はい、どーも!井上です!
関西を中心に精神医かつ産業医しています!
ラフな人生をめざしていきましょう(^^)
人間には
『”絶対”なんてない!』
とはよく言われますが
現代では1つの絶対があります。
それは
人間は絶対に死ぬことです。
とくに日本人は
なかなか死に関することを
誰かと話したりするのは
かなりタブー視されています。
すこしでも
死についての話題になると
『縁起でもない!』
のように話題を遮る人も多いですね。
たしかに
そのような教育や風習のなかで
私たちが育ってきたので
死の話題に目を背けたくなる気持ちは
十分に理解できます。
しかし
必ずやってくる悲しい出来事に
あまりにも向き合わないと
いざという時に
そのぶんだけ嘆き悲しみが大きいのは
言うまでもありません。
しかも
それだけではなく
あなたの”死との向き合い方”によっては
誰かの心を傷つけることさえあります。
そこで今回は
死との向き合い方が
誰かに影響を与える可能性について
お話しをさせて頂こうと思います。
死の向きあい方という
すこし複雑な話になるので
具体例をもって説明させてもらいます。
今回の主人公のAさんは
50代の男性であり
ある専門職に就いておりました。
Aさんは専門職の仕事人として
自分の技術を磨くために
昔から
師匠と呼べる人の元で弟子として
何年も一生懸命に
学んでいた過去があります。
とある時期に
Aさんはその師匠から離れて
独り立ちすることになりますが
Aさんが身につけた技術は
その師匠のお陰であることは言うまでもなく
ずっと感謝の気持ちを持ち続けていました。
師匠と弟子との関係ではなくなってからも
定期的に顔を合わしながら
業界の話や近況報告などをする関係を
保っておりました。
しかし
時の流れには
逆らうことは出来ずに
とうとう
師匠にも寿命がきてしまいました。
もちろん
Aさんも葬儀に出て
最後の別れをします。
寿命とはいえど
やはり大切な人を亡くしたAさんは
悲しみや喪失感でいっぱいで
なんとか葬儀は終えることができ
もう何も考えることが出来ないまま
帰路につくことになりました。
Aさんは結婚していたため
家に帰るやいなや
すぐに玄関まで奥さんが
出迎えてくれたのですが
そこで衝撃の一言を放たれます。
『家に入る前に、お清めの塩ふって。』
それは、宗教的な風習もあるでしょう。
お清めの塩というのは
人間の”死”というものに対して
ケガレとして良くないもの
と捉えることによって
葬儀に参加した人の体をきれいにする
意味合いを持っている風習です。
しかし
それを言われたAさんからすれば
・大切な人と縁を切ることを意味する…
・師匠はこの世にいてはいけない人なんだ…
・大切な人の死をとても嫌がられてる…
・大切な人の死はケガレているんだ…
のような気持ちに一気に襲われて
切なく、歯がゆい気持ちになったのです。
もしかしたら
奥さんとしても
そこまで深い意味は
無かったかもしれません。
ただ、”死”というものを
あまりにも遠ざけようとするあまり
つい、このような言動が
出てしまったのかもしれません。
しかし
それによって
Aさんの気持ちを
傷つけてしまった事実からは
私たちも学ぶことがあるはずです。
たしかに
生きている人からすれば
死後の世界は誰もが未知なので
恐怖や不安を感じてしまいます。
だからこそ
それに対して
忌み嫌いたくなる気持ちは
分からなくもありません。
しかし
あなたからすれば
『他人の死』であったとしても
ある人にとっては
『とても大切な人の死』なのです。
その死というものに対して
ネガティブな意見や遠ざけるような言動
目に入れないようにする態度は
遺族や関係者からすれば
大切な故人を拒否されたように感じます。
人間だれもが、最後は亡くなります。
その時は勝手にくるだろうし
あまり意識することはありませんが
生きるということは
コツコツとその死に近づくことです。
だからこそ
誰もが迎える最期のその時を
今よりは向き合って考えても
いいのではないでしょうか。
その向き合う姿勢があるからこそ
どんな死に対しても目を背けずに
尊重して遺族の心にも寄り添えるのです。
では、今日はこのへんで!
See You Next Time Bye-Bye!!
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