こんにちは。
今日もハーモニー経営に関するお話です。

 

ハーモニー経営の一端を垣間見ていただくために

ある大企業の部長の苦難、そしてそこを様々な人を巻き込みながら突破していく物語、第2話です。

 

 

 

第2話:見えない壁と、かすかな灯

 

1.会議室の仕掛け

水道事業本部・第2会議室。午後の空気は重く、テーブルの上には大量の資料が積まれていた。

 

「では次に、供給管理部からの報告をお願いします」
司会役の部長代理が視線を向ける。

 

山川誠はゆっくり立ち上がり、プロジェクターに資料を映した。

今日の報告は、ただの業務報告ではない。

会社の“大義”をもう一度取り戻すための、小さな仕掛けである。

 

資料の1ページ目には、こう書かれていた。
 

『水道インフラの使命とは何か
——安定供給を超えて、社会の未来を見据えた視点へ』

 

会議室の空気が、すこしだけピンと張った。

 


 


2.届かぬ言葉

山川は静かに話し始めた。
 

「我々は“止めないこと”を使命としてきました。しかし、それだけでよいのでしょうか。工業地区の生産体制、病院の医療行為、地域市民の暮らし。私たちは、そのすべての基盤を支えています。この視点が、今の業務の中で語られることが、あまりにも少ない」

 

役員たちは無表情であった。

だが、その無表情の中に、山川は“わずかな緊張”を感じ取っていた。

 

「現場は疲弊し、若手は誇りを持つ機会を失っています。『報告』と『是正』に追われ、会社の大義が薄れていると感じるのは、私の感覚が狂い始めているということでしょうか。このままでは、会社は“守り続けること”すら危うくなるかもしれません」

 

本来なら、もっと強く語れた。

だが抑えた。抑えなければ、相手は耳を閉じると分かっていたからである。

 

「小さくてもいい。“大義”を取り戻すための話し合いを、部門横断で始めたいのです」

 

画面に映したのは、現場の声を吸い上げる仕組み、若手の質問会、上層部と現場の対話など、ごく控えめな施策であった。

しかし四、五人の役員は、明らかに表情を曇らせた。沈黙が落ちる。まるで深い沼のような沈黙であった。

 

副社長が口を開いた。
「気持ちはわかる。しかし今は規制対応が最優先だ。“理念”の話は、もう少し落ち着いてからでいいのでは?」

 

経営企画部の役員が続けた。
「現場の声を引き出すのは良いが、組織を揺らすような動きは慎重に。不安を煽ることになっては世間の厳しい目が来るぞ」

 

山川はうなずいた。うなずきながら、胸の奥がじわりと冷えていくのを感じていた。

 

——結局、今日も届かないか。

 

「不安を煽るつもりはありません。ただ、このままでは“誇り”が消えていきます」

しかし誰も賛成の言葉を口にしなかった。会議はそのまま次の議題へ移っていった。

 

山川が席に戻ったとき、胸には大きな穴が開いたような感覚があった。
 

——やはり、壁は厚い。

 


 

3.専務の言葉

会議後。廊下を歩いていると、年配の役員・矢野専務が声をかけてきた。

 

「山川くん、今日はずいぶん踏み込んだ話をしたね」

矢野の声は、叱責でも賞賛でもない。ただ静かな観察者の声であった。

「……つい、言わずにはいられなくて」
「悪いことではないよ。ただ、会社は大きい。“想い”だけでは動かんものだ」

 

矢野は少し間を置き、静かに続けた。
 

「君のような人間が、現場のために声を上げるのは貴重だ。ただ……もう少し、味方を増やすことだな」

 

味方。そう言われると、胸がまた重くなる。

自分は孤立している。

現場のことを本気で語る同僚が、どれほどいるだろう。

 

矢野が去り、廊下に一人残された山川は、一瞬だけ心が折れそうになるのを感じた。

 


 

4.現場の声

翌日。山川は疲れた顔で出社した。

だが気持ちを引きずらず、まず現場に向かった。

 

ポンプ室。配管の振動を抑えるための点検が行われていた。佐野が安全ベストを着て記録をつけ、若手作業員が汗をぬぐいながらバルブを調整していた。

その横顔は真剣で、まっすぐで、昨日の会議室とは対照的であった。

 

「山川さん、昨日の資料、拝見しました!」佐野が駆け寄ってきた。
「え?どうして知ってる?」
「会議メモを共有してもらって……。“大義を取り戻す”っていう言葉、すごく胸に刺さりました」

 

山川は息を飲んだ。
「そうか……」
「はい。僕ら現場は、もっと上と話したいです。報告やミス防止じゃなくて、“何のためにやるのか”って」

 

