5/8(水)
会社の創立記念式典があるので今年二度目のネクタイ労働。
社長の挨拶や永年勤続者表彰など式が進み、まもなく終了しようというところで父が入院している病院から電話。
心拍数が緩やかに落ちてきていると言われた。
会社にはGW後は当面毎週水曜日は午後半休を取って病院に面会に行くことで了承してもらっていたが、早めて10時半に式が終わってすぐ早退させてもらった。妹にもできれば来るようにLINE。
11時半に大阪駅に着いた頃に病院から再び電話。
どんどん心拍数が下がり危篤とのこと。
12時半に病院に到着。妹は13時過ぎに到着するとのこと。
これまで100以上あった心拍数が40ほどになっている。意識もほとんどない。
今までがんばってくれてありがとう。でも妹が来るまで後30分だけがんばってくれるよう声をかけ続ける。
心拍数はどんどん下がり続け、妹が来る少し前にゼロになった。
妹が来て看取った後で、先生が来て13:13に臨終を告げた。
もう少し早かったかもしれないが、妹に看取らせるための先生の厚意だったのかもしれない。
その後は、てるさんが初めての喪主となり、悲しみにくれる間もなく、慌ただしく通夜、告別式、初七日までを何とか無事に終わらせたところでおる。
それにしても、GW前に余命数日と言われながらGWは何とかがんばってくれ、滅多に着ないスーツを着、父の面会のために最初の半休をとった日に亡くなるところが、子どもに負担をかけまいと気遣いをしすぎる父らしい最期であった。