プチプラ移住 in 京都  

プチプラ移住 in 京都  

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観光旅行でもない、完全移住でもない、安い経費で、新しい京都の楽しみ方 ⇒ それは「プチプラ移住」  

《2024年10月22日》

12時、「京都御苑の堺町御門」を出て「丸太町通」を地下鉄「丸太町」駅に向かって歩いていると、南側沿道にはビッシリと見物客が並んでいた。すでに最前列は空きが無い状態

地下鉄「丸太町」駅から「東山」駅で下車。さっそく昼食のお店を探したが、どこも満席でなかなか入れるお店がみつからない。

写真の「三条神宮道」交差点西側で巡行を見物する予定にしている。この地点、すなわち「三条神宮道」交差点から「疎水前の慶流橋」までの間の神宮道(写真下部、約260m)は、巡行経路のなかで最も道幅が狭い。つまり行列を最も近くで観ることができることになる。行列は写真右側の三条通から来て、手前の神宮道に曲がる

しばらく空いてる店を探して、ラッキーなことに、前の写真左端から3軒目のうどん屋さんに入れた。だいぶ歩き回ったので、まずはビールで一息入れる

きつねうどんを注文

14時15分ころ、行列がやってきた

ここからが時代祭の行列

トップは明治維新・幕末から。

維新勤王隊「山国隊」

明治維新の有名人達

地面に裾が着かないか?心配になってしまう

7メートルもあるとか(あとで判った)

ここから江戸時代

徳川城使上洛列 挟箱(はさみばこ)持。向い側は外国人観光客ばかり

徳川城使列の傘持ち

先ほど京都御苑で見た大名の乗る徳川城使列の駕籠

江戸時代の有名女性達

皇女「和宮親子内親王」

歌人「太田垣連月」

吉野太夫

出雲のお国

お国の後ろ姿

織田家家臣団

木下藤吉郎

滝川一益

この頃から渋滞発生。しばしば進行が休止する

室町幕府の武将達

足利将軍

室町洛中風俗列

鞨鼓童、太鼓打童

側踊り

楠木正成

白川女

桂女

淀君

淀君の侍女

阿仏尼

静御前

流鏑馬(やぶさめ)する鎌倉武士

やぶさめの的が歩く

やぶさめに使用する弓

平安時代の有名女性達

巴御前

常盤御前と子供達

紫式部と清少納言

和気広虫 一行

百済王(くだらのこきにし)明信

坂上田村麻呂の軍隊

京都市民(住民登録者)であれば、外国籍の人でも加わることができる

平安時代初期の官人

行列の最後、神饌講社列の迦陵頻(かりょうびん)胡蝶

桓武天皇・孝明天皇の鳳輦

大原女

16時過ぎ、行列の最後「弓箭組列」を見て、地下鉄「東山」駅より乗車、順次解散する

17時過ぎの新幹線で出京する

 

※ 今回の日記はこれで終わらせていただきます。閲覧、及びコメントいただいた方々には、改めて御礼申し上げます。

 

