nginxは一年くらいでバージョンアップされ、旧バージョンはEOLになる。
先日、WindowsとRedhatのnginxのバージョンアップを行ったが、来年もおそらく実施が必要になるので手順を残しておく。
と思ったらメモを削除してしまったみたいなので、Redhatはhistoryコマンドで確認した。Windowsは…そのうち書くかも。

■Redhat
・バージョンを確認する

nginx -V


・現行の一式をバックアップしておく

バックアップ先のディレクトリは /mytmp/nginx を作成することにした。

sudo mkdir /mytmp
sudo chmod 777 /mytmp
sudo mkdir /mytmp/nginx
sudo cp -p -r /etc/nginx/* /mytmp/nginx

権限なんかmkdir時に付けろや、とか、ディレクトリは親子ともども作れや、とかいう突っ込みはナシで…。

・バージョンアップ処理を行う

sudo yum update --enablerepo=nginx-stable nginx
cd /etc/nginx/conf.d


・Configファイルのオリジナルを確保しておく

sudo mv default.conf default.conf.org.1.26

 この時点でバージョンを確認すると、新しいバージョンになっている。 Unix系OSはファイルが使用中か否かに関わらずファイルの上塗りをするため、ディレクトリ内にあるバージョンはアップされているが、アプリケーションは起動したままなので再起動を掛けてあげる必要がある。
(アップデート時にもしかしたら勝手に再起動しているかも?と思ったのだが、ちょっと不明瞭)

・nginxを再起動する

sudo systemctl stop nginx
sudo systemctl start nginx

これも restart でもいいのかもしれないが、まあ良しとしてください。

nginxの状態を確認する

systemctl status nginx

これで正常に動いていれば問題ないだろう。

サイト表示等に問題がないか確認する
nginxが稼働しているか、ということと、システムとして動作が正しいかは別問題である。
注意が必要なのは
 /etc/nginx/nginx.conf
 /etc/nginx/conf.d/defaultx.conf
である。

前者のファイルはnginx自体が起動時に読み込むもので、基本的な設定である。これはそのまま使う方も多いかもしれない。今回、アップデート時にこのファイルが新しいバージョンで塗り替わる事象はなかった。

後者のファイルは当方の運用環境では削除し、別名のファイルを用いていたためなのか、このファイルが追加されてしまっていた。前者のファイル内に ./conf.d 配下のどのファイルを読み込むか指定できる(デフォルトでは *.conf)であるため、後者のファイルが追加されたことにより「nginxのデフォルト画面」が表示されるようになった。defaultx.conf 削除するか拡張子を .conf 以外にして再起動すれば解決したが、nginx.confを書き換えた方が問題は小さいのではなかろうか?と思ったり。

これで無事に複数台のnginxをバージョンアップすることができた。
妻のパート解雇と愉快な社長の話の、勤めていた会社でgoogleのいい評価を自分たちで書いて、悪い評価を消していた、というのを聞いた。
どうやら悪い評価は消せるらしい。

そこで、どんな評価がされているのかな?と見てみたら「ああ、この評価は信用ならないな」と思われるコメントの傾向が見えてきたので書いてみる。もちろん、これは絶対にそうだ、と言えるものではないが、ご参考に。

評価コメントが1つだけの人
おそらく「評価してね」と評価される側の方から言われたのだろう。普段評価していないのにそこだけ自主的に評価しるのは考えにくい。となると、よほどの不満が無い限り高評価を付けることになるのではないか。
また、評価用のアドレスを作って自作自演の可能性も否めないだろう。

コメントは多いが、自身の他のコメントと比べ熱量が違う人
通常、同じ星数でもひとこと個人のつぶやきというか感想程度しか書いていない人が、特定の商店だけ記載内容にどこが良かった、と賛辞を述べているのものがあった。よほどよかったのか、頼まれたのかな?と思ってしまう。

なお、星が大きく偏っている場合、星が少ない評価のコメントを見ると参考になることが多いように思う。
記載者がクレーマー気質なら除外して、味の評価なのか(好みの問題の場合は除外)、接客態度なのか、等々を読み解くと自分に合う合わないが見えてくると思う。これはみんなやっていることかもしれない。
その1 2000年8月 の恩人たち
その2 2000年8月 の恩人たち 高知県三原村にて
その3 2000年8月 の恩人たち 三坂峠の長五郎さん

