巴淵
眉かくし…にも出てくるのだが、平家物語の 木曽義仲の 恋人 巴御前 にちなんだ、奈良井川の ふち である。確か 義仲が 気に入っていた 馬でその淵を飛び越えようとしたが、ギリギリのところで渡られず、義仲は助かったものの、流されて死んだ駒を供養して、巴淵と名付けた…のだったと思う。当の巴御前は、凄い男勝りで、義仲が 義経たちに追われて、琵琶湖まで 逃げたときも 最期まで義仲と闘って、果てたという…駒を自在に操り、刀をふり 弓をひく 彼女の姿は まるでジャンヌダルクのよう!
ただ、静御前も、白拍子だったらしく… 御前とつく人は、歌って踊れる かなりの アイドルでもあったようだ。しかし、巴淵などということばを聞くと 彼女の 寡黙でひたむきな姿が浮かんできて、奥ゆかしく、《眉かくしの霊》のお艶さんと リンクしてくるあたり、う~ん、さすがは鏡花!てな感じだすなあ。
唐十郎の 《透明人間》に「喋らないヤツは、喋るヤツをためしてる」という台詞がある。唐独特の、脅迫観念の 現れだと思うが、そうした観念には 鏡花も捕らわれていたと思う。喋らない女の姿というのは、まさしく母親であると同時に 男にとって都合のいい娼婦でもあろう。…平成の世に延長してみれば、巨乳で童顔の アニメの 紙に描かれた喋らない幼女になる。しかし、女のヒトは、むしろ 喋る存在であるから、そこがアンビバレンツ…巴の淵は、とても深い流れとみた。

やはり 梅雨は開けたようだ…今日は 学生時代の友と マリンstadiumです!
ただ、静御前も、白拍子だったらしく… 御前とつく人は、歌って踊れる かなりの アイドルでもあったようだ。しかし、巴淵などということばを聞くと 彼女の 寡黙でひたむきな姿が浮かんできて、奥ゆかしく、《眉かくしの霊》のお艶さんと リンクしてくるあたり、う~ん、さすがは鏡花!てな感じだすなあ。
唐十郎の 《透明人間》に「喋らないヤツは、喋るヤツをためしてる」という台詞がある。唐独特の、脅迫観念の 現れだと思うが、そうした観念には 鏡花も捕らわれていたと思う。喋らない女の姿というのは、まさしく母親であると同時に 男にとって都合のいい娼婦でもあろう。…平成の世に延長してみれば、巨乳で童顔の アニメの 紙に描かれた喋らない幼女になる。しかし、女のヒトは、むしろ 喋る存在であるから、そこがアンビバレンツ…巴の淵は、とても深い流れとみた。

やはり 梅雨は開けたようだ…今日は 学生時代の友と マリンstadiumです!
旅
旅公演…いまでは諸々の事情で 大阪 水戸だけだが、二十年まえには 福岡 広島 岡山 神戸 大阪 京都 名古屋 豊田浜松都内2か所 水戸 福島 仙台
盛岡 新潟 長野と ほぼ三か月にわたっての巡業…今の唐組メンバーには考えられないだろうが、本番→バラシ→移動→仕込み→本番→バラシ…などという無茶なことを24時間いないで、三十人の劇団員、4トントラック2台、乗用車3台、計5台でやっていた。その間に制作部の女の子は、自炊もしていたように思う。九州公演でお金がなく、カップ麺四つが、三十人分のご飯で…下の人間はスープをすすれればよい方…コンビニもない時代…あまりひもじいので、海に浮いた海草をとってきて調理したのだが、おなかを全員が壊した…という話は、全くの事実である。どの場所にも、お世話してもらった人の思い出と 忘れがたい出来事が…ある
それぞれに、例えば 稲荷の記憶として あればいいだろう。下宿のある東京を捨てて旅公演に出ると めくるめく 非日常と 唐十郎の絶対的な詩の世界…役者も 観客も そして世話人もひとつになる、どこにもない、我々だけのロマンチックワールド
だが、祭りがおわり、ひとり下宿に戻れば、電気も
水道も止まってて、公園で歯を研く日常…なのだが 全員が そうなので、それもまた、詩として成立する…若さの絶対的優越
だが…ほとんどの人間は夢から醒めていなくなり、残った何人かの人間も かなりアラフォ~…夢を次に繋げる立場に…いつの間にか…
少なからず私には 唐さんの詩と 鏡花の詩の世界がある…芝居は やるものだと自認しているが、続けるためには、その下地を育てなくては…それもまた、仕事である。非日常に どっぷりつかる若き頃の楽しみを、いつか伝えられる 立場になりたい…


盛岡 新潟 長野と ほぼ三か月にわたっての巡業…今の唐組メンバーには考えられないだろうが、本番→バラシ→移動→仕込み→本番→バラシ…などという無茶なことを24時間いないで、三十人の劇団員、4トントラック2台、乗用車3台、計5台でやっていた。その間に制作部の女の子は、自炊もしていたように思う。九州公演でお金がなく、カップ麺四つが、三十人分のご飯で…下の人間はスープをすすれればよい方…コンビニもない時代…あまりひもじいので、海に浮いた海草をとってきて調理したのだが、おなかを全員が壊した…という話は、全くの事実である。どの場所にも、お世話してもらった人の思い出と 忘れがたい出来事が…ある
それぞれに、例えば 稲荷の記憶として あればいいだろう。下宿のある東京を捨てて旅公演に出ると めくるめく 非日常と 唐十郎の絶対的な詩の世界…役者も 観客も そして世話人もひとつになる、どこにもない、我々だけのロマンチックワールド
だが、祭りがおわり、ひとり下宿に戻れば、電気も水道も止まってて、公園で歯を研く日常…なのだが 全員が そうなので、それもまた、詩として成立する…若さの絶対的優越
だが…ほとんどの人間は夢から醒めていなくなり、残った何人かの人間も かなりアラフォ~…夢を次に繋げる立場に…いつの間にか… 少なからず私には 唐さんの詩と 鏡花の詩の世界がある…芝居は やるものだと自認しているが、続けるためには、その下地を育てなくては…それもまた、仕事である。非日常に どっぷりつかる若き頃の楽しみを、いつか伝えられる 立場になりたい…
