《2024年10月22日》

今日は「時代祭」の日。

プチ移住者のМさん夫妻、Nさん、ブログ友達のSさん達と、「京都御苑」での出発前風景から見に行く。

9時45分、全員、地下鉄「今出川」駅南改札口に集合する。

徒歩5分の「乾門(いぬいもん)」から京都御苑に入る

「京都御所」脇を通り、「建礼門」前(写真奥)に向かう

これから始まる「行在所(あんざいしょ)祭」を見る。

「建礼門」前の祭場。写真奥に建礼門の屋根が見える。まだほとんど見物客はいない

写真の白い幔幕の前の二つの台に「桓武天皇」と「孝明天皇」の御霊代(みたましろ)を遷した鳳輦が置かれる

前の写真の反対側。有料観覧席がズラッと並んでいる

祭りに参加する服装をした人もチラホラ見かける

我々は、祭場の東側角に陣取る

10時15分頃、桓武天皇と孝明天皇の神霊をお載せした鳳輦が「平安神宮」から到着する

時代祭の旗が先頭

総奉行

神鐉講社は時代祭の運営,さらに祭具や衣装の修理・保管などに尽力している

神饌講社列の迦陵頻(かりょうびん)胡蝶

鉾と盾

2基の鳳輦がやって来る

孝明天皇の鳳輦が先

行列は続く

桓武天皇の鳳輦

祭場の台に安置される2基の鳳輦

時代祭参加者の旗だけが続く

旗の本人達はもうしばらくしたら、集まって来る

祭場の東側。神職達が集まってくる

祭場の西側には「大原女」「白川女」が並ぶ

祭場 望遠撮影

維新勤王隊「山国隊」が笛を演奏しながらやって来る

彼らは時代祭行列の先頭になる

祭場全景。いよいよ行在所祭が始まる

祭場の東側

祭場の西側

平安神宮 宮司の祝詞奏上で始まる

次々と供物が供えられる

いろいろな物が供えられるが、省略する

鳳輦前に並んだ供物

白川女による献花。続いて大原女による献花

行在所祭も終わりに近付く。このあと来賓達の玉串奉奠が次々と続く

 

 

11時ころになると、時代祭の行列に参加する人達が集まってくる。スタート地点付近

大体、行列の順番にたむろする。幕末が最初で~平安初期の順

立派な大名かご

和宮が搭乗する台車。本人はまだ来ていない

馬は68頭も集まる

御所車の前で記念撮影。頼めば一緒に撮ってくれる

行列は12時ジャストにスタートするので「早昼」を食べている

鎧武者がカッコイイ。衣装は時代考証した正確な服装

Мさん、Sさんも撮らせてもらう

道具類も時代考証した正確な造り

ゆぶさめの武者たちの記念撮影

通称「馬糞カート」。こういう担当者も必須

平安初期の鎧姿

時間も迫り「キレイところ」がタクシーで、次々と到着する

紫式部、清少納言、和気広虫。裾を持ってもらっている

この台車に搭乗する

常盤御前と思われる

時代祭の花形「巴御前」

キレイところは、取り囲まれてしまう

淀君らしい

静御前もいる

桂女(かつらめ)。桂川をこえて鮎や飴を売り京の町に来る販女

16世紀京の町衆によって盛んに催された「風流踊り」の「側踊り」の女性達

室町幕府執政列

12時ジャスト、桓武天皇・孝明天皇の鳳輦前で時代祭の旗が振られ、パレードがスタートする

行列は京都御苑を出て行く

我々は「神宮道」入口で行列を見るため「堺町御門」から出て、地下鉄「丸太町」駅に向かう

 

 

 

 

《2024年10月21日》

昨日、今月開催中の「京都浄土宗特別公開寺院」の昨日公開のお寺を訪ねたが、けっこう興味深かった。

 

●特別公開寺院リスト↓

https://www.jodo-kyoto.jp/wp-content/images/daikoukai6914.pdf

 

この公開寺院リストを見ていたら、「既成院(きしょういん)」という今日公開されるお寺で「声明のお稽古」初回講座を無料で開催すると出ていた

声明(しょうみょう)とは、僧侶が唱える声楽のことで、梵語(ぼんご)または漢文の経典や偈(げ)を、節をつけてとなえることで、梵唄(ぼんばい)とも言う。

お経と声明は違い 、声明はお経に節がついたもので、仏教寺院で僧侶が儀式の時に唱える男性コーラス。 仏さまの教えを讃歎する仏教の「聖歌」とも言える。
 

この声明には前から興味をもっていて、例年10月14~15日に「真如堂(極楽真正寺)」で開催される、阿弥陀経を独特の調子で鉦に合わせて唱える「引声阿弥陀経会」(いんぜいあみだきょうえ)」を聴きに行ったこともあった。

 

