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昨日の続きUFO

昨日のはこれ

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インククルーシブ教育ってなんだ

 

障害のある子とない子が共に学ぶ

 

インクルーシブ教育ラブラブラブラブ

 

の考えは素晴らしいと思うんラブラブラブラブラブラブ

 

でも、これが拡大解釈されて、教育現場すべてを混ぜこぜにするのは果たして本人のためになるのかなはてなマークはてなマークはてなマーク

 

本人に適した教育環境で学ばせることが将来の幸せや成長につながるのではないかと感じる真顔

 

今は親の希望が最優先されるので

 

通常学級に知的障害の子がいる

 

支援学級に排泄の自立が出来ていない重度の子がいる

 

支援学校に知的に軽い発達障害の子がいる

 

という状況になっているショボーン

 

担任はこの環境で保護者から

うちの子にあった

指導をしてほしいお願い

と要求され、指導が困難になり疲弊している

現状もあるショボーンショボーン

 

経験していないとわからないかも

 

知的遅れのある子を通常級に行かせようという

親の会もあるビックリマーク

 

それらの考えの人には、このブログは

到底受け入れられないだろうショボーンショボーン

 

でも、なぜ、素晴らしい特別支援教育があるの

にこれを受けさせないのか不思議に思う?

 

特別支援学級に入学させたくても知的遅れがないので入れてもらえない子悲しい

 

療育手帳がないため特別支援学校に入学できない子…もいるのに悲しい

 

私は知的障害者の移動支援、ガイドヘルパーの仕事をしている走る人

 

特別支援学校高等部を卒業した

青年が誇らしげに

僕は

スペシャルスクールを

卒業したんだラブラブラブラブラブラブ

と笑顔で語っていたのが印象的だっだリボンリボンリボン

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明日、20時からは知的遅れがない発達障害の子の進級先についてシリーズで書くよメモ

 

こちら参考になります

    ↓

ヤフーニュースより

 

【寝たきり社長の働き方改革(25)インクルーシブ教育の是非とその先】

 

インクルーシブ教育というのは、障がいの有無にかかわらず「誰もが望めば合理的な配慮のもと地域の普通学級で学べる」ということである。

 

一昔前まで、いや、少なくとも筆者が学生時代までは障がい児=特別支援学級(あるいは特別支援が功)へ入学というのが常識だった。

 

しかし今は、そうではない時代に変わりつつある。  

 

たとえ、いくら重い障がいを抱えていたとしても、本人や家族の強い希望があれば合理的配慮に基づき、普通学校への入学を認められるというものだ。

 

もちろん、障がい児が普通学校に入学するにあたって設備面の問題もあれば、その子をサポートする人材の問題などが発生してくるわけなので、

 

行政や教育委員会と交渉しても簡単に首を縦に振らない。

 

ケースによっては、障がい児の親がそれに対し「普通学校に入学するという権利」を勝ち取るべく、裁判を起こす事案まであるという。

 

 実際、筆者の周りでも、筆者以上に重度な障がいを持ったお子さんが普通学校に入学しているのを見ると

 

「時代は変わったな」と少し年寄り染みた感情も芽生えることがある。

 

当然、健常者と障がい者は同じ人間だ。そして、男女平等と同じようにお互いがフェアな存在でなければならない。

 

だからこそ、この時代の変化には筆者も喜びを感じる部分がある。

 

だが一方で、筆者が思うのは「男性」と「女性」、そして、「健常者」と「障がい者」の対比で言えば

 

これらは「平等」であるが、決して「同質」ではないことである。  

 

障がいを持つ子どもと障がいを持たない子どもが共に学ぶことは素晴らしいことだし

 

さらに言えば、その障がいを持った子ども本人が「普通学校へ入学したい!」という意志を持っていたとするならば、行政や教育委員会は全力でサポートすべきだ。

 

 たとえ、そこに多少の税金を費やす必要があったとしても、筆者も納税者の端くれとしてそこには大いに賛同したい。

 

だが一方で、本当にその子本人が望んでいるのか、その子本人のためになるものなのか、という点はときどき疑問に感じる。  

 

筆者は特別支援学校の出身だ。ましてや、最終学歴が特別支援学校の高等部卒業なので、実は高卒扱いではない。

 

今は経営学修士を目指す大学院生ではあるものの、まだ修士は取れていないので、厳密に言うと筆者は中卒である(笑)。  

 

少年期には普通学校に強い憧れもあった。でも、今ではそんな思いは微塵も感じない。

 

何故なら、今の自分を作り上げてきた土台、それは紛れもなく特別支援学校だったわけだし

 

特別支援学校という狭い世界ではあるものの、筆者は常にオンリーワンの存在で認められたり、生徒会長になったりと学内でリーダーシップを図れた。  

 

繰り返しになるが、「健常者」と「障がい者」は「平等」であっても「同質」ではない。

 

もし筆者が普通学校に入学したら、仮に周りが平等に扱ってくれたとしても、常に劣等感に苛まれていたかもしれない。

 

自分だけの価値に気付くこともなければ、ましてや、「障害を武器にする」なんて言い出す、寝たきり社長が誕生することもなかったかもしれない。  

 

インクルーシブ教育の理念は素晴らしい。

 

しかし、教育現場すべてを混ぜこぜにするやり方がすべてじゃないと思うし、子どもが未熟な期間は教育環境を分けても筆者は決してマイナスではないと思う。 

 

大切なことは大人の理想よりも、その意図するところが最終的に「子どもの幸せ」につながっているかどうかである。

 

インクルーシブについてはこちらにも

前に書いてますメモ

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ひらがなが書けなくて苦労している子のきっとお役に立てると思いますニコニコ

 

紹介動画 見てねラブラブ

 

 

 

全文字、立石の指導動画付きです笑