマンは感心して、その漁師に尋ねた。

「それだけの魚を捕るのに、どれぐらい時間がかかるんですか?」
「そんなに長い時間はかからないよ」と漁師は答えた。
ビジネスマンは驚き、さらに漁師に質問をした。
「だったら、どうしてあなたはもっと長い時間海に出て、もっとたくさんの魚を捕らないんですか?」
「これだけあれば、家族を養うのに十分だからだよ」
「残りの時間はいったい何をしてるんですか?」
「そうだね、私はいつも朝早くに起きて、それで漁に行って魚を何匹か釣るんだよ。その後は家に帰って子どもたちと遊んで、午後には妻と一緒に昼寝をして、夕方には村の連中と酒を飲んでいるよ。夜通し、ギターを弾き歌い、踊るんだ。」

それを聞き、ビジネマンはその漁師にアドバイスを始めた。
「私は経営管理の博士号を取得しています。私はあなたを成功へと導く手助けができますよ。あなたは、これからはもっと長い時間海にいて、できるだけたくさんの魚を捕ってくるべきです。それで十分なお金が貯まったら、いまより大きい船を購入できます。そうすれば、もっと多くの魚が捕れます。そして、そのうち、もっと多くの船が買えるようになります。その後は、会社を設立して、缶詰工場を作り、販売ルートを開拓することもできるでしょう。やがて、あなたはこの小さな漁村からサンパウロへと移り住み、大きな本社ビルを置いて、支店を管理できるでしょう。」
「それで、その後は?」
ビジネスマンは腹を抱えて笑い、「その後、あなたは王様のような暮らしができますよ。頃合いをみて、株式上場すれば、あなたは大金持ちになるでしょう」
「それで、その後は?」
「そうすればもう忙しく働く必要はありません。引退をして小さな漁村に移り住んで、朝早くに漁に行って、少し魚を捕り、その後は家に帰って子どもたちと遊び、気持ちいい午後には奥さんと一緒に昼寝をして、夕方には村の連中と酒を飲み、夜通しギターを弾き歌い、踊るのです」
それを聞いた漁師は怪訝(けげん)な顔してビジネスマンに言った。
「それは、私がいまやっていることと何が違うのか」

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上記までが引用文です。

人は豊かな生活を送りたい為に長時間労働をする。格差がある場合は尚更。
生活に必要な最低限の暮らしから抜け出す為に、自分の時間を失って仕事をする。
それだけではなく、生活水準を上げる為のものを買ったり浪費をしてしまう。
そのことで更に働かなければならない。働けど働けど、豊かにならない。

この様子は回し車の中で走り続けているネズミのラットレースに見立てて
「ワーク・アンド・スペンド・サイクル」と呼んでいるそうです。


私がこのブログでは技術的特異点の話をしながら、祖母の家で暮らした
私の原点である「生きる=食べ物を口へ入れる」という本分を忘れないよう
過去〜現代〜未来と交錯しながら記事を書いていますが、誰もがこの
ラットレースの中に巻き込まれるとそれ(本分)を見失ってしまうのです。

働いてはいけないという話ではなく「働き方」という部分の視点。

私達は、何の為に働いているのか。何の為に生きているのか。
決して意味を見出すとか、生かされているというような話ではなく、
自身がしている選択が自分の心と一致していればいいのだけれど。

ただ、仕事が楽しいのならそれは良いと思います。やりがいがあって
仕事をしているほど幸せなことはありませんから。
また「暇」という時間が恐怖だからという人もいるかもしれません。

そして、ある程度お金がなければ生きれない環境なのも現実なのです。
でも、目の前にある分かりやすい「お金」に目がくらんでしまうことが
本来目的が見えなくなりラットレースを続けてしまう原因のように思います。


サザエさん一家は、お父さんと婿が働けば都心の一等地で7人家族が
十分豊かな暮らしができていた時代。
今は一人でも生きていくことが難しい時代。勤勉な日本人はいつの間にか
ラットレースに巻き込まれているのです。

何を重要視して日々を過ごしているのでしょうか。
時折、流されて回っていないのかを振り返ることも大切だと思います。

これからは、人工知能やロボットがますます仕事に介入してきます。
共存をしていくことになるでしょう。ただ、がむしゃらに働くのではなく
人は「人でなければできない分野」を目指すことがこれからの時代は
必要になってくるのかもしれませんね。
【実るほど頭を垂れる稲穂かな】
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように人間も学問や徳が
深まるにつれ謙虚になるが、小人物ほど尊大に振る舞う。 
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仕事は大抵誰かのものを引き継ぐことが多いですね。
新しい部署ができれば別ですけれど・・。

とりあえず同じやり方をその人から学びます。
ここで、より良いやり方を編み出すように創意工夫をするとベストです。
そのやり方が定着し、また次の世代に引き継ぐ時期がやがてやってきます。
そのときにはじめて自分がその仕事を理解しているかが試されるのです。

仕事は教わったことを教えてはじめて一人前といわれています。
教えるということはその仕事を理解していないとできないのです。
そして、教える相手から自分の中にはない考え方を知ることが
できます。そのことでまた学べるのです。

長い芸能や技術の伝承と同じで、全ての仕事にも当てはまりますし、
家でも姑から嫁、親から子へ引継ぐ際に同じような状況になるのだと思います。
教育者も含め、教える側は完璧ではないのです。
長年、教えながら学んでいってはじめて磨かれるのです。