ということで既成院に行って「声明のお稽古」初回講座を受講してみることにした。

また、この既成院は浄土宗総本山「知恩院」の塔頭で知恩院近くにあるので、かねてより懸案だった「墓終い」について知恩院に相談しに行くことにした。

 

徒歩約3分の「太秦映画村前」から63番の京都バスに乗り「四条京阪前」で下車。

「川端通」を「京阪三条」駅に向かって歩き、途中で右折し「新門前通」を歩く

新門前通には骨董屋さんが多い

瓦屋さんの店頭。各種鬼瓦が飾ってあった

新門前通から「古門前通」に曲がり進むと、知恩院 古門(写真右端)前に出る

古門から境内に入る

まずは三門脇の坂を上がり、本堂に行く

知恩院 本堂(国宝「御影堂」)

御影堂の左端の入口から入ると、すぐ左側に相談室がある。我が家の墓も継承者がいないので、どうするか?いろいろ考えているところ

三門前の信徒会館「和順会館」で昼食する

シャレたカフェ「KARIN」

精進プレート・ランチというのを食べる

写真左側は三門前の「バス専用駐車場」。13時15分、既成院(写真右端の道奥に見える門)に行く。

前の写真右端の道奥に見える既成院の表門

既成院の表門正面

「声明のお稽古13時半より」とタテカンがあった

13時半前、住職が入れて下さった。この人が声明の研究家で今日の講師「伊藤正芳」先生

参加者は15人ほどいた。写真中央の建物の開いている入口奥が仏壇、建物右側が塾のような教室

既成院駐車場から撮影した表門(写真左端)と教室(写真右端)

教室。住職は写真中央の机の前に座り、お話を始める

最初に声明の歴史や種類(各宗派による違いなど)について講義。天台宗の声明についても詳しかった

そして声明の譜面の読み方と、実際の唱和(実習)

最初、住職が一人で唱(とな)え、次に皆で唱えるが、住職についていくとなんとなく唄(うた)えてしまう。かなり様式化されていることは理解できた。

 

浄土宗の声明↓

 

講義時間1時間半で15時に終了。「終了証」がわりに御朱印が配られた

表門から退出

「京阪三条」駅前まで歩き、63番の京都バスに乗る。

市役所前を通過すると、明日の「時代祭」の有料観覧席の設営真っ最中だった

「常盤仲之町(スーパー・マツモト前)」で降り、帰った。

 

 

いよいよこれから「對龍山荘特別公開」に向かう。對龍山荘は南禅寺の塔頭跡地に明治29~32年にかけて「伊集院兼常」の別荘として造営され、その後「市田弥一郎」が譲り受け、明治34~38年に改修が行われ、現在の景観の基礎が出来上がったとのこと。

 

「馬町」バス停(写真左端)から202番の市バスに乗り「東山三条」で下車

地下鉄「東山」駅から「蹴上」駅で下車。1番出口から出る

いつもは、この「ねじりマンボ(写真右端)」をくぐって「南禅寺」に行くのだが、今日はこのまま蹴上の坂を下る

インクラインの下の方まで来た

インクラインをまたぐ橋を渡り、

南禅寺中門前の道を中門に向かって歩く

對龍山荘への入口は判り難い。料理旅館「菊水」の看板の横を入って行く

前の写真中央の菊水の看板(写真左端)の右(写真右端方向)に進む

菊水の看板から50mほど先の左側に對龍山荘の表門がある

對龍山荘の表門。15時からの見学で、今14時半なのでまだ誰も来ていない。門も固く閉ざされている

さらに少し上に行ってみた

前の写真の向かい側に菊水の表門がある。菊水も南禅寺界隈庭園群のひとつで、かつて「寺村助右衛門」邸だった

写真左端が菊水の敷地、写真右端が對龍山荘の敷地

一旦、スグ近くのインクラインの真下までもどって時間をツブす

15時15分前に對龍山荘にもどってみると15時からの拝観者達がかなり門前にたむろしていた

15時10分前に表門が開き、受付が始まる。拝観者は計20名のようだった。

 

