政府の新たなエネルギー戦略を取りまとめる役割を担ったエネルギー・環境会議で、国民的議論に関する意見聴取会/パブコメ、討論型世論調査、マスメディアの世論調査、団体等の提言など様々な調査結果がまとめられている。
(戦略策定に向けて - 国民的議論が指し示すもの -2012年9月4日 国家戦略担当大臣)


 ここに耳慣れない「討論型世論調査」なるものがある。
これは、その調査報告書(エネルギー・環境の選択肢に関する討論型世論調査 監修委員会 報告書 ジェームズ・フィシュキン)(この報告書は翻訳のせいか論理的脈略が判然としない個所があることをお断りしておく)によると、「討論型世論調査は、国政上の重要な政策争点において、国の決定前に政府が意見聴取をするために公式に位置づけられた世界で最初のものである。
日本国民を、非常に信頼でき、かつ代表性をもつ科学的に構成された『社会の縮図』にして、1ヶ所に集め、2日間にわたって主要な政策選択を討論した。」とあり、「代表的民意」が図れる重要な調査だということが頷ける。


 しかし、同調査報告を見ると調査結果を代表的民意とするには釈然としない記述が見られる。


 参加者の代表性については、「最もよく日本国民を代表しているといえる無作為抽出の標本であったことは間違いなく言える。」とする。
そして、エネルギー政策への判断基準はまず、「安全性」重視であり、「安定供給」、「地球温暖化防止」及び「コスト」の重要性は低いとする。


 加えて、「参加者は非参加者と比較して、政府からの情報、原子力の専門家からの情報、電力会社からの情報、メディアからの情報を著しく信頼していない」。
「政府が示した3つのオプションについては、国民は初めからゼロシナリオに強力な支持を示し、その支持は討論の過程によって増加した。」とある。


 これを見ると、日本国民は政策へは安全性偏重の態度を示し、かつ不信情報に基づいて政策オプションを判断しているとの印象を持ってしまう。


 この時期、原発はすでにゼロに近く(関西電力大飯3,4号基しか稼動していない)で電力供給は逼迫しているのである。
安定供給は重要な政策判断基準である。
年間3兆円にも及ぶ燃料購入費を見れば、エネルギーコストも然りである。


 この際、地球温暖化防止はやや優先度を低めてもよいが。
また、政府、原子力専門家、電力会社及びメディアの情報に対する情報を信頼しないとしたら、日本国民は一体全体何を根拠に政策を判断しているのか?
今回の国民的議論によって検証されたものは、原発事故のトラウマではなかったのか?


サイエンスライター 新井隆介
この記事は2012/9/18の電気新聞に掲載されたものです

 東電福島事故は、これまでの国内論理優先・国際的には「ガラパゴス」化していたわが国の原子力を一気に「社会化・国際化」した。
原子力技術・エネルギーを重要な国内資産の一つとして育てざるを得ない無資源国のわが国にとって原子力の国内・国際的信頼回復に向けて抜本改革するまたとない機会が目前に迫っている。


 一方でこの事故はエネルギーと関連技術に対する国民・市民の知識・理解度や姿勢を否応なくあぶりだした。
「たかが電気のためになぜ命を危険にさらさなければならないのか」というさる著名人の言動に呼応する現象に、誤解を恐れずに言えば、これまでの国・事業者への「お任せ姿勢」の一方で一端事あれば掌を返すように彼等を全否定する市民の「傲慢と身勝手」を感じざるを得ない。
その中で良識派の口が封じられる。
これを大衆の感性ファシズムと表現する向きもあるようだ。


 故廣井脩先生は日本人の災害観に「天譴論(天の戒め)、運命論(あきらめ)、精神論」を挙げている。
これから見ると、今回の津波災害は「運命論」で捉える一方、原子力事故は「天譴論」で捉え、大衆受けする「人災か天災か」の2項対置の中で「人災イコール責任追及」の図式が伺われる。
責任追及が狙いとも見られる人災論がはびこる限り冷静で理性的な真の原因追求と再発防止論議に国民・市民が耳を傾けるときは何時になるのか、科学技術社会の未来を憂うる。
「何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば今回の原子力事故は人災」とすることも、然らば多くに死者を出した今回の津波災害も「自然事象の過小な予測と予防対策の不適切」の点では同様であるように、少なくとも「技術の窓」から見れば、思われるだが・・・。


 さて、エネルギー基本計画について、3選択肢とそれに基づく対話型世論調査・国民的議論・意見公募が終わった。
素人ながら事故の記憶が明らかに国民・市民の原子力へのマイナスのバイアスとして残る中でのこうした手法は、政策決定の参考とはいえ正しかったのか。
ましてや一市民としての電力会社員個人への言論封じともいえる意見聴取での選別は、「私」と共に「公」の立場も兼ね備えた国民・市民が造っていくべきこれからの市民民主主義社会のあり方に禍根を残さないか。
劇場型政治やパーフォーマンス社会への傾向の中で、単純な2項対置と異論排除・群れていないと不安の心理がこの国を何処に向けるのか。
「バイアス」とは「思い込み」。
単純化された2項対置の構造の中に生じやすい「思い込み」は大局を見失い歴史感覚を鈍らせる。
未来に向けて今回事故が顕かにした戦後のわが国の社会の”陰“を改めていく努力を続けたい。


サイエンスライター 世野和平
この記事は2012/9/11の電気新聞に掲載されたものです

 米国の火星移動探査機キュリオシティが8月6日に火星表面に着陸した。
その着陸手順がNASA自身がクレージーと呼んだように高度に複雑なものであったことに驚く。
大きさも重さも軽自動車ほどもある移動探査機ローバー、キュリオシティを着陸させるための手順は、まず火星大気への突入と減速、大気中降下しながらのロケットスラスタとタングステンの錘放出による機動、パラシュート開傘、ロケットエンジンによる減速、極めつけが地上7.6mで一旦降下を停止してホバリングしつつローバーをロープで吊り降ろすという最終ステージであろう。
逆噴射によって地表のダストの舞い上がるのを最小限に抑えて、ローバーがダストで汚れないようにするための最も適切な選択だと説明されているが、確かにクレージーとでも言う他ない。


 その他にもこのミッションを支える米国の技術が、恐るべきものであることは、随所にみられる。例えば、機械的結合を分離するために火薬を利用した火工品と呼ばれるボルトやナットが多用されているのであるが、今回のミッションでは着陸までに実に76回にわたってこの火工品を用いた分離・切断が行われた。
この一瞬の小爆発がただの一度でも不発に終わればミッションは失敗するのであるから、いかに枯れた技術とは言え、NASAがこれに寄せる信頼度がいかに高いかが分る。


 さらにローバーには最低でも1火星年、地球時間では2年間という長い期間活動するための、プルトニウム電池が搭載されている。
この電池は厳しい火星の夜の間、ローバーの内部を暖めておくための熱と110Wの電力を定常的に供給することができる。太陽電池をエネルギー源としたこれまでの探査機では、冬の長い夜は耐えることができなかったのである。
電池にはPu-238が4.5kg使われているが、実は米国にしてもこのPu-238を準備するために紆余曲折があったらしい。


 Pu-238はα崩壊するので遮蔽が容易という利点があるのだが、生産するためにはNp-237に中性子照射処理を行わなければならず、直ぐに大量に作ることもできない。
一時米国はロシアからこれを輸入していたのであるが、それが途絶したため、新たにNASAとDOEが協定を結んで米国の将来の惑星探査に必要不可欠な電池用プルトニウムの生産を再開したのだという。


 火星以遠の宇宙探査にはこのように枯れた技術から最先端の宇宙技術、そしてこれを下支えする原子力技術が必須であること、そしてそれを総合する技術と意思が必要であることを、キュリオシティは改めて示したのだと言える。
そこには原子力技術は恐ろしいから、日本にはいらないと言うような感情の入り込む余地はない。


サイエンスライター 朝田培九
この記事は2012/8/28電気新聞に掲載されたものです

 6月29日、エネルギー・環境会議のもとで、「エネルギー・環境に関する選択肢」がまとまった。
7月半ばに意見聴取のための説明資料や、国民的議論の進め方が示された。
8月12日にはパブリックコメントの受付が締め切られた。


 意見聴取会では、電力関係者は意見を述べて良い国民であるか否かなどが指摘され、その都度見直しが進められてきた。
マスコミも全体像より部分的に目立った動きの報道で世論をリードしてきた。


 しかし、まず考えるべきは、この「エネルギー・環境に関する選択肢」そのものにバイアスがかかっていることである。
2010年6月に閣議決定された「エネルギー基本計画」はどこに行ってしまったのか。
我が国のエネルギーセキュリティーを守り、地球温暖化に対して貢献するためのシナリオであったはずだ。
そこには2030年時点での原子力比率50%、自然エネルギーも最大限活用し、電源のゼロエミッション率を70%にするとしていた。
また徹底した省エネ対策を施すこととしていた。


 しかし今回の資料は、原子力比率が最高で25%にとどまっている。
なぜなのか?
「話そう エネルギーと環境のみらい」のホームページの「まずはここから!」に、2011年3月11日の大震災と原子力発電所事故が示され、これに伴う共有される方向性は「中長期的には原発依存度を可能な限り減らす」こととしている。
また、意見の分かれる論点として、減らすための時間と量、代替エネルギー、投入コストが示されている。


 そもそも、国民の共通した方向性が依存度を減らすことであると、誰が判断したのか。
国民を愚弄するにもほどがある。
国民にはいろいろな意見がある。頭らから方向性を造りあげ、その中で選択肢を求めるのは如何であろうか。


 国民が判断するためには、絵に描いた餅ではなく、現実的に企業や生活で必要な安定した電気が提供されるのか、電気代が将来的にどの程度になるか、それによって物造りや自分たちの暮らしはどうなるのか、などなど多くの要素があって、さらに選択肢のリスク、さらには科学技術の進歩によるリスク低減の可能性が示されてこそ、できるものであろう。


 自然エネルギーへの依存を高めることは、供給の不安定さを招き、製品の品質低下を招く。
この防止には蓄電が不可欠であろう。
また、過去20年間で太陽光発電の設備コストは、多くの研究開発や導入支援資金投入で1/3程度になった。
将来数分の1とのコスト試算は、何が根拠なのか、電気代が上がると太陽電池生産コストも上がる。


 バイアスのかかっていないデータを提供して、日本国民が将来的にも維持発展を遂げられ、国際的にも信頼されるような投げかけをしてもらいたい。


サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2012/8/21の電気新聞に掲載されたものです


 某大企業でプラントの運転に携わる古い友人が電話をかけてきた。
環境汚染物質の生成メカニズムに関するものだった。
その生成メカニズムから考えるとインプットガス中のある化合物濃度が平常時より増加の可能性が推定されるということだった。
じゃあ、ガス分析をすればよいのではないかと答えた。
ところが、確証がなければ費用をかけてガス分析を実施することを上司が認めてくれないという。
さて困った。ガス分析(あるいは実験)ができなければ、可能性のある原因を確認することができない。


 もし、ガス分析を行い、問題の化合物の濃度増加が裏付けられ、当のメカニズムが確認されれば良し。
次の課題はガス中の問題の化合物濃度をどう下げるかとなる。
一方、ガス分析で推論の結果が裏付けられなければ、メカニズムの見直しである。
結局、疑問はそのままにされた。
こうした取組みの仕方はささやかではあるがイノベーションの機会を失うことにつながるのではないかと思った。


 今、日本は政治の混迷、世界第二位の経済大国から脱落、出口なし不況、東日本大震災など元気のない状態が続いている。
日本企業は意識的にイノベーションを生みだす努力をする時ではないか?
現状の改善や新たな問題提起はイノベーションの好機である。
偶然何かのイノヴェーションが起こることがある。
その偶然を成功に変えた日本企業は多々ある。
しかし、重要なのは、偶然のイノベーションの機会を待つのではなく、意識的にイノヴェーションを生みだす努力- 偶然を必然に変える努力 - が必要なのではないか?


 前述の例では、費用をかけて分析を行い、結果を解析し新たな改善や課題を取り扱うのであれば、意識的にイノべーションの機会を生みだす努力といえよう。
とはいえ、プラントの運転で、いったん良好な運転条件が見つかると、成功経験として定着し、新たな条件を見出そうとする努力は希薄になる。
これは過去の成功経験にしがみつき、環境条件がかわってもそれを見ようとしないことと同じである。


 ヨーロッパは世界経済の覇者ならんと、戦後EEC(ヨーロッパ経済共同体)という国際共同市場を立ち上げ、グローバル化という戦略的イノベーションを起こし、近年でも、市場制覇のために国際標準化戦略のイノベーションを起こした。
アメリカは20世紀末から現在の情報化世界で、ITイノベーションのトップリーダーである。


 世界のパテントの60 %以上は米国・ドイツ及び日本が占めている(2000-2005累積)。
日本にはイノベーション力がある。
そろそろ日本が世界に向けたイノベーションを起こしてもよいころではないか?


サイエンスライター 新井隆介
この記事は2012/8/14の電気新聞に掲載されたものです