へんろから帰りいい体験したなとは思う。四国の中に身を投じ、自分でやりたいお遍路をしながらも周りの人たちの営みに助けられていることを感じる機会はそうない。食事を摂るにもそこで商いをなさっている方が居て初めて頂ける、宿泊にしろ然り、である。人は周りに生かされているというのがよく分かる体験であった、と思う。
お寺に参るにも、歩き遍路だろうが参拝者の一人にすぎない。特別扱いは無くて当たり前で、お接待はむしろ稀なことである。

しかし、どうも感謝の心に疑問がある人たちは居た。また、ブログ等での体験の中でお寺の方への批判も見かけることがある。むしろ、批判を書いている人の方が多い気がする。情報発信している人にそういう人が多いだけなのかもしれないが。

へんろ中ーーーー

■戻り鐘
10年間歩き遍路をしているという人と初日に会った。「寺の態度が悪いから戻り鐘を撞ついてやった」と言っていた。戻り鐘は参拝後に撞くもので、縁起が悪いそうだ。
10年歩いてもなんの感謝もなく、功徳も得られていないんだな、と思った。

■托鉢僧
竹林寺で茣蓙を敷いて托鉢していた人がいた。恰好はお遍路さんであった。何か事情があるのかな、と思っていたが、参拝客の減る時間になると「今日は少ねえな」と言いながら車に乗って帰っていった。
なんともはや・・。

■へんろを否定
ちょっと傾向は違うが・・。
井戸寺に向かって歩いていたところ、一台の車が停まった。そこから出てきたおじさん、仏教でも他の教団の方らしく、「こんなことしていたら罰が当たる」とのこと。
丁重に対応していたら時間を結構食った。
本音は、ほっとけや!俺もそんな信心深くないわ!であった。自分の考えを他人には押し付けてほしくないものである。

へんろ前・へんろ後ーーーー

■自分への態度に文句
出発前、情報集めていたときに歩いた方のブログで情報は参考になった。が、「納経所の態度が悪い」とか書いていた。
前述したが、別に歩き遍路が偉いわけでもなんでもない。表現の自由も、相手への配慮があってのことではないかと思うのだが。

■宿坊に文句
最近、歩き遍路の情報無いかと見ていた時のもの。「宿坊の接客が云々」とか書いていた。
宿坊は宿泊施設ではあるが、一般のホテルや旅館ではないので接客をしている訳ではない。いろいろな対応方法があっても、それを受け入れればよいだけのこと。

他にもいろいろあったかとは思うが、あげつらっても仕方ない。
そもそもブログ書いた人も、私の価値観でいろいろ言われたくないだろうからこのへんで。

その他ーーーー
闇 ではないだろうけれど、光でもないが、個人的にはいい話だと思う体験談を。
あるお堂に泊まった時。私のほかにもう一人、お遍路さんがいた。夜、もう一人はとっとと眠ってしまい、私もうとうとしだしたとき、お堂に向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。ああ、別のお遍路さんが泊まりに来たのかな?と場所を少し空けて待つが、お堂の前あたりで足音は消える。
気のせいかな、疲れているから幻聴かな、とか思い再びうとうとするが、また同様の足音が。3度目くらいでお堂の扉を開け、周りを見回すが、静寂。松虫の鳴が聞こえるばかり。
再びうとうとするとやはり足音。まあ、足音だけだし害はないや、と、睡魔に負け、寝落ちする直前、今までより大きめの足音。寝ようとしたが、今度はお堂の前からお堂の前の石段を上がってくる。え?と思うが先か、お堂の扉がバッと開かれた。心臓が口から飛び出るかと思ったが、眠気で頭が混乱している。
開いた扉から人らしいものが入ってきて、観音様にお経をあげはじめた。
そう、近所の信心深い方がまだ薄暗い中お参りに来たのだ。まだ夜明け前だった。
おそらく亡くなった方がお堂にお参りに来ていたのだろう。信心深い方のご先祖様かもしれないな、と思った。