ガイドは3人、メインの女性が説明専門、にこやかで愛想良く、とてもフレンドリーで皆さん緊張がほぐれたようだった。

つい最近、写真撮影はほぼオールフリー、ネット掲載もOKということになった、とのことでとてもうれしく思った。キツイ注意とかはなくて、たぶんニトリの社長から優しく親切に接するように言われているのだろうと感じた。

 

對龍山荘 敷地図

いよいよ外塀横(写真左端)から庭園に入る

外塀に沿って歩く

こんな松の下を通ったりする

池の端に出た。凄まじいばかりの庭園美❗

感嘆のあまりウナってしまった😵💧

まさに桃源郷である

手入れが完璧で、この世の風景とは思えない・・・

滝口を望遠撮影

庭をめぐる

どこを撮っても絵になる、という光景

こんな場所もある

カキツバタがこのように咲くと、写真を見せて回る

コチラは、この辺の紅葉🍁時の写真

園遊会など用の広場

写真の「あずまや」の後ろは、すぐ「金地院」の敷地とのこと

庭師が手入れの最中

母屋に近付く

左右で苔の種類が違う

少し紅葉🍁が進んでいた

母屋の横を通過。建物には入れない

母屋前の池

滝に接近。水車も見える。巨大なコイが何匹もいる

飛び石伝いに進む

1時間の桃源郷だった。皆さん満足気に帰る。門脇の女性が説明専門のチーフで一人一人に挨拶する丁寧さ

 

「白川通」を歩き「東天王町」バス停に向かう。途中、南禅寺界隈庭園群のいくつかの庭園横を通って行くことになる。この塀の向こうの庭園も凄まじく美しいのだろうか?

また次の庭園の入口前を通って行く。いつか拝観できるのだろうか?・・・

東天王町バス停から93番の市バスに乗り「太秦映画村道」で下車。スーパー・マツモトに寄り帰った

 

《2024年10月20日》

明治以前、南禅寺は近辺に広大な寺領を所有していたが、明治政府は土地没収命令(上知令)で多くの寺領を没収し民間に払い下げを行った。そして元南禅寺の土地は、政府要人や実業家が購入し別荘を建てた。その数は以下の15邸宅に及ぶ。

●碧雲荘 - 野村HDが所有
●何有荘 - 旧稲畑勝太郎邸
●對龍山荘 - ㈱ニトリが所有
●流響院 - 旧織寶苑
●清流亭 - 旧塚本與三次邸
●有芳園 - 旧住友友純別邸
●真々庵 - 旧染谷寛治別邸
●無鄰菴 - 旧山縣有朋別邸
●居然亭 - 第4代中井三郎兵衛別邸
●清風荘 - 旧西園寺公望邸
●智水庵 - 旧横山隆興別邸
●怡園 - 旧細川家別邸
●旧上田秋成邸 - 料理旅館八千代
●旧藤田小太郎邸 - 小川治兵衛が手がけた洛翠庭園を有する。日本郵政共済組合、日本調剤を経て柳井正が取得。
●旧寺村助右衛門邸 - 料理旅館菊水

これらは「無鄰菴」以外、一般には公開されておらず、秘密のベールに包まれているかのような雰囲気がある。

しかし最近、㈱ニトリ所有の「對龍山荘」が、予約制ながら公開するようになり、更に直近、写真撮影と、そのSNSアップも解禁するようになった。
本日、對龍山荘見学の予約が取れたので観に行く。

對龍山荘の見学は15時からなので、まず午前中「京都国立博物館(以下、京博)」で現在開催中の「法然と極楽浄土」展を観に行く。

8時、徒歩約3分のガストで朝食する。豚汁定食を食べる。この品数+ソフトドリンク飲み放題で665円は安い

朝食後、徒歩約10分してJR嵯峨野線「太秦」駅9時発「京都」行きに乗る。となりの「花園」駅で祭りに遭遇。今日は地元「福王子神社」の例大祭だった。昨年、見に行ったのだった

