僕は夜な夜な料理をし思わる方向に進む【僕の世界観#114】 | グレーとタスク

グレーとタスク

タスクです。
学習障害(グレーゾーン)と分かったのは39歳
生きるの大変でした。
でも…
自分のブログで共感したり
前向きになる人いたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

こんにちは

 

 

HSS型HSPと学習障害(グレイゾーン)

 

を持っている。

 

タスクですニコニコ

 

 

前回のブログでは

 

 

僕は中華一番で料理に目覚める

 

 

について話しました。

 

 

 


 

前回の続きはこちらから↓

 

 

1997年:18歳 冬

 

ショッピングモールの

アルバイトをしながら

夜な夜な料理を作っていた。

 

 

 

作るのはチャーハンが多かった。

 

塩を入れすぎて

塩辛いチャーハン

コショウを入れすぎて

くしゃみが止まらないチャーハン

 

たまに…

 

美味しいチャーハンが出来た。

 

 

夜な夜な料理を作るのが

楽しくなっていた。

 

 

そんな時…冬

 

朝に両親に呼ばれた。

 

ここを見てと新聞を渡された。

 

『北九州調理師専門学校願書求む』

 

僕は…『えっ‼』と思った。

 

両親:

家でゴロゴロするより

ここに行ってみないか?

 

僕は急なことで戸惑った。

 

両親:

料理は好きなんだよね。

 

僕:

嫌いじゃないよ。

楽しいし興味はあるけど…。

 

両親:

1年間は家から電車で

通うことになるけど…

お金なら出すから‼

 

僕:

うん…。

 

両親:

このまま

アルバイトってわけにも…ね。

将来のこともあるし…。

 

僕:

わかった。

 

 

 

僕は…

 

行きたいような…

 

行きたくないような…

 

そんな

気持ちのまま1週間がすぎた。

 

北九州料理専門学校

遠いし行きたくないな…。

 

チャーハンしか作れないし

料理は趣味でいいやと思った。

 

 

両親に…

専門学校行きたくないと告げた。

 

衝撃の言葉が…

 

帰って来た。

 

 

両親:

『願書出して入金もしたから…』

 

『キャンセルは無理』

 

 

両親との言い争いの末

 

覆ることなく…

 

 

僕は…

 

 

来年の四月から

 

北九州調理師専門学校に

 

通うことになった。

 

 

 

 

今思うと…

 

本当に

調理師専門学校行くの嫌でした。

 

両親としての

僕を案じての決断だと思います。

 

 

次回は、

【僕の世界観#115】へ続く