生きる意味109 | 垂水のてるさんの釣りバカ日誌

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投げ釣りファンを増やすため神戸のアラ還釣りバカおじさんがポイントもコツも隠さずつぶやきます。

夏休み6日休んで今日は出勤だが、また明日から休み。何とも中途半端なスタートだが、それでも1日仕事をしておけば、仕事も気持ちも楽である。

 

いつもより空いている通勤電車で、長南瑞生の『生きる意味109』を読了。

 

 

 

 

以前に紹介した『いのちのバトンタッチ』をAmazonで検索した時に関連書として出てきて、レビューも高評価が多かったので、図書館で借りて読んでみた。

 

しかし、てるさんにとってはどうも薄口で浅漬けの内容と思ってしまった。

 

内容を要約すると以下となる。

 

道を極めた多くの偉人も人生の最後に後悔している

それは、生きる手段を追求して目的を見失っているからである

生きる手段はいくら追求しても達成できない

生きる目的は達成することが可能である

生きる目的とは幸せの追求である

幸せには相対的幸せと絶対的幸せがある

お金や地位、名誉、恋愛などの相対的幸せは求めても達成できず、死を迎えるとすべて失う

死を前にしてもある絶対的幸せの唯一の獲得方法は仏教である

 

著者はさまざまな分野の偉人を研究して、その言葉を引用しているが、仏教が唯一の結論ありきで都合よく引用しているし、何より人間の欲求の心理学的なメカニズムを無視しているように思えた。

 

人間は常に、

  ニーズ(欲求) → 行動 → 満足

をスパイラル状に繰り返す。

 

著者が生きる手段といっている相対的幸せの欲求も、移ろいやすい下位の所有(Haveレベル)から、中位の行為(Doレベル)、不変化する上位の存在(Beレベル)まである。(以上、梅澤伸嘉氏)

 

著者は欲求をもつことを否定しているが、大切なことは「足るを知る」「正しい方向に導く」欲求のコントロールかと思う。

 

何より、ピカソや夏目漱石などの偉人が晩年に自身の作品に満足していない言葉を残しているからと言って、言葉通り不幸な人生と結論づけるのは短絡的に思える。


真理と進化を追求するプロの仕事には達成がないのが当たり前だが、それは不幸とは思えない。彼らが絵や文学を捨て、著者が勧めるように仏教に帰依して得度していたら、より幸福な人生な送っていたと言えるだろうか。

 

というわけで、辛辣なレビューとなってしまったが、反論を整理することで、自身の考えがよりクリアになったところはよかったかな。