大阪市と永田町では法も科学技術も無視した関西風のコントが続いているが、その背後には放射能に対する原始的な畏れの感情があるのが丸見えである。


 本来、法も科学技術も論理をその存在基盤としているのであるが、ただ原子力に関しては放射線防護の基本にALARA(すべての被曝は社会的、経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成可能な限り低く抑えるべきである)の概念があって、プラグマティックな考え方ではあり得ないことなのだが、こと我が国においては、このALARAの考え方に、泣いて否定するような感情の入り込む余地が残されているのを否定し難い。
しかしごく最近、このALARAを明確な論理へと転換し得る研究成果が現れた。


 2012年5月15日付けのMIT newsに、「長期放射線被曝の新知見」(筆者訳)という記事が出た。
元の論文は2012年4月26日に「Environmental Health Perspectives」誌のオンライン版にて公表されている。
まずその背景を説明したい。
バックグラウンド下ではヒトの一つの細胞には毎日およそ10,000個のDNA損傷が、放射線だけではなく様々な原因により発生し、この殆ど全てがDNAの修復機構により修復されることが知られている。
しかし、DNAの片方の鎖の損傷であれば残った片方により容易に修復が行われるのに対し、二本鎖が同時に損傷を受けた場合には、ガンの原因ともなる修復エラーが起き得ることも知られている。


 MITの研究グループは特別なマウスを使って、急性被曝では影響の出る被曝線量と同じ線量を低線量の長期被曝に置き換えるとDNAに影響が見られない、すなわち被曝線量には閾値があるということを示した。
DNAとその修復機構は、マウスと人間に共通するものなので、マウスと人間の間の種の違いという観点からは研究結果に疑問を差し挟む余地がないこと、さらには、マクロとしての生体反応ではなく、細胞のDNAの損傷と修復の関係を議論することで、MITグループの成果は機械的と言ってよいほど曖昧さの少ない手続きを通じて得られたと言える。
従って、バックグラウンドの400倍の線量でもマウスのDNAに影響はないという、従来の考えから見れば大胆とも言える結論は、極めて合理的に導かれていると判断せざるを得ない。


 現時点では、我が国のマスコミおよび政府筋はこの報告を無視しており、この研究に対する真摯な評価はなされていないようだ。
仮に人間社会には、原始的感情の克服、思考への論理の導入、プラグマティックな行動原理の採用、科学技術のPDCAサイクルの確立、科学技術を援用した合理的政策決定という、近代社会進化への必然があるとすれば、未だに最初のレベルから抜け出せない残念な社会には望むべきもないことか。


サイエンスライター 朝田培九
この記事は2012/6/19電気新聞に掲載されたものです

 待ちに待った東京スカイツリーが一般に開放された。
交通事故や通り魔などの暗いニュースが続く中で、久々の明るい前向きニュースである。
高さ634メートルにちなんだ様々なグッズや食べ物が開発され、それがタワーの地元だけでなく、63.4キロメートルの地点や、海抜634メートルの地域にまでおよんでいるのが、なんとも日本的で嬉しい。


 テレビの特集番組を見ていると、タワーを計画してから完成に至るまでの間に、多くの新しい技術が生まれ投入されている。高さにおいて未経験ゾーンであるが故の、苦難を乗り越える知恵であった。


 高所での強い風の中の溶接が困難であること、せまい敷地での超高層タワーの建築、冬場の着氷落氷対策、工事の精度への要求など、随所に難関があった。
それが従来からの延長線ではない新しい知恵を生み、知恵の実現に向けた新たな技術が生まれたのである。


 省エネ面を見ても、あれだけの大きなタワーのライトアップも、LEDとその配置の工夫で乗り越えているし、冷暖房も単なる外気温を使ったヒートポンプではなく、地中熱を利用している。
タワー建築に伴って、外観の華やかなオープニングの陰で、テクノロジー面の大いなる進化が伺える。


 技術開発を概観すると、精度や信頼性や寿命を上げるための研究開発と、未体験ゾーンの夢を実現するような研究開発と、二つに大きく分けられると思う。


 後者については、え!そんなことができるの!是非行ってみたい見てみたい!というように、人々に感動を与え、大きく国民の支持を得ることができる。
タワー以外では、瀬戸大橋に代表される大型吊り橋、TBM(トンネルボーリングマシン)を利用した地下工事、宇宙開発技術、原子力の平和利用技術など、今や当たり前になった多くのものが挙げられる。


