前回の記事にちらっと書いたけど。
双子の発達遅れと、世界一周が関係しているという話。
……子連れ世界一周の記事が続いて、
双子の発語遅れに関する記事が中途半端な状態でストップしていた
発語遅れに気づいた話↓
自治体の発達相談に電話して驚いた話↓
今回の世界一周と双子の発語遅れ、
まったく関係ないように見えて、
私の中ではかなり密接に繋がっているのです。
というのも。
双子の発語が遅れていると気づき、
その後発語遅れに関して調べる中で、
発語の遅れがある子どもに起こりうる色んな可能性(ネガティブなもの)を知ったのだけど。
私はただただショックで。
何て表現したらいいのだろう、
すっごく表現が悪いけど、
自分が負け組になったような、
そんな気持ちしか湧いてこなくて。
毎日、双子たちと同じような状態の子が急激に喋るようになった事例を探して、安心しようとしていたのです。
もう、毎日気が狂ったように明け方までネット検索してた。
でも、当の本人たちはめーーーちゃくちゃ元気で。
発語が遅れていることに悩んでいる様子は一切なく
、毎日保育園生活をかなりエンジョイしていて。
その姿を見て、
あれ?私何で悩んでいるんだろ…
という気持ちになってきて。
自分の気持ちを分解していくと、
私が悶々としている一番の理由は、
双子が心配だからというよりも
自分が思い描く【普通】から外れるのが怖い
という感情からきているのかも、と気づいたのです。
自分の知っている世界、自分が想像できる世界、それらを自分の中で【普通】と定義付けていて、
それから外れることを異様に恐れているな、私、と。
これまでは、
比較的自分の思い描く【普通】に沿う形で生きてこられた。
学校も、仕事も、結婚も、出産も。
だから、この思考にそれほど不自由さを感じてこなかったけど。
双子の発達遅延を受けて、
あれ、私このままだとしんどいかも…?
と感じるようになり。
一回自分の【普通】から外れるような、思い切った行動をして、
自分の築きあげてきた【普通】を客観的に見つめ直すのもありかも…と思い、
それには仕事をやめての世界一周はとても効果的なのでは?と思ったのです。
かなり短絡的な発想ではあるのだけど
自分の凝り固まった思考をアップデートする機会にしたいなと。
そう考えるようになったら、
双子の発語遅れに対する悶々とした気持ちも薄まってきて。
「とりあえず検査や療育などやれることはやる。現状やれることをやったら、あとは楽しく過ごす!」というマインドに変化してきました。
もちろん、心配ではあるんだけども。
心配をあえて感じないようにしている節はある。
でも、私が無駄にアレコレ心配したところで、状況がよくなるわけではないので。
だったら、無駄な心配は精神衛生上良くないなと。
世界一周に行ったところで、
30数年間もの時間をかけて培ってきた思考は変わらないかもしれないんだけど
変わるのか、変わらないのか、自分でも客観的に観察していきたいなぁと思っています。
次回は、「どういう経緯で世界一周旅行が決まったのか?」
について書きたいなと思います。
次回に続く