京都駅で奈良線に乗り、となりの「東福寺」駅で京阪線に乗り換える。これから行く京博の「法然と極楽浄土」展のポスター(写真左端)が掲示してあった。そのとなりには知人の京都カメラマン「三宅」さんの写真を使った時代祭のポスターがあった

「七条」駅で降り「七条通」の坂を上がって行く

9時半、京博玄関に着く

京博入口の「法然と極楽浄土」展のパネル

前の写真の反対側から撮影

チケット自動販売機

入場料1800円

入場ゲート前のパネル。今回の展示では、いろいろなパネルが設置されているようだ

前の写真の反対側に、三十三間堂(写真右端)、先日訪れた法住寺(写真左奥)が見える

会場の「平成知新館」全景

平成知新館玄関前には、またパネル

館内ロビーには、観光地によくある顔を出すパネルも

1階の展示

2階の展示

3階の展示

今回は大がかりな「フォト・スポット」が設けられていた

前の写真の反対側から撮影。立体曼陀羅ならぬ「立体涅槃像」と言ったところ

この羅漢さんの表情がおもしろい

動物たちもリアル

今回の展示では、死者を極楽浄土に迎えに来る「来迎図」の名品が多く展示されていたのが印象的だった。

 

我が家の菩提寺も浄土宗なので、とても参考になった。本山は東京の「増上寺」。関東地方の浄土宗寺院の本山は増上寺の場合が多い

本山がこんなにあるのを初めて知った!

浄土宗の寺院は関東に多い(関西は浄土真宗が多い)のに、本山は京都に多い。「七大本山」が有名

今回の京博展示は「浄土宗開宗850年」を記念して開催されたものだが、浄土宗京都教区では近年、普段一般公開していない浄土宗寺院の特別公開を期間限定(今年は10月中)でやっている。

 

 

 

浄土宗ついで?に、京博付近の浄土宗特別公開寺院を訪ねてみることにした。今日公開している「隆彦院(りゅうげんいん)」と「喜運寺」というお寺に行ってみる

京博前の「七条通」の坂の頂上まで行く

前の写真突き当たりの「東大路通」を左に曲がり5分ほどの「馬町交差点」を右折して「渋谷(しぶたに)通」を上がって行く

渋谷通

「渋谷交番」前を左折する

細い下りの路地になっている

前の写真の路地の突き当たりに隆彦院(りゅうげんいん)という尼寺がある

前の写真、突き当たり右側の隆彦院。尼寺霊場と表札が掛かっていた

隆彦院 玄関

玄関を入る。数人の参拝者が来ていた

前の写真奥の右側に本堂に行く渡り廊下がある

東北の古い旅館と言った感じの建物

渡り廊下(写真右端)がおもしろい造りになっている

お座敷

接待のお抹茶と主菓子が出てくる

この主菓子は、なかなか凝っていた。甘く煮たキンカンが入っていた

京都市街地のお店で食べれば800円くらいはすると思う。それを参拝者全てに無料で供していた。京都の食一般は平均的には高いと言えるが、無料提供という場合も少なくない。先日15日の粟田神社の庖丁式でも抹茶接待があった。

 

隆彦院を出て、渋谷通をもう少し上がると「喜運寺」がある(写真中央)

なかなかリッパな山門をくぐる

境内は幼稚園になっていた

本堂(写真左端)に入る。ココでも接待のお茶・お菓子を用意されている(写真右端)

 

本堂内に「浄土三部経」の経文を書いた地がグレーの掛け軸があった

実は色ではなく、超ミクロの経文が書かれていた

住職のお話では檀家の方が書かれたとのこと


東大路通に下り「馬町」バス停から202番の市バスに乗る。

 

(2)に続く