すぐ近くの若手作業員が小さくつぶやいた。
「俺も……。変な話だけど、誇りとか、そういうの、もう一度ほしいっす」

 

山川の胸の奥で、何かが音を立てた。昨日、会議室で押しつぶされそうになった想いが、今、現場の若者から真っ直ぐ返ってきた。

 

——諦めるわけにはいかない。

「よし。じゃあ、まず俺たちで始めるか」

 

ふたりは驚いたように、そして少し嬉しそうに笑った。

 


 

5.小さな対話会

その週の終わり。

山川は、自分の部内で小さな“対話会”を開いた。

役員会議で否決された「部門横断」ではなく、あくまで自分の部の中だけでの取り組みである。

 

5名ほどの若手と中堅が集まり、“今の業務で苦しいこと”を自由に話す場だった。

最初は誰も口を開かなかった。

 

だが、ひとりが話すと次々と続いた。

  • 現場からの要望が経営に届かない
  • 手続きばかり増えて、仕事の目的が見えない
  • 誇りを語ると、浮いてしまう空気がある
  • 若手が未来を描けない

山川は黙って聞いた。

決して否定も指示もしなかった。

ただ、真剣に耳を傾けた。

 

会が終わる頃、佐野がぽつりと言った。
「……こういう場があるだけで、救われますね」

 

その言葉に、山川の胸に静かな熱が広がった。

 


 

6.広がる灯

2週間後、再び対話会を開いた。

参加メンバーから「月に1回の定期開催」「他部署の希望者も参加できる形に」という提案が出た。

 

山川は即答できなかった。リスクが頭をよぎったのである。
 

他部署からの参加者が出れば、会社としての公式行事でもない中で越権行為と見られる可能性。
よその部の部長から「勝手なことをしないで欲しい」と横やりが入る可能性。
様々な現実的な障害が脳裏に浮かんだ。

 

「ちょっと考えさせてくれ」
 

山川はそう答えた。

提案した若手に落胆の表情が浮かんだ。だが、今そのリスクをすぐに取ることはできなかった。

 

しかし3回目の対話会。若手はさらに考えていた。
 

「今日の対話会の内容を録音させてください。その録音データをCDに焼き付けます。その現物を希望者には貸与する。ただし業務時間中には聞かないこと、というルールを守ってもらうようにします。居酒屋で会社の愚痴を言って周りに聞かれるより、よほど前向きだと思うのですが、いかがでしょうか」

 

山川は、わかった、としか言えなかった。

次の対話会が始まるとき、山川は耳を疑った。
 

「前回の録音は本当にCDに焼いて誰かに渡したのか?」
「はい、希望者が思ったより出てきて、CDはあと3枚焼いて貸し出しています」
 

「えっ、あと3枚?」
「はい、全部で4枚になりました。そろそろ10名くらいには聞いてもらったのではないでしょうか」

 

たった2週間の間に、10名もの希望者が録音を聞いた。

画像もない音声だけの記録に、それだけの人が耳を傾けたのである。

 

山川にとっては胸が熱くなる出来事であった。

 


 

7.専務の揺らぎ

その噂は、知らぬ間に役員の耳にも届いていた。

 

月曜の朝、山川は突然、矢野専務から呼び出された。
「聞いたよ。君、独自に対話会を開いているそうだな」

胸がざわついた。コンプライアンス違反と責められるのか。

だが矢野の表情は責めるものではなかった。

 

「……で、どんな感じなんだ?」

「はい。驚くほど、みんな会社の未来を考えていました。“誇りを持ちたい”という声が、あちこちから出ました」

 

矢野はしばらく黙って山川を見つめた。その目には、かすかだが“揺らぎ”があった。

「……そうか。止めないために働く、という価値観に、限界が来ているのかもしれんな」

その言葉を聞いた瞬間、山川の胸に“かすかな灯”がともった。

 

矢野は続けた。
「正式な会議では言えなかったが……君の言葉は、私には刺さったよ。私は気づかぬうちに“守ることだけが使命”と思い込み、現場の想いから目をそらしていたのかもしれん」

 

山川は息を飲んだ。

自分のささやかな取り組みが、誰か一人の心に確かに波紋を生んでいたことを悟った。

 

矢野は静かに言った。
「……続けてくれ。そして2か月後に状況を改めて聞かせてほしい」

 

山川は深く頭を下げた。胸の奥で、何かが確かに動いた。
 

それはまだ小さく、頼りないが、確実に“共鳴”へ向かう前触れであった。

 

 

 

(つづく)

 

詳細原文は

ハーモニー経営コンサルティングホームページに掲載中。