 一方、前者はちょっと地味なものだ。ややもするとあって当たり前、普通に動いて当たり前と思われ、何かトラブルが起きると、批判や攻撃の対象になりかねないものである。
開業初日に風の影響を配慮して、安全面から停止したタワーのエレベーターのように、安全面を重視したことではなく、利用できなくなったことへの不満の方が、ニュースになっている。


 とかく後者はもてはやされ、前者はマイナスの事柄のあった時に大きく取り上げられる。
その差は何から来るのであろうか。
やはり後者は、実現できたこと自体が感動を与え、その安全性や信頼性は二の次になっているのであろう。


 一方、あって当たり前になった前者の技術の改善は、いかに信頼性が高く安全性が高くなっても、一回の失敗も許されないのであろう。
研究開発する人間から見たら、どうしてマスコミや国民の理解が得られないかと思うだろうが、テクノロジーとはそんなものなのだ。


サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2012/6/12の電気新聞に掲載されたものです

 今や福島第一原発事故は、事故の問題をはるかに超えて、わが国のエネルギー政策や将来の経済的基盤までも危うくするのではないかという感がある。
原発廃止や存続の反対世論に、国の存立や安全保障という本質的問題が隠されてしまっているのではないか?
これこそ本当の危機である。


 福島第一原発は事故にいたったが、同時期に地震、津波を受けた福島第二原発や女川原発二号機は、重大事故にいたらなかった。
生き残ったところに技術の安全性に関する理解のカギがあるのではないか?
福島第一原発の事故が取りざたにされる中でこうした事実は埋もれてしまったようだ。
さらに、世論は原発を十把ひとからげで否定しているが、海外の原子炉も含め、技術は多様であり、十把ひとからげに一蹴されるものではない。


 考えるべき問題は技術だけにとどまらない。
電力の需給がある。
計画停電などの小手先だけでわが国のエネルギー問題は解決するか?
関西電力をはじめとし、九州電力・北海道電力・四国電力管内では規模の大小は別にし、節電要請がなされている(需給に関する検討会合)。
原子力発電は必然、火力発電で代替されるが、多大な化石燃料の消費が予定される。
燃料はコンビニでいつでも売っているわけではなく、その調達は国家のエネルギー供給の安定保障にもかかわる。
また、足元を見られ燃料価格が上昇すれば、電力価格の上昇をもたらす。
電力価格上昇や電力不足は産業活動の不振を引き起こし、事態が継続すれば産業は日本を脱出する。
産業のない日本のGDPの急落は必然である。
さらに、短期・中期的にはCO2(二酸化炭素)の排出量は、化石燃料に依存せざるを得ず、CO2排出量は増加し、国際的責任は果たせなくなる。
CCS(CO2回収&貯留)は、まだ未成熟技術である。


 再生可能エネルギーという救世主がいる。
しかし、太陽光発電をみると、導入速度は、13.3万kW(‘99年)から262.7万kW(‘09年)で、10年間に従来規模の原子力発電所2.5基相当までしか増えていない。
このスピードでは、原発50基分を代替するのに約200年必要である。
誰が必要な投資をするのか?
設備の調達先は世界最大手のサンテック(中国)か?


 畢竟、原子力産業の国際市場から身を引くか?
原子力産業の撤退は産業インフラも含めての大規模な撤退である。
しかし、世界は原子力発電を将来のエネルギーオプションから排除していない。
かつての”Japan as No.1”は世界の社会・経済から無視され取り残されていくだけである。


 しっかりとしたエネルギー源およびエネルギーインフラの確保は国家の存立・安全保障の基盤である。原発事故の甚大さは事実である。
しかし、原子力を排除することもまた国家にとって甚大な損失をもたらすのである。


サイエンスライター 新井隆介
この記事は2012/5/29の電気新聞に掲載されたものです


 今、大飯発電所の定期検査後の再起動を巡る議論が盛んだ。
今夏の需給バランスという喫緊の課題に向けて再起動「是」の意見と、脱原発依存という長期的課題に向けての第一歩として再起動「慎重」の意見とが混交して問題を複雑にしているようだ。
しかしここには原子力発電を容易に「代替ができる単なる発電の一手段」としか見ない視野を感じざるを得ない。


 確かに、エネルギー資源を巡る熾烈な太平洋戦争が傷ましい原爆によって終止符が打たれた直後から原子力エネルギーの平和利用として始まった原子力発電はお膝元の米国でも「原子力発電は火力発電のボイラーを原子炉に置き換えただけ」と理解され、戦後の電力需要急増に対して電力会社の原子力発電の発注が急拡大した。
このころニューヨークのど真ん中に既設の火力発電所に原子力を併置する計画があったくらいである。


