偶然の視聴が気づかせた「司会者の力量」


ある日曜日の朝のことです。
たまたまつけたテレビで、NHKの「日曜討論」が映りました。
政治家の方々が議論する番組ですので、私は普段ほとんど見ることがありません。
ところが、この日はなぜかチャンネルを変えず、しばらく見入ってしまいました。
気になったのは、司会者のパフォーマンスです。

番組終盤では「あれ?」という印象になってしまったのですが、私がテレビをつけた直後は、
「ウッ」と息をのむような衝撃を受けたのです。

何に衝撃を受けたのかというと、
“もし自分があの場で司会者の立場だったらどうするだろう”
と、思わず想像してしまったことでした。

もちろん現実にそんな場面が訪れるわけではありません。
司会者の一人はNHKの解説委員の方のはずで、NHKの中でも選りすぐりの論客でしょう。
だからこそ務まる大役であり、私がその役を担えるはずもありません。

それでも、あのレベルの力量を目指そうとするビジネスパーソンが多くいる組織は、きっと素晴らしい業務パフォーマンスを発揮するだろう――

そんなことを考えてしまったのです。

 


ファシリテーションは高度な情報処理


一言で言えば「ファシリテート力」です。

発言内容を踏まえ、次に誰へ話を振るべきか。
議論をどの方向へ展開させるべきか。
ファシリテーターは、ほとんど瞬時にそれらを判断し、次の展開をつくっていかなければなりません。

番組の最後は、順番に見解を述べてもらうだけの進行でしたので、比較的楽な取り回しです。
しかし、私が見始めた直後はそうではなく、その巧みさにある意味で衝撃を受けたのでした。

 


公開討論が“討論”にならない現場の課題


ここから、私自身の原体験を一つ紹介したいと思います。

講演会の後半には、よくパネルディスカッションが設けられます。
前半で登壇した方々がフリートーク形式で議論を深める場であり、オーソドックスながら価値ある時間のはずです。
しかし、あえて「価値あるもの“のはずです”」と書きました。

楽しみにしていたパネルディスカッションが、期待外れに終わるケースを少なからず経験してきたからです。

パネルディスカッションは公開討論の場ですが、実際には討論にならず、
講演の延長のように登壇者が自説を述べるだけで終わってしまう――
そんな場面に何度も遭遇しました。

「おかしいな。パネルディスカッションとは本来こういうものなのか」
そう思うほど違和感を覚えることが多かったのです。

 


プロフェッショナルがつくる議論の場


そんな中で出会ったのが、“本物の”ファシリテーターによるパネルディスカッションでした。

国土交通省主催のイベント。
テーマは道路交通安全マネジメント。
かなり専門的で、特定業界向けのビジネス討論です。

そこでファシリテーターを務めたのは――

池上 彰 さん。

あの池上さんです。
その瞬間、私は「天地がひっくり返る」と言いたいほどの衝撃を受けました。

進行も内容も、それまで経験したパネルディスカッションとは桁違い。
議論はどんどん深まり、登壇者同士の掛け合いが自然に生まれる。

そこに展開されていたのは、まさに理想のパネルディスカッションでした。

 


池上彰さんの進行に学ぶ“構造化と対話”


プロ中のプロがファシリテートすると、こうなるのか――
その現実を目の当たりにしたのです。

池上さんがその分野の専門家であるはずはありません。
それでも、池上さんがコントロールするパネルディスカッションは、驚くほどみずみずしく、躍動感に満ちていました。

決して真似できるものではありません。
しかし、究極の理想像として、私の中に深く刻み込まれました。

 


理想像を基準にした自己研鑽のすすめ(締め)


あのパネルディスカッションから十五年。
いま振り返っても、あの場で感じたみずみずしさと躍動感は色あせることがありません。

理想のファシリテーションは、きっと一朝一夕では身につかない。

それでも、あの光景を思い出すたびに、もう一歩だけ前に進んでみようと思えるのです。
あの日の衝撃は、私にとって“学び続ける理由”そのものになりました。