昔から、「期待」って果たして良いものか?
とずっと考えてきました。
例えば、テストの点数で親に
「全然取れなかったわー。30点ぐらいかな」
と言っていながら、
結果が70点だったら、
「すごいじゃん!」と褒められる。
逆に「できたと思う!90点ぐらいかな」
と言っていながら、
結果が70点だったら、
「残念だね」と言われる。
同じ結果なのにおかしいですよね。
期待を上げすぎると、なんか損した気持ちになります。
きっとこれがテスト前にクラスで見かける、
「私全然勉強してない~」
と言いまくる子の心境なんじゃないかと思います。
ではわが子にも全く期待しない方がいいのか?
テストで30点だったとしても、
「0点じゃなくてすごいね!!」
と考えるべきなのか?
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これについては、私なりの答えがあります。
「期待」はいつの出来事に対して持つものでしょうか?
そう、「未来」です。
「未来」の出来事に頭がいっちゃっているわけです。
テストは受け終わったんだから、
「期待」しようがしまいが
未来の「結果」は何も変わらない。
なので、「期待」は無駄、という事です。
では何が無駄じゃないか。
それは「今」に落とし込むことです。
「テストの点悪かった~30点ぐらいかも」
↓
「そうなんだ。で、どうするの?」
↓
「わからなかったとこ、今のうちに復習しとく!」
「テストできた!90点は取れてると思う!」
↓
「そうなんだ。で、どうするの?」
↓
「次のテストの準備する!」
「未来」に頭がいっちゃっている時は、
実は何も前に進んでいません。
また、「結果」に対して
褒めたり叱ったりすることは、
「過去」に頭がいっちゃっている状態です。
結局のところ、結果が良かろうが悪かろうが、
「で、どうするの?」
なのです。
砂漠で水筒に水が半分残っている時に、
「あと半分しかない」と思うか
「まだ半分もある」と思うかが大事、
という有名な話がありますが、
私はどちらでもいいと思っています。
大事なのは、
「で、どうするの?」
なのです。
「砂漠を抜けるのに、あと2日はかかるんじゃないか。
だったら明日はこれぐらいまで飲めるな」
だけに集中する。
これがネガティブでも、ポジティブでもない、
ニュートラルな、
「今」に根差した考え方だと思っています。