私は、一旦マニュアルは業務上必要な為ポイントだけ作成します。
漏れてはいけないこと、手順を間違ってはいけないものだけ。
それ以外は基本相手に任せています。

基本的なことや、手を抜くために大切なことをやめたりしなければ、
結果は同じか更に良いものになると思います。
過程で失敗するかもしれませんが、そのことで次に失敗を
しない為の方法を考えるようになります。

完璧なマニュアルは、作成した瞬間から古くなっていくのです。
見落とさない為のものなら良いですが、100%書いたとおりに
すればよいというものは頭には入りません。無意識下で
「作業」をする事になってしまうからです。

何が起こるかわかりません。マニュアルに頼りきりでは突発的
なことに対応ができなくなってしまうのです。

何事も「学ぶ」姿勢が大切なのだと思います。

かつて色々な人に出会いましたが、本当に人格のある人は
どんなに偉い人でも低姿勢なのです。
反対に稲穂が実らないような「経験を通過しただけ」の人は
謙虚さはありません。ただ後者が非常に多いように感じます。

最初の言葉ではないですが、自分以外の全てから学ぶという
気持ちがあれば、経験を積むほど謙虚になっていく・・
このほうが自然なことかなと思います。

先週は、あまりの繁忙ぶりに全く自分の時間がなく・・
今週は先延ばしをしていた乳がん・子宮がん検診も
漸く受けることができました。(年に一度は受診を!!)

さて、今日は忙しい合間でも気晴らしで続いているゲームの
話から・・。ポケモンGOが始まり約三ヶ月。今週はハロウィン
イベントでお化け系ばかり出ています^^;

今も続いている人は当初の2〜3割程度だと思いますが
案外私は飽きずにコツコツ派なので続いているのでしょうね。
1〜2年位はやっていると思います。
ドはまりもしないので飽きるのも遅いのかも・・。
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ところで、今回のゲームで基本的に人間は大なり小なり
「収集癖」があるのだと改めて感じました。

人間は狩猟動物ですので「狩って巣に持帰る」という心理を
本能的に持っています。男性が収集癖が多い傾向にあるとも
言われていますが男女比は変わらないと思います。

男性の場合はプラモデルや釣りなど趣味もの、女性も洋服や
靴や鞄など・・普段使うよりも必要以上に買っていませんか?
それがまさしく収集癖なのです。

食料品や日用品の買いだめなども収集癖の1つです。
買う行為そのものの原因と、集める心理が輻輳しています。

自分の世界で楽しむだけならまだよいのですが、ゴミ屋敷化して
しまうほど集めてしまったり、モノではなく女性をハントするのが
目的になって1人の人を深く愛せないなど・・(笑
行き過ぎ日常に支障がでる病的な人も見られます。

心理的には下記のいずれかに当てはまると言われています。

1. 自分自身を慰める為
2. 不安や心配事の打ち消し
3. 他の人に自慢したい
4. 授かり効果の心理
5. 集めた苦労を無駄にしたくない

*決して下のことが全ての原因ではないと私は考えていますが
 参考程度で・・。

1.は子供の頃、家族からの愛情が満たされなかった経験を持つ
 ケースなどで、愛情の代わりに沢山モノを集めて心を満たし
 安心感を得るという心理があります。

2.は災害を経験した方や、無くてとても困った思いをした人は
 その不安をなくす為に必要以上のストックをしてしまう場合
 があります。

3.は「ブランド品」などを所持、まとう事で自身の価値を高めたい
 という心理で自分に自信のない人ほど集める傾向にあるそうです。

4.の「授かり効果」というのは手に入れて自分のものになった時
 買った価格以上の価値であって欲しいという心理が働くことにより
 起こるものです。この心理がある限りモノは捨てられなくなります。

5.はまさにポケモンですね^^;折角時間を費やして集めたものを
 途中でやめてしまったり終わらせることはかなり難しいです。

集める=捨てられないのです。
捨てるということほど不安なことはありません。
今まで集めたものを手放すことになるわけですから・・。

熱狂的にそのものが欲しい・集めたいという場合はこの収集癖には
あたらないようですが、気晴らしに買い物をする、そこまで欲しく
無いけれどつい集めてしまう・・こっちのほうが依存性が高いのです。

本当に欲しかったものに囲まれている場合は今のままでよいと思います。
そのほうが心理的には満たされているわけですから・・
ただ「片付けたい」と思っているのに捨てられないのは依存性が高い
状態ですので、思い切って整理をしてみるのもひとつの方法です。


私も洋服が好きでしたが、仕事着は平日5日、週末は土日全て出かけ
たとしても8日位。31日全てを違う服を着ることはありません。
それを思うと沢山ある必要性がなくなり、ほとんど処分しました。

お気に入りで素材のよいもの、10年先も着たいものと、仕事で
必要な(消耗品)枚数以外は全てリサイクルしたことですっきり。
その後、コーディネートをに困ることもなくなりました。
多くても結局はお気に入りだけを着ることになるし、選ぶだけで
正直しんどい・・。

元が少なければ、毎年新しいものを着るゆとりもできますしね^^
流行モノの服には極力お金はかけません。いずれ手放すことに
なりますから・・。

捨てるのがもったいないという気持ちは分かりますが、買うときに
結局捨てる事になるのではないか(もったいなくしているのは自分)
と一呼吸置いて考えてみることも大切かもしれませんね^_^