令和8年8月30日(日)私は和田義盛の領地、三浦市初声町和田を訪ねた。8月の歴史散歩は暑くてとてもダメかと思ったが、この日は最高気温は28℃曇の予報、急遽出発した。
家を8時30分に出発、JR戸塚駅からJR逗子駅に。
逗子駅前から京急バス、三崎口方面行きのバス🚌に乗った。
バス🚌は国道134号線を走り、すぐに葉山町に入った。右側には相模湾が墨絵のように、ぼんやりと、左側は山々が濃い緑に覆われていた。
周りの景色に見惚れていると、横須賀市に、横須賀市は三浦半島の西側まであって広いのだ。
バス🚌で30分ほど乗り、浄楽寺で降りた。ここは芦名と呼ばれ、三浦義明の弟の芦名為清の所領地だが、浄楽寺には1189年、和田義盛が夫人小野氏と共に運慶に造像させた、国の重要文化財がある。
阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像の5体だ。
本堂裏の収蔵庫に安置されており、拝観料は600円。
写真撮影は禁止🈲されていて、残念だが、パンフレットにはよく見かける。
阿弥陀三尊は神秘的で格調高い、不動明王、毘沙門像は運慶の特徴の写実的で力強さが感じられた。
浄楽寺本堂
収蔵庫の前を通り抜けると、「日本郵便の父」と呼ばれる前島密の墓🪦があった。
明治44年、前島密はここ浄楽寺の境内の一部を借り、「如々山荘」と名付けて隠居生活に入り、大正8年、85歳で亡くなった。墓🪦は西洋風の意匠で富士山をかたどっている。
前島密の墓
浄楽寺バス停を1つ戻ったところに前田川遊歩道がある。三浦半島最高峰、大楠山を目指す遊歩道だ。時間があるので途中まで行ってみることにした。
遊歩道起点の標識があり、木🌲の梯子🪜を降りると、前田川の川原に出た。浅瀬で澄んだ水💦が流れている。この流れを遡り、川原を歩くのだ。
流れを渡る所に、飛び石がある。飛び石の上をテンポ良くと言いたいのだか、前日の雨☔で滑りそう、慎重に飛んだ。
一番の難所、せせらぎの音や小鳥の声が聞こえる。爽やかな風が吹き抜ける。遊歩道はまだまだ続く、木立が覆い神秘的になってきた。
大楠山へは崖崩れで、通行止めだそうだ。途中で引き返す。
前田橋バス🚌停より、和田を目指すが、途中、長井のバス🚌停で乗り換える。
途中、取り入れが終わったスイカ🍉畑が一面に広がる。和田のバス停🚌に到着、ここは三浦市、三浦半島有数の穀倉地帯だ。
和田義盛旧里碑。この石碑は義盛の在所と思われるこの地に、大正10年に建立された。
和田城跡、義盛の居館があった所だが、何も残っていない、碑だけがポツンとある。この城跡を囲むように地名として、木戸脇、唐池、出口、赤羽根、矢作の名が残ってそうだ。
この館には巴御前が余生を送ったと伝わる。
和田城跡
バス通り反対側にある神明白旗神社に。50段の急な階段を登ると大木に囲まれ静寂な気配の中に小さな神社⛩️が。
和田合戦で敗れた義盛の善政をしのび、1263年和田の郷民がこの地に社殿を設けて白旗神社と称して祭祀した。「初声町」の名は義盛が平家討伐で大勝し、領民を交えた酒席で戦勝の舞「初声」を舞ったことから始まった。
神明白旗神社
次は和田義盛の位牌を安置している天養院に。
天養院本堂
薬師如来像。和田義盛が館の鬼門を守護するために建立した安楽寺に祀られていたが、廃寺に伴い天養院に移された。和田義盛の護持仏で行基の作と伝わる。
薬師如来、日光菩薩、月光菩薩像
天養院に残る、和田義盛公の位牌と木像。
予定していた、全て周り終え京浜急行三崎口駅に到着したが、まだ、2時前、三崎港周辺は、源頼朝が好んだ景勝地だ。行って見ることにした。
三崎口駅前から城ヶ島行きのバス🚌に乗ること10分、三崎港バス🚌停に到着。ここでは若い人や家族づれの観光客で賑わっていた。
まず、海南神社⛩️へ。三浦の総鎮守、境内には頼朝手植えと伝わる樹齢800年の大銀杏があった。
海南神社
次に1190年和田義盛開基、創建の光念寺に行く。
光念寺本堂。
和田義盛は衣笠城を攻められ船で逃げる際、危機を救ったのは龍神であると信じ、発心して筌竜弁財天をこの地に祀った。筌竜弁財天は八本の腕に武器を持つ。
筌竜弁財天
次に向かったのは三浦一族の菩提寺だが、頼朝により、桜の御所とされた本瑞寺。頼朝はこの地に桜🌸を植え、合わせて城ヶ島の桜🌸も望見するといった観桜の宴を催した。頼家、実朝も度々訪れたという。
ほかに、桃の御所の見桃寺。椿の御所の大椿寺があるが、離れているので行かないことにした。
本瑞寺の本堂。
三崎漁港より城ヶ島大橋を望む。
三崎口駅に戻ると、京浜急行青砥行きの特急電車に乗ることが出来た。上大岡駅には4時前に到着、三浦半島を一周した。三浦半島西部も交通の便がよく
史跡も多い、手軽な景勝地であった。(了)