 しかしその後、米国ではTMI事故などを経て原子力の安全性が厳しく問われだし、「原子力発電は火力とはまったく違う」という認識が広がった。火力に代わる発電手段として最大の関心だった経済性に対しても、原子力発電の有する外部経済(社会受容や安心など)の重要性に注目せざるを得なくなってきた。
原子力は現代社会が直面せざるを得ない「科学技術と社会」の問題の嚆矢となったといえよう。


 わが国でも当初は、戦後復興から高度成長期にかけての電力需要増に対処できる「豊富で安価な電気の発電手段」に過ぎなかったが、二度にわたる石油危機に直面して原子力発電は「資源小国にとってのエネルギー安全保障」の位置づけとなった。
これはわが国が原子力開発当初から掲げていた「準国産エネルギー」としての意義を国際社会のなかで現実に実感した事態であった。


 そして今日、原子力が電力供給の3割に達したとき、わが国が原子力発電・原子力技術を保持する意義は、単なる「エネルギー安全保障」を超えて大きく変質したのではないか。
誤解を恐れずにいえば、わが国にとって原子力は国際社会における国と国民の存立・生存にかかわる「国家安全保障」の位置づけになった、といえよう。


 すなわち今日まで約5000万KWの原子力プラントを製造・建設してきた歴史とそれを支えた技術力・人間力などの蓄積は、今やわが国の経済や技術など社会的基盤に欠くことのできない”資産“の一つとなっていることであり、その最大ともいえるものは、非核兵器国として平和利用に徹したわが国の原子力開発に寄せられる国際社会の“信頼”であろう。
3.11事故を踏まえて半世紀の発展過程で内在した原子力界の欠陥を排除して抜本的な改革を成し遂げてその信頼に応えることこそ90億の人口の地球への貢献の第一歩だ。



サイエンスライター 世野和平
この記事は2012/5/22の電気新聞に掲載されたものです

 日本のマスコミの代表としてNHKを挙げるのは妥当であろう。
営利を目的としていないので内容に偏りがなく、受信料等による安定財源の上に立った質の高さが期待されるからだ。
もっともこの放送局に社是はなく、放送法によれば、言論報道の多元性の確保、放送番組の質的水準の確保、過去のすぐれた日本の文化の保存や新しい文化の創造、公共の福祉の実現、災害時のライフライン機能などが期待されている、と解釈されている。
つまり営利を目的としなければ内容についてはあまり問われないということのようだ。


 さて、若干旧聞になるが、この二月に慶応義塾大学のパネルデータ設計・解析センターが、「東日本大震災に関する特別調査」の結果を取りまとめた。
この調査は、「東日本大震災や原発事故が全国の家計に与えた直接的・間接的な影響を社会科学の観点から明らかにし、今後の復興政策や防災政策、学術的な発展に資するエビデンスを提供することを主な目的とする」としているが、その内容が実に興味深い。
例えば、「原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感は、属性別には、文系出身者や低所得層、非正規雇用者、無業者、未就学児がいる人、東北三県の居住者ほど、恐怖・不安を強く感じていた」のだと云う。


 ところで、現在のNHKの経営層の出身を調べると会長以下12人の役員のうち、明らかに大学理系学科出身者は放送技術研究所長だけで、殆どがいわゆる文系である。
優れた文系の人は科学的なリテラシーも兼ね備えていると言われているから、今回の原発事故に対して彼らが無用な恐怖・不安感を抱いているとは思われないし、それが事故後の放送内容に影響を与えていることもないであろう。
しかし日本の主要なマスコミを構成する人々の大多数は文系であろうし、彼らが低所得者や非正規雇用者、その他の社会的な弱者の味方であることを信条としていることを考えると、つまり、日本国内に流布される原発関連の情報は、「原発事故・放射能汚染への恐怖・不安感を強く感じる」人々によってもたらされている、と考えてもよいのではないか。


 恐怖と不安をリスクに転換できるのは科学的リテラシーであるが、日本人にはこれが十分でないのでは?という疑いは以前からあって、現に科学技術振興機構などは大学からの提案を受けて、サイエンスカフェなどを通じた国民のそれの向上を目指しているのである。
仮に、慶応大学が提出したエビデンスから、文系の日本のマスコミ、あるいはそれとよく似た信条を持つ政策決定者の、今後のエネルギーに係る発言が、科学的リテラシーに欠けるゆえに恐怖と不安に駆られたものであると推定できるならば、彼らの主導に従う日本の将来は暗いと言わざるを得ない。

 

サイエンスライター 朝田培九
この記事は2012/5/15電気新聞に掲載されたものです