妻のパート解雇と愉快な社長の話の、勤めていた会社でgoogleのいい評価を自分たちで書いて、悪い評価を消していた、というのを聞いた。
どうやら悪い評価は消せるらしい。

そこで、どんな評価がされているのかな?と見てみたら「ああ、この評価は信用ならないな」と思われるコメントの傾向が見えてきたので書いてみる。もちろん、これは絶対にそうだ、と言えるものではないが、ご参考に。

評価コメントが1つだけの人
おそらく「評価してね」と評価される側の方から言われたのだろう。普段評価していないのにそこだけ自主的に評価しるのは考えにくい。となると、よほどの不満が無い限り高評価を付けることになるのではないか。
また、評価用のアドレスを作って自作自演の可能性も否めないだろう。

コメントは多いが、自身の他のコメントと比べ熱量が違う人
通常、同じ星数でもひとこと個人のつぶやきというか感想程度しか書いていない人が、特定の商店だけ記載内容にどこが良かった、と賛辞を述べているのものがあった。よほどよかったのか、頼まれたのかな?と思ってしまう。

なお、星が大きく偏っている場合、星が少ない評価のコメントを見ると参考になることが多いように思う。
記載者がクレーマー気質なら除外して、味の評価なのか(好みの問題の場合は除外)、接客態度なのか、等々を読み解くと自分に合う合わないが見えてくると思う。これはみんなやっていることかもしれない。
その1 2000年8月 の恩人たち
その2 2000年8月 の恩人たち 高知県三原村にて
その3 2000年8月 の恩人たち 三坂峠の長五郎さん

へんろから帰りいい体験したなとは思う。四国の中に身を投じ、自分でやりたいお遍路をしながらも周りの人たちの営みに助けられていることを感じる機会はそうない。食事を摂るにもそこで商いをなさっている方が居て初めて頂ける、宿泊にしろ然り、である。人は周りに生かされているというのがよく分かる体験であった、と思う。
お寺に参るにも、歩き遍路だろうが参拝者の一人にすぎない。特別扱いは無くて当たり前で、お接待はむしろ稀なことである。

しかし、どうも感謝の心に疑問がある人たちは居た。また、ブログ等での体験の中でお寺の方への批判も見かけることがある。むしろ、批判を書いている人の方が多い気がする。情報発信している人にそういう人が多いだけなのかもしれないが。

へんろ中ーーーー

■戻り鐘
10年間歩き遍路をしているという人と初日に会った。「寺の態度が悪いから戻り鐘を撞ついてやった」と言っていた。戻り鐘は参拝後に撞くもので、縁起が悪いそうだ。
10年歩いてもなんの感謝もなく、功徳も得られていないんだな、と思った。

■托鉢僧
竹林寺で茣蓙を敷いて托鉢していた人がいた。恰好はお遍路さんであった。何か事情があるのかな、と思っていたが、参拝客の減る時間になると「今日は少ねえな」と言いながら車に乗って帰っていった。
なんともはや・・。

■へんろを否定
ちょっと傾向は違うが・・。
井戸寺に向かって歩いていたところ、一台の車が停まった。そこから出てきたおじさん、仏教でも他の教団の方らしく、「こんなことしていたら罰が当たる」とのこと。
丁重に対応していたら時間を結構食った。
本音は、ほっとけや!俺もそんな信心深くないわ!であった。自分の考えを他人には押し付けてほしくないものである。

へんろ前・へんろ後ーーーー

■自分への態度に文句
出発前、情報集めていたときに歩いた方のブログで情報は参考になった。が、「納経所の態度が悪い」とか書いていた。
前述したが、別に歩き遍路が偉いわけでもなんでもない。表現の自由も、相手への配慮があってのことではないかと思うのだが。

■宿坊に文句
最近、歩き遍路の情報無いかと見ていた時のもの。「宿坊の接客が云々」とか書いていた。
宿坊は宿泊施設ではあるが、一般のホテルや旅館ではないので接客をしている訳ではない。いろいろな対応方法があっても、それを受け入れればよいだけのこと。

