1・17。阪神淡路大震災から27年。
1995年のこの日は親と同居していた堺で、5:46にすごい揺れで目が覚めた。ニュースで地震があったことを知ったが、被災状況はわからず、身支度をして仕事のために家を出た。
しかし、電車が止まっており、千里中央にある会社に行けない。2時間ほど駅で待ったが、復旧のめどがたたないということで、いったん家に戻り、ニュースを見てとんでもないことになっているのを知った。
折しも会社は翌月に神戸に移転、てるさんも1月末に尼崎の立花の新築ワンルームマンションで一人暮らしをしようとしていた。
結局、会社は鉄道が寸断され、周辺の建物が倒壊していたので、移転が延期された。
1月末に入居する予定だったマンションは、震災直後には不動産会社からこんな状況なので契約通り入居できないかもしれないと泣きついてきたのに、被害がなかったことがわかると一転、契約を遵守してもらわないと困ると強気姿勢になった。
こうして震災翌月に大阪フミンから兵庫ケンミンになった。
その後鉄道が開通したので会社も9月に三宮に移転した。周辺は倒壊した建物の撤去はほぼ終わっており、建設ラッシュだった。
立花のワンルームは無事だったものの、古い文化住宅は倒壊して犠牲者が出ていたし、倒壊は免れたものの屋根がブルーシートで覆われた家は多かった。
こうして傷ついた街が徐々に復興していく様を肌身で感じた。
2年後には海外赴任となり、6年間日本から離れるが、結婚して子供が生まれ、2003年に神戸に戻り、垂水に引っ越す。
身内に犠牲者もなく、すごく辛い思いをしたわけでもないし、義援金も些少なので、阪神淡路大震災について語る資格はないが、震災後、尼崎、神戸に住み、納税と消費で経済を少し回すことができてよかったと思っている。
もちろん、釣りが身近にできるようになったことはとてもうれしいが、それだけでなく、住んで復興に少し貢献できたことに意義を感じている。