■マリコ先生の自己紹介
・東京都江東区で個別学習塾を27年経営
・不登校、支援級の生徒も合格に導く
・教育評論家ではなくガチで現場の人です
・平成の不登校と令和の不登校は違う
・ダメな子どもはいない。ただ、困っているだけ。
・中央大学法学部
・進路アドバイザー
・ナリ心理学®︎認定心理アドバイザーとして発信
LINEセッションマスター
お父さんは、いつも怒っている。
大きな声を出す。
不機嫌になる。
子どもの失敗を責める。
思い通りにならないと怒る。
そして、お母さんは無視する。
話しかけても返事をしない。
目を合わせない。
機嫌が悪いと口をきかない。
子どもの気持ちを見ようとしない。
そんな家で育つ子どもは、毎日こう思います。
「今日は怒られないかな」
「今日は許してもらえるかな」
「今日は口を聞いてもらえるかな」
「今日は家にいてもいいのかな」
子どもなのに、家の中でずっと審査待ちをしている。
お父さんの機嫌に合格できるか。
お母さんに存在を認めてもらえるか。
今日は自分が、この家で人間として扱ってもらえるか。
そんなことを考えながら生きることになります。
これは、子どもにとってかなり苦しいことです。
なぜなら、家が安心できる場所ではなくなるからです。
本来、家は子どもにとって、失敗しても戻れる場所です。
学校で嫌なことがあっても、戻れる場所。
外で傷ついても、休める場所。
うまくできなくても、存在を否定されない場所。
でも、お父さんが怒り、お母さんが無視する家では、子どもは休めません。
外でも頑張る。
家でも気を使う。
学校でも緊張する。
家でも緊張する。
どこにも安心できる場所がない。
すると子どもは、子どもでいられなくなります。
親の顔色を読む。
怒られないように動く。
無視されないように気を使う。
本音を言わない。
泣かない。
頼らない。
甘えない。
困っていることを隠す。
そして、心の中にこう刻まれていきます。
「私は、普通に存在しているだけでは許されない」
「私は、相手の機嫌がいい時だけ受け入れられる」
「私は、怒られないように、無視されないように、生きなければいけない」
「存在価値」とはなんぞや?
子どもは本来、
「私はここにいていい」
「私は話しかけてもいい」
「私は失敗しても見捨てられない」
「私は親の感情を背負わなくていい」
と思って育つ必要があります。
でも、怒る父親と無視する母親の中で育つと、子どもはそう思えません。
そして大人になってからも、人間関係が怖くなりやすい。
相手が少し黙っただけで、
「怒ってる?」
「私、何かした?」
「嫌われた?」
「見捨てられる?」
と不安になる。
相手の不機嫌を、自分の責任だと思ってしまう。
恋人が黙ると怖い。
上司が不機嫌だと怖い。
友達の返信が遅いと怖い。
誰かに無視されると、心が一気に子どもの頃に戻る。
なぜなら、子どもの頃からずっと、
「今日は許されるのか」
「今日は口を聞いてもらえるのか」
を考えて生きてきたからです。
子どもは、 正しい言葉だけについていくわけじゃない。 「わかる」 「お前、すげ〜な!」 「俺もそうだった」 「お前だけじゃない」 「一緒じゃん」 「お前、面白いな」 「席とっておいたよ」 「マジ、お前といると楽しい」 そんな言葉に、子どもたちは、 救われたような気持ちになることがある。 家で怒られ、 無視され、 存在を見てもらえなかった子ほど、 自分を仲間として扱ってくれる言葉に弱い。 たとえその場所が危なくても、たとえその人が本当に味方ではなくても、子どもは…もう正常な判断ができない。 「お前もこっち来いよ」 「俺ら仲間じゃん」 「お前のこと分かるよ」 と言われた瞬間に、 子どもはそこを居場所だと思ってしまうことがある。 そして道を外してしまう場合がある。
お父さんは、子どもとお母さんを毎日怒っている。
お母さんは、毎日不機嫌で、子どもを八つ当たりするか無視するか…
子どもは、
今日は許されるのか?
今日も許されないのか?
子どもは、
毎日、家で「有罪」の判決を下される。
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