■■男の予言は当たった『あの日そして5年津波逃れた孤立列車 あの日の「切符」捨てられない 』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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■【あの日そして5年(6)】《記憶》津波逃れた孤立列車 あの日の「切符」捨てられない
2016.3.7 産経新聞
 
産経新聞 提供 野蒜発の切符。巨大地震が起きる直前の発券日時が印字されている=宮城県東松島市の旧野蒜駅 (宮崎瑞穂撮影) 

高台で津波回避、母待ち続けた数時間

 勉強机の引き出しを開ける。宮城県東松島市の仮住まい。中学2年の大槻陽平さん(14)は中から1枚の切符を取り出した。

 「家が流され、全てをなくした。震災前からの持ち物で残っているのはこの切符しかない」

 捨てられず、避難先が変わっても持ち続けている。

 <23・3・11 14:40>

 切符には発券日時が印字されている。

 5年前のあの日。

                 ■  ■

 東松島市のJR仙石線野蒜(のびる)駅。小学3年の少年は発券されたばかりの切符を手に列車に飛び乗った。週1回、同県石巻市の絵画教室に通う。

 列車はあおば通(仙台市)発石巻行き下り快速(4両)。少年ら60人を乗せ、定刻通りに発車した。

 発券時刻の6分後、大きな揺れに見舞われた。駅から600メートル先で緊急停車する。車内灯が落ちた。乗客は息をのむ。

 乗客の誰かが「野蒜小に避難しよう」と提案した。緊急避難所に指定されている。地元の人らしき男性が「津波が来る。ここにとどまるべきだ」と制止した。

 男性の予言は当たった。50分後、巨大津波が押し寄せた。列車はたまたま高台に止まり、難を逃れた。地震発生が先か後に30秒ずれていたら一巻の終わりだった。野蒜小は浸水し、13人の犠牲者が出たことを後に知る。

                 ■  ■

 乗客は最も高い位置の3両目に集まった。

 「大丈夫だよ、坊や」

 少年が心細そうにしているのを見かね、乗客が声を掛けた。小学低学年の子に動揺を抑える力はなく、何の受け答えもできない。

 大槻由季さんは夢中で列車の居所を捜していた。当時39歳。息子を駅に送り届けてそれきりになっている。他の3人の子供を保養施設に預けて安全を確保し、車で引き返した。

 列車が見えた。よじ登り、ドアをこじ開ける。午後5時。車内は薄暗く、人影しか見えない。息子の名を呼び、歩を進めた。

 半べそ顔でこっちを見ている男の子がいる。

 「陽平」

 足早に近寄り、胸に引き寄せた。息子はせきを切ったように泣きだす。自分も涙が止まらない。

 母子はきつく抱き合った。乗客から拍手が起きた。

 暖房の切れた車内で15時間耐えた

 日は落ちた。

 JR仙石線下り快速列車は立ち往生が続いている。

 60人の乗客は車内で一夜を過ごす覚悟を決めた。大槻由季さんは息子の陽平さんを抱き寄せている。

 暖房は切れた。ドアから隙間風が吹き込む。中づり広告を引きはがし、間に突っ込んだ。車内に空のごみ袋があり、頭からかぶって寒さしのぎの足しにした。

 車内は落ち着いていた。取り乱す人はいない。地元の人がいる。家族の安否を気にしていた。旅行者の姿も。仙台駅で足止めを食い、1本遅れたという。前の便だったら津波に巻き込まれたかもしれず、「命拾いした」と言っていた。

 手元に弁当が回ってきた。乗客の女性が「少しずつどうぞ」と差し出してくれた。一口食べて次の人に回す。かりんとうもペットボトルの水も。他の人も手持ちのわずかな食料を提供した。分かち合いの輪が広がる。

                 ■  ■

 「あれ人か?」

 誰かがつぶやいた。男性が流されているのが窓越しに見える。乗客が非常用ロープを取り出し、何人かで助けに出た。水をかき分けて近づく。ロープで引き寄せ、車内に運び込んだ。

 男性は意識があった。60代に見える。水浸しで体が冷え切っていた。乗客が服を1人1枚ずつ脱ぎ、男性に着せた。座席を外して寝床にし、横に寝せた。

 陽平さんは目をつぶり、由季さんの肩にもたれるように座席に座っている。余震がやまず、寝付けない。悪い夢でも見たのか、時々うめき声を上げた。

 空が白んできた。

 全員車外に脱出する。手を取り合って。緊急停止から15時間。乗客に一体感が生まれていた。

 陽平さんは由季さんとともに家族と合流し、無事を確かめた。家は流失した。駅も冠水した。「命を取られなかった幸運をかみしめよう」。両親がそう話しているのが聞こえた。

                 ■  ■

 切符は震災の数週間後に見つかった。財布の中に紛れ込んでいた。被災体験の衝撃が大きく、すっかり頭から抜けていた。

 被災体験を話すのは気が進まなかった。思い出すと震えだす。しばらく列車に乗れなかった。

 中学1年だった昨年3月、体験談を人前で話す依頼が届いた。原稿を書き始めたが、筆が進まない。由季さんが見かねて半分書いた。当日は気乗りしなかったが、意外にすんなり話せた。嘘のように気が楽になり、震えから解放された。

 仙石線は復旧した。野蒜駅も内陸に再建された。新駅前は大規模な宅地開発が進む。大槻さん一家はこの一角に新居を構える。陽平さんが次に野蒜駅発の切符を買うのはその時になる。 (伊藤寿行) 記事本文


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私見『男性の予言は当たった


運命の電車・・

[東日本大震災]被災を免れたJR仙石線

http://ameblo.jp/aru-king/entry-10890068849.html





東日本大震災が発生した3月11日午後2時46分、宮城県東松島市のJR仙石(せんせき)線「野蒜(のびる)駅」を出発した上下2本の電車があった。ともに一時行方不明と報じられたが、下り電車は丘の上で停止、地元住民のアドバイスに従って乗客は車内にとどまり無事だった。上り電車はJR東日本の内規に従って誘導された指定避難所が津波に襲われ、数人が命を落とした。乗客の証言などをもとに、小さな駅で交差した生と死を追った。(2011.5.1 産経 梶原紀尚)




60人の乗客と流されて救助された1人の運命を救った一言には、人智を超えた閃きがあるのでしょう。

あらゆる種の群れの「5パーセントが持つ感覚」です。

野鳥の群れで、鋭い警戒音を発するのは決まった鳥・・群れに迫る危機を感じたのです。