【今週のワンポイント-7】あるいは弟か | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 今回のワンポイントは、義経。

 義経は、頼朝の9人の男兄弟のうちち一番下の弟で、九郎と呼ばれた。9人兄弟の下の3人は常磐御前という女性の子で、順に今若、乙若、牛若と名付けられた。平治の乱で義朝が敗れたときは、3人とも幼かったので、それぞれ別の寺に入れられて、僧として育てられることになった。このうち今若は全成、乙若は義円(ぎえん)となる。

 鞍馬寺に預けられた牛若が、どのように育ったのかは、本当のところはよくわからないが、成長する過程で自分の身の上を知ったらしい。武士が元服するときは、親類か知り合いの有力者に烏帽子をかぶせてもらって実名を決めるものだが、牛若は自ら冠を乗せて義経と名乗ったという。そして、寺を出て奥州に下って藤原秀衡のもとで成長した。

 頼朝と義経は母がちがうが、育ち方が決定的にちがっていた。頼朝は14才で平治の乱に敗れるまでは、親兄弟や累代の家人に囲まれて育った。つまり、源家嫡流の一人として人格形成されている。

 かたや義経は、家族を知らずに育った。平治の乱のときは生まれて間もなかったから、頼朝と義経は実際には面識がなかっただろう。要するに孤児なのだ。だから、家族や家人に対する考え方が、頼朝と義経とではかなりちがっていただろう。

 それに、義経は武士として育てられてていない。武士の子供とは生活習慣も食べるものも違うから、坂東武者のような体育会系の体つきにはならなかったはずだ。武術を本格的に身につけたのも、奥州に行ってからであったろう。

 要するに、頼朝とも坂東武者ともちがうタイプの人間だったわけだ。義経のキャラや、頼朝との関係を考えるとき、この2人の、決定的な育ちのちがいは、頭に入れておく必要がありそうだ。

 

(西股総生)

 

《ワンポイントイラスト》

 

 

源氏兄弟といえど、頼朝と義経、育ちが全然違うのよ……

 

(みかめゆきよみ)