他にもいろいろあったかとは思うが、あげつらっても仕方ない。
そもそもブログ書いた人も、私の価値観でいろいろ言われたくないだろうからこのへんで。

その他ーーーー
闇 ではないだろうけれど、光でもないが、個人的にはいい話だと思う体験談を。
あるお堂に泊まった時。私のほかにもう一人、お遍路さんがいた。夜、もう一人はとっとと眠ってしまい、私もうとうとしだしたとき、お堂に向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。ああ、別のお遍路さんが泊まりに来たのかな?と場所を少し空けて待つが、お堂の前あたりで足音は消える。
気のせいかな、疲れているから幻聴かな、とか思い再びうとうとするが、また同様の足音が。3度目くらいでお堂の扉を開け、周りを見回すが、静寂。松虫の鳴が聞こえるばかり。
再びうとうとするとやはり足音。まあ、足音だけだし害はないや、と、睡魔に負け、寝落ちする直前、今までより大きめの足音。寝ようとしたが、今度はお堂の前からお堂の前の石段を上がってくる。え?と思うが先か、お堂の扉がバッと開かれた。心臓が口から飛び出るかと思ったが、眠気で頭が混乱している。
開いた扉から人らしいものが入ってきて、観音様にお経をあげはじめた。
そう、近所の信心深い方がまだ薄暗い中お参りに来たのだ。まだ夜明け前だった。
おそらく亡くなった方がお堂にお参りに来ていたのだろう。信心深い方のご先祖様かもしれないな、と思った。
その1 2000年8月 の恩人たち
その2 2000年8月 の恩人たち 高知県三原村にて
その3 2000年8月 の恩人たち 三坂峠の長五郎さん

行程中、お世話になった方はたくさんいる。情報をくれたりお接待をして頂いたり。
今思いつくだけでも以下のようなものがある。

■情報など
・小学生がみんな挨拶してくれた。
・ある小学生は「はみ」の追い払い方を教えてくれた。マムシのことだそうだ。
・逆打ちなので順打ちの人たちと情報交換できた。
・順打ちの自転車遍路さんが「もう使わないから」とそこまでの行程をプリントアウトした地図を下さった。これがすごく助かった。
・高知のある宿で「68歳からの歩き遍路」というタイトルだったかの本を頂いた。
・焼山寺あたりに遍路犬?がいて、案内してくれることがあるとか。

■食事など
・鬼無あたりで声の出ないおじいさんから大きい柑橘類を頂いた。
・山道で車が停まり、お茶を頂いた。
・長尾寺近くの食堂で食器を下げるのを手伝うとお茶を頂いた。
・土佐清水で昼食を摂ったとき、話しかけてきた方がいた。先に出られたが、私が会計しようとしたら「先ほどの方から頂いています」とのことだった。
・その他、ときどきお金も頂いた。それはつぎの札所でお賽銭とした。
・山の上のお寺の納経所で自販機か水場がないか尋ねるとない、とのこと。きついなと思っていたら「庫裏で汲んできましょか?」とペットボトルに水を補充していただいた。
・泊まった宿のお客様にふくさを頂いた。

■宿泊など
・あるお寺の宿坊で素泊まりの宿泊代を払おうとしたら歩きの方は無料ですと伝えられた
・あるお寺の近くの宿で夕食付きの宿泊代を払おうとしたら歩きの方は無料ですと伝えられた
・善根宿を運営されている会社の社長さんの下で夕食と一夜の宿を施して頂いた
・歩いていると善根宿の方に声を掛けられ、夕食のうどんと日と一夜の宿を施して頂いた
・歩いていると「あそこにお堂があるから」と一夜の宿を施していただいた。
・あるお寺の宿坊にお世話になろうとしたら「今工事中だから」と近所の宿に連絡して頂き、そこに行くように伝えられるとともに宿泊代を渡された。その宿で夕食と一夜の宿代を払おうとしたら無料ですと伝えられた。

■景色など
観光は全くしていないが、途中で見かけたところ。
・三原村での星空 天の川を久しぶりに見た。
・室戸岬の御厨人窟 中は大変涼しかった。時期によっては洞窟の中から朝日が見えるそう。

このような体験をしていると人に優しくなれたように思う。遍路の終盤には私もお接待をしていた。
・最終日前日。焼山寺への道は順打ちだとかなりの難所である。逆打ちの私は焼山寺でペットボトルをたくさん買い込み、すれ違って水分を切らしている方にお渡しした。
・最終日前日。焼山寺からへんろ道を下りきると藤井寺であるが、ここでお参りのタイミングが重なった大学生の女の子と仲良くなった。宿が同じだったので食事を一緒に摂り、翌朝私が早く出る際にまだ宿の帳場が開いていないうえ、細かいお金がなかったので「余った分はその女の子の宿代に充足してください」とお金に書置きを添えて宿を後にした。
などである。


なかなかできないかもしれないが、やってみるとなかなか思い出深い体験として刻まれるだろう。運動不足の太めであれば確実に痩せる。帰ってきてから友達と会うと「やばい薬でもやった?」と言われるくらい。
ただ、安易に「じゃあ俺も私も」というのはやめた方がいい。
・焼山寺へは、登って下って登る、という山道。ここで膝を傷める
・それでも頑張って徳島を歩くが、徳島最後の薬王寺から高知最初の最御崎寺までは70km以上ある。
よって、順打ちの多くの人がここでやめてしまうそうだ。坂道を歩きなれているなら別だが、十分な準備が必要だと思う。