番外編を早めに切り上げて
忌部山↓のつづきへ
(数日かけてやっと書き終えた!)
忌部山の入り口から見えてたけど
番外編のワークショップが終わってから
寄ろうと後にしてた
忌部神社へ
「帰って来た」と
ひとりでに発していました…
忌部山への道中
『源義経』の文字をよく目にしていて
こちらにもあり、何故なのか帰って調べると
屋島の合戦の折には、源義経が太刀を一振、
那須与一は弓矢をそれぞれ奉納。
そして源頼朝は御供料として
田畑一千町歩を寄進しています。
とありました。
また、その近くに
『大嘗祭麁服製織記念碑』
もあったのですがよく意味がわかってなくて
写真に収めなかったのですが、
帰宅後、調べると
平成天皇の大嘗祭の時にも、古来からの慣習に則り、麻植郡木屋平村貢の三木家で栽培された麻が、山川町忌部山で麁服として織られ、忌部神社を出発して天皇に献上された。
とあり、
凄い場所だったんだなと驚きました!!!
忌部神社に来る途中
『岩戸神社』の看板を見ていて
氣になったので行ってみました💨
神代忌部が大御神麻わ晒した聖なる場所も
あったようですが、なぜか神籠石の甌穴と
勘違いしてて見ませんでした💦
が、それを調べる中で
「安房神社」の元社と考えられている
ということを知りました!
どうして驚いたかというと
翌日の10/11に百伊吏さん達が
行ってたという記事を見たからです!
この記事を読むまで
阿波忌部と関係してるなんて
思いもしなかったし、
「あわじんじゃ」と読むことなんて
今日知りました😂😂😂
巨木も素晴らしく
後ろに見えてるのが忌部山
そして、忌部神社を知ったのは
武甲山がある秩父神社さんから。。。
この日、武甲山にいくみちゃん達と
一緒に登られた鳳梨さんが
レポを書いて下さっています✨
初めの狼の狛犬さんの写真から
すでに武甲山の威厳のある
エネルギーを感じました✨
色んな所で色んな人と
つながってるんですね✨










