この暑さの中、オリンピックを開催しようというのは、誰?

 

朝5時、窓を開けても、入ってくるのは熱のある生温かい風。

外に出ても涼しさは感じられず。

時、7時、すでに熱く眩しく、頭痛がしてくるほど。

外では日陰が欲しい。

 

こんな東京/関東の夏、本当にここでオリンピックを開催しようと考えた人たち、

いったい何を考えていたんだろう。

来年、この暑い💦時期、本当にオリンピック、パラリンピック開催するの?

 

Covid-19  があってもなくても、終息したとしても、辞めるべきだ。

 

季節を考え、時期をずらして開催するか、

日本での開催をs中止して、別の国に(次回)に移るか、

潔く考え直すべきだ。

 

今後も、オリンピックの開催を続けていくなら、なおのこと、その精神、

開催意義、現代の開催可能な条件や在り方(予算、開催施設など、大会規模が

このままでは、開催可能な国はなくなる) などをここで方向を今一度、見直す時に

したらいい。

 

選手の体調管理、観客が倒れて救急搬送、などが多発した場合の混乱は

目に見えている。

 

オリンピックの精神をもう一度、よく考えてみたらいい。

〜メダルの数、商業/経済効果、種目の数、出場選手の数、

開会式の派手な演出〜 そんなものは、二の次のはずだ。

 

オリンピックが開催されず、目標を失って落胆した競技者たちの

残念な気持ちは分からなくもない。

 

が、オリンピックがなかったら、じゃあ、あなたはその競技をしなかったのか?

 

オリンピックだけのために続けてきたのか?

オリンピックでの記録、メダルだけのための競技なのか?

 

本来、スポーツ(競技)の有り様というか目的はそうではないはず。

その競技を始めたきっかけ、理由も、遠くに(将来像の中に)オリンピックが

あったかもしれないが、オリンピックのためだけに始めたものなのか?

〜 仮にそうであったとしても、オリンピック出場か叶わなければ、それまでの全てが

消える/無意味だったというのか?〜 そんなことはないと思う。

 

競技者にとっての競技会の開催/オリンピックは、重大な問題だ。

 

しかし、オリンピック精神というもの、オリンピックの開催意義から見た時、

それは、競技者の目標の場(※)になることを含めたとしても、

勝敗やメダルの色、数が第一目的ではないわけだ。

世界中から集まる人たちが、<安全(安心)な環境で> 競技(参加すること、

見ること)を通して、健やかな精神を持って互いの理解を含め、友情を育む、

それらがオリンピックが開催されること、オリンピックの意義なのではなかったか?

今一度、みんな考えてみたらいい。

 

これらは、東京オリンピック開催が決まった時から、いや、立候補したと聞いた

時から、思っていたことだ。

で、実際、今年、この夏、(Covid-19  の影響で延期になって幸いと思う)、

実感していることだ。

 

オリンピック開催の、醍醐味というか、素晴らしい点は、

『参加することに意義がある』ことからの世界の人々が集い、友情を育む、

理解を深めることであり、メダルの色や数、経済効果や演出の豪華さや奇抜さで

注目を浴びることではないのだ。

 

それらを、テレビ画面等ではなく、自国開催で実感したい、というのなら、

その気持ちに否定も反対もしないが、しかし、健康を害するような環境で

無理な開催をすることが好ましいことなのか? 今後のオリンピック開催にとって

望ましいことなのか?〜 それを考えると、東京の夏のオリンピック開催は、

誰かの短絡的な自己満足(発案¥)だったのではないか? 

経済的効果を重視、優先して計画を推し進めた(開催地がそれら条件を受け入れて

しまった)ために、暑さ対策にかかる費用も莫大で、(しかも開催期間中、

訪れている人たちの熱中症予防がなされる確証もなく) 予算も厳しい中、会場の

設置にも右往左往する有り様でここまできたが、この首都圏の暑い😵夏を

実体験する人なら、この熱の中でオリンピックの開催することが、選手/競技者に

とっても、観客や観光客、開催を支える人々にとってどれほど過酷であるか、

実感しているはずだ、

(+ オリンピック会場に無関係な通勤、往来者もいるわけで、道路のオリンピック

専用レーンがあったとしても、混雑の煽りを受けることは明らか〜  この状況を

喜んでいる人はほとんどいないと思う) 

では、経済効果優先した人たちは、わかっているのか?

 

後の祭り、、、にならないように、オリンピックの意義と、

オリンピック開催の状態の是非を、今、この夏が終わる前に再考するべきだと思う。

 

夏が終わり、冬が来ると、人間、、、「喉元過ぎれば暑さ忘れる」なのだから。

そして、来年の夏、選手の中から暑さによる死者が出てから、それを『暑さ対策』;の

せいにしても遅いのだ。

暑さは(熱中症、猛暑という言葉が使われ始めて、すでに数年) わかっていたこと。

ゆえに、そんなことが起きれば、対策をとったとはいえ、それを承知で開催した人災である。

 

「君主豹変す」でいいじゃないか。

昭和39年の東京オリンピックを思い起こせばわかるはず。

東京2020の、愚か(世界の大国やメダル重視の人たちがオリンピック精神を

欠いた点)さと無謀さが、、、。

 

それは、壊れかけた航空機で飛び立つか? 安全点検を優先し欠航にするか?と

同じくらいの選択だ。 

来年の東京オリンピック、パラリンピックの開催の中止を含めた検討を

潔く、世界に、IOC に、開催意義の再認識を踏まえて提示するべきだと強く思う。

 

※ただし、国がメダルの数を競うような捉え方、周知の仕方は、論外。

本来のオリンピック精神から外れていると私は思う。

 

〜了〜 

 

 

PS

なぜ、何の競技もオリンピック種目にしなくちゃいけないのか?

オリンピック種目にしたがるのか?

オリンピックおよびパラリンピック、競技種目が増えれば増えるほど、

開催施設、設備を整える予算が必要になる。

競技数も再考すべきだ。

オリンピック(パラリンピック)という大舞台に立ちたいという競技者は

多いのだろうが、先に書いたように、オリンピックがないとしても、その競技を続ける、競技を楽しむことは可能なのでは?

その国に、その競技者を取り巻く場所に、強化合宿の施設やコーチを呼ぶために、

練習をするために、開催国に行くために、〜 

「お金がないと、オリンピックに出られない」

そんなオリンピック開催や出場状況になっている現代の状態は、オカシイと思う。

 

お金、経済効果、大国の、大きな企業の思惑のために、オリンピックが動くなんて

そもそもがオカシイのだ。

(怒💢) 

 

お金がなくても、(それこそ互いに融通しあって) 世界中の人たちが集うことができる、

そういうオリンピックであるように願う。

 

ー終わりー