日本的社会というのは、情緒的社会だ。
情緒的というものを調べてみると「理性を失って、、、」という言葉が出てきます。冒頭の文は今読んでる本「法を学ぶ」に書いてある一文で、日本は情緒的社会だという指摘がなされています。
要するに、感情論に流されやすく論理的思考があまりなされない社会であると言っているんです。
施術をしていたりカウンセリングをしていると、この情緒的というものに支配されて身動きが取れていない人がたくさんいます。もちろん、論理的すぎるとそこには人間としての“温度”が下がるので、人間関係としては破綻することもあるかもしれません。例えば日々の会話がいつも論理的な会話だったら成り立たないわけで、会話の温度感というのは絶対に必要なものです。
「いやー、すいません、送ってもらっちゃって」
「すいませんという言葉の定義はどういう定義ですか?今の言葉は謝ってるんですか?それとも感謝してるんですか?それをはっきりしてもらわないと困ります」
こんな会話だったら嫌になりますよね。
だからある程度の情緒的、感情論的というものは大切なんですが実はここに落とし穴があって、本質や正当性を考えた時には感情論ではない論理的な思考が必要になったりするものなんです。
「法を学ぶ」という本は、その名の通り法律のことが書いてあるんですが、もし法が情緒的で感情論的なものであったら成り立ちません。白黒はっきりさせないと、判断ができないからです。で、日本人というのはこの「ハッキリさせる」というのが嫌いな文化を持っていて、例えば「いやー結構です」なんて言葉には「もういいです」と「大変素晴らしいです」という二つの意味があったりしますが、そんな二つの意味をもつ言葉がゴロゴロ転がっていて、日本の曖昧さが露呈しています。
で、その曖昧さで身動きが取れない人が多いというのは、感情論ですべてを判断しようとしてしまってドツボにハマっちゃうってことなんです。
いつも書いてることなんですが
綺麗で美しことがすべて正しいと思ってしまう(高校野球の坊主は美しいかもしれないけど、熱中症になりやすいとか)
みながいいと言ったものが正しいと思ってしまう(行列ができてるんだから美味しいに違いない!とか思っちゃう)
汗水垂らして働くことがすべてと思ってしまう(お金に美しさを求めるあまり、株などの投資で儲ける人を「悪い人だ」と思ってしまう)
やってることが美しいけど、結果苦しめてたりする(千羽鶴を送ることは美しいことだと思って送っても、被災地で必要なものは違うものだったりする)
そんな綺麗なこと、美しいことを崇拝するがゆえに、本当の正しさ、本質を失ってしまって身動きがとれなかったり、間違ったことをしてしまうことってたくさんあって、実はそんな人ほど「知らないこと」が多いのです。
僕の業界で言えば
整体、整骨、接骨、整形外科がどう違っていてどういう制度なのかを知らない人が多いし、それに付随していうならば「保険」の扱い方も知らない人が多いから、保険に入ってるのに傷害保険を使わない人が多々いたりします。
僕も知らないことはまだまだ多いですが、知ってる人は論理的思考ができるが故に、社会制度の中では楽に生きてる人が多いです。
逆に、知らない、知ろうとしない人は制度を知らないが故に知ってる人の餌食になってしまいます。
オレオレ詐偽も、架空請求も、知らないからこそ疑問に思わないわけです。
法治国家の中では、ある程度の知識や知恵はないよりもあったほうがいいし、あればあるだけ冒険にも出やすくなります。
合わせて、野生的な思考で言えば経験や感情も絶対に必要になります。
情緒的に偏りすぎず、論理的にもなりすぎず、バランスのとれた柔軟な思考でいると、日々が生きやすくなるかもしれません。
人生死ぬまで勉強